蘆名盛詮

 
蘆名盛詮
時代 室町時代
生誕 永享3年(1431年
死没 文正元年3月14日1466年4月28日
改名 三郎(幼名)→盛詮
官位 遠江下総
氏族 蘆名氏
父母 父:蘆名盛信、母:三浦高明の娘か
正室宇都宮持綱の娘
盛高猪苗代盛清富田詮実荒井盛信
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蘆名 盛詮(あしな もりあきら)は、室町時代中期の武将蘆名氏の第12代当主。蘆名盛信の子。

宝徳3年(1451年)、父盛信の死により家督を継ぎ当主となるが、家臣団の一部から盛詮の相続に不満を持つ者が現われ蘆名氏内部で内乱が発生した。盛詮は結城直朝の支援を受けて、これを鎮圧している。長禄3年(1459年)から伊達持宗や直朝と抗争するも決着はつかなかった。翌長禄3年(1460年、将軍足利義政から古河公方足利成氏追討令を発されたが、盛詮は周囲の情勢から従軍はできなかった。

文正元年(1466年)死去し、後を子の盛高が継いだ。