稲田町 (茨城県)

いなだまち
稲田町
廃止日 1958年2月15日
廃止理由 編入合併
稲田町笠間町
現在の自治体 笠間市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 茨城県
西茨城郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 7,708
(1956年)
隣接自治体 岩瀬町、笠間町、新治郡八郷町
稲田町役場
所在地 茨城県西茨城郡稲田町
座標 北緯36度22分07秒 東経140度12分49秒 / 北緯36.36856度 東経140.21358度 / 36.36856; 140.21358 (稲田町)座標: 北緯36度22分07秒 東経140度12分49秒 / 北緯36.36856度 東経140.21358度 / 36.36856; 140.21358 (稲田町)
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稲田町(いなだまち)は、かつて茨城県西茨城郡にあった

地理

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現在の笠間市西部に位置する。山がちな地形であり、涸沼川の支流が流れていた。

大字

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  • 福原(ふくはら)
  • 飯合(いいごう)
  • 稲田(いなだ)

人口・世帯数

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人口
1891年(明治24年) 2,973人
1920年(大正 9年) 5,396人
1935年(昭和10年) 6,517人
1950年(昭和25年) 7,736人
1956年(昭和31年) 7,708人
世帯数
1920年(大正 9年) 1,080世帯
1935年(昭和10年) 1,231世帯
1950年(昭和25年) 1,448世帯
1956年(昭和31年) 1,426世帯

歴史

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町域の変遷

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  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、福原村・飯合村・稲田村が合併して西茨城郡西山内村(にしやまうちむら)が発足。
  • 1954年(昭和29年)8月15日 - 西山内村が町制施行・即日改称して稲田町が発足。
  • 1958年(昭和33年)2月15日 - 稲田町が西茨城郡笠間町に編入される。

変遷表

1868年
以前
明治11年 明治22年
4月1日
昭和29年
8月15日
昭和33年 現在
2月15日 8月1日
田上村 福原村 西山内村 稲田町
町制改称
笠間町
に編入
市制 笠間市
北中山村
南中山村
関戸村
飯塚村 飯合村
飯岡村
上稲田村 稲田村
下稲田村

経済

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明治時代までの稲田は農村だったが[1]、明治時代中期以後には花崗岩である稲田石の採石業で栄えた。鍋島彦七郎によって稲田石の採掘が本格的に開始されると、稲田駅から鉄道によって東京などに運ばれ、近代には国会議事堂最高裁判所東京駅などの建物に用いられた[2]

交通

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稲田駅

鉄道

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道路

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脚注

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  1. ^ 劉逸飛、鹿嶋航、有田英樹、陸天来、石哲榜、王艺晴、王迪雅、川添航、松井圭介「茨城県笠間における稲田石産業の変遷と生産流通構造に関する研究」『地域研究年報』46号、2024年、pp.69–81
  2. ^ 稲田石 笠間市

参考文献

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関連項目

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