石川達紘

石川 達紘[1]
いしかわ たつひろ
生年月日 (1939-04-04) 1939年4月4日(85歳)
出身校 山口県立下松工業高等学校[1]
中央大学法学部法律学科[1]

在任期間 2000年 - 2001年[1]

在任期間 1999年 - 2000年[1]

在任期間 1997年 - 1999年[1]

日本の旗 東京地方検察庁特別捜査部
在任期間 1989年 - 1991年[1]
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石川 達紘(いしかわ たつひろ、1939年昭和14年〉4月4日 - )は、日本検察官。退官後は弁護士第一東京弁護士会)。現在は、自動車運転処罰法違反(過失致死)などの罪で禁錮刑以上が確定したため弁護士資格を失っている。

検察官としては、東京地方検察庁特別捜査部長(東京地検特捜部長)を経験。名古屋高等検察庁検事長を最後に退官した。

来歴・人物[編集]

山口県出身。1958年下松工業高校工業化学科卒業。1962年中央大学法学部を卒業後、同年に23歳で司法試験合格。司法修習生17期を経て、1965年に検事任官。任官同期に原田明夫検事総長)ら。

1982年東京地検特捜部副部長に就任。岡田茂三越事件、リッカー事件、平和相互銀行事件新薬スパイ事件撚糸工連事件などに関わる。1986年10月、河井信太郎以来、私立大学出身者としては2人目の法務省刑事局刑事課長に[2]。のち法務省大臣官房会計課長を経て、1989年に東京地検特捜部長に、金丸信巨額脱税事件ゼネコン汚職事件などを指揮した。

以後、1991年佐賀地検検事正、1992年最高検検事、1993年東京地検次席検事、最高検検事、1995年静岡地検検事正、1994年最高検公判部長に就任。

最高検に戻った1994年、土肥孝治検事総長の指示で、住専事件の貸し手借り手の刑事責任を問う「国策捜査」のなかにあったが、これは行政のミスの尻拭いにすぎず、「特捜」らしくない事件であった。1996年5月10日上田広一特捜部長に断った上で、笠間治雄特捜副部長(財政経済担当)に泉井事件の捜査に正式にとりかかるよう指示した。当時検察の中でも石川は、最も国税庁や現場の査察部と親密な関係にあったとされ、東京国税局査察部長 鳥羽衛 - 笠間治雄のラインで事件が動き出していくこととなった。但し、事件としては三菱三井財閥系企業から通産省大蔵省ラインでの汚職、早稲田運動部人脈を通じた主要政界汚職でのラインともに不発に終わった。これは1997年熊﨑勝彦特捜部長の下で、大蔵省接待汚職事件での金融検査官と中堅キャリア官僚逮捕伏線ともなり、検察と大蔵・国税との緊密関係にも隙間風が吹いた[3][4]

1997年2月、東京地検検事正時代には、中井憲治特捜部長に防衛庁調達実施本部背任事件に取り掛かることを指示した。のちに額賀福志郎防衛庁長官の辞任にまで及んだ。この頃から、大蔵汚職事件から続く一連の捜査の流れで「法務官僚派」と「捜査現場派」との対立構図が鮮明化したとされ、本命の司法修習同期原田明夫に対して対抗の石川を検事総長にする両派の対立構図としても描かれた。

石川自身は高検検事長への昇進を辞退して退官するつもりだったが、則定衛・東京高検検事長(次の検事総長と目されていた[5])の女性スキャンダルがあり、検察庁の人事上、退官できず、1999年9月、福岡高検検事長、2000年11月から2001年11月まで名古屋高検検事長。次長検事への就任は辞退して退官した[6]

2001年11月退官。同年12月、第一東京弁護士会に弁護士登録する。2002年4月亜細亜大学法学部教授(~2010年3月退職)。同年6月日本興亜損害保険株式会社取締役。同年同月パイオニア株式会社取締役。同年8月特種製紙株式会社役員待遇特別顧問。2003年6月特種製紙株式会社取締役。同年同月株式会社北海道銀行監査役。同年同月株式会社アイビー化粧品監査役。同年同月東鉄工業株式会社監査役。2004年6月林兼産業株式会社取締役。同年同月セイコーエプソン株式会社監査役。

週刊現代』によると、堤義明の顧問弁護士を務めていた[7]。同じく週刊現代によると、東横インの会長に就任し、水谷功(元・水谷建設会長)の弁護人、武富士の創業者一族の弁護人を務めた[7]

2009年4月から横浜薬科大学非常勤講師(「社会と法律」の講義を担当)。2009年春、瑞宝重光章受章。

2018年2月18日に男性一人を車ではねて死亡させる事故を起こした[8]。2021年2月15日、自動車運転処罰法違反(過失致死)などの罪で東京地裁から禁錮3年執行猶予5年の判決を言い渡された[9]。しかし、石川は即日控訴している。石川は、「天地神明に誓って(アクセルは)踏んでいない」、「私も被害者だ」と発言し[10]、弁護側は車の不具合による無罪を主張したが、暴走原因はアクセルペダルの踏み間違いと認定された[11]。遺族とは示談が成立した。

2022年10月26日、控訴審初公判が東京高裁で開かれ、即日結審した[12]。12月14日、東京高裁は、禁錮3年、執行猶予5年の有罪とした1審・東京地裁判決を支持し、無罪を主張する被告側の控訴を棄却した[13][14][15]。被告側は1審に続き控訴審でも「アクセルペダルを踏んでいない。暴走は車の不具合が原因だ」と主張した[13][14][15]。しかし、判決はアクセルペダルの裏面にペダルが踏み込まれたまま衝突事故が起きた際に生じる傷痕が残っていたことに着目し、「車の不具合のみで事故が起きたなら傷痕が生じた理由の説明が困難」として、被告がアクセルを踏み込んだと認定した[13]。また、アクセルやブレーキがどう操作されたかを記録するレコーダーのデータが、事故発生前後にアクセルが強く踏まれたことを示していることも踏まえ、車の不具合はなかったと結論付けた[13][15]

2023年5月15日付で最高裁第3小法廷は石川の上告を棄却した。弁護士法の規定に基づき、禁錮以上の刑の確定により弁護士資格を失う[16]。同年8月8日付で瑞宝重光章返上[17]

同年、暴走は車の欠陥が原因だったとして、製造元のトヨタ自動車と販売会社に5千万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。石川は7月28日付の訴状で、アクセルを踏んでいないにもかかわらず、車がいきなり発進したと主張。事故で自身もけがをし、100キロを超える暴走で恐怖を覚えたと訴えている。弁護士資格を失ったことも賠償請求の理由に挙げた[18][19]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g メンバー 石川 達紘”. 光和総合法律事務所. 2020年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月17日閲覧。
  2. ^ 「CD 現代日本人名録 2000」より
  3. ^ 『市場検察』(村山治、文藝春秋、2008年4月25日)P164・P165~P199
  4. ^ 大蔵汚職事件から司法制度改革の流れを経て小泉政権の成立以降、特捜部の捜査の中心も政界汚職から経済事件へシフトした。国税庁・金融庁公正取引委員会証券取引等監視委員会などのお膳立ての下、市場システムをいかに守るかに主眼が置かれるようになった 「小沢強制起訴は人民裁判か」 文藝春秋 2010年12月号 P203
  5. ^ 弁護士会の読書:『噂の真相』25年戦記”. 福岡県弁護士会. 福岡県弁護士会 (2005年3月7日). 2019年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月28日閲覧。
  6. ^ 『市場検察』(村山治)P231~
  7. ^ a b (見出しには引退後、著名活動に多大な影響を与えたとは認められない出来事に関する情報が含まれているため非表示)」『週刊現代講談社、2018年3月15日。2018年6月3日閲覧。オリジナルの2018年6月3日時点におけるアーカイブ。
  8. ^ “車暴走で男性死亡、容疑の元地検特捜部長を書類送検”. 朝日新聞. (2018年12月21日). https://www.asahi.com/sp/articles/ASLDP357MLDPUTIL004.html 2023年9月22日閲覧。 
  9. ^ 死亡事故の元特捜部長に有罪”. REUTERS. 共同通信,Kyodo. 2021年2月15日閲覧。
  10. ^ 実刑確定、池袋暴走「上級国民」裁判に残る違和感 災害・事件・裁判”. 東洋経済オンライン (2021年9月29日). 2022年6月15日閲覧。 「上級国民」裁判が我々に問い掛けるものとは:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2022年6月15日閲覧。
  11. ^ 車暴走の死亡事故、元特捜部長に有罪判決 不具合認めず”. 朝日デジタル. 2021年2月15日閲覧。
  12. ^ 元特捜部長の判決、12月14日 社会 全国海外 神戸新聞NEXT”. www.kobe-np.co.jp. 神戸新聞社 (2022年10月26日). 2022年12月8日閲覧。
  13. ^ a b c d 元特捜部長、2審も有罪 暴走死亡事故で控訴棄却 東京高裁”. 毎日新聞. 毎日新聞社 (2022年12月14日). 2022年12月14日閲覧。
  14. ^ a b 石川達紘元特捜部長、2審も有罪 車暴走死事故”. 産経ニュース. 産業経済新聞社 (2022年12月14日). 2022年12月14日閲覧。
  15. ^ a b c 「車両の不具合」主張の元東京地検特捜部長、2審も執行猶予付き禁固刑…暴走し歩道の男性死なせる”. 読売新聞オンライン. 読売新聞社 (2022年12月14日). 2022年12月14日閲覧。
  16. ^ “元東京地検特捜部長の有罪確定へ 車暴走の男性死亡事故、最高裁が上告棄却”. 産経新聞. (2023年5月17日). https://www.sankei.com/article/20230517-QMT4OLRWTVJJXNPP247QU5KZA4/ 2023年5月17日閲覧。 
  17. ^ 『官報』第1043号7頁 令和5年8月18日号
  18. ^ “元特捜部長、トヨタを賠償提訴 暴走死亡事故の原因は「車の欠陥」”. 毎日新聞. (2023年9月20日). https://mainichi.jp/articles/20230920/k00/00m/040/275000c 2023年9月21日閲覧。 
  19. ^ “有罪確定の元特捜部長、トヨタなど提訴 暴走死亡事故「車に欠陥」主張”. 産経新聞. (2023年9月21日). https://mainichi.jp/articles/20230920/k00/00m/040/275000c 2023年9月21日閲覧。 
先代
松田昇
東京地方検察庁特捜部長
1989年 - 1991年
次代
五十嵐紀男
先代
高橋武生
東京地方検察庁検事正
1997年 - 1999年
次代
甲斐中辰夫
先代
吉村徳則
福岡高等検察庁検事長
1999年 - 2000年
次代
豊嶋秀直
先代
吉村徳則
名古屋高等検察庁検事長
2000年 - 2001年
次代
河内悠紀