白鳳丸 (初代)

白鳳丸
基本情報
船種 海洋研究船 (調査船)
船籍 日本の旗 日本
所有者 文部省
運用者 東京大学海洋研究所
建造所 三菱重工業下関造船所[1]
母港 横須賀港
信号符字 JNQK
次級 2代目「白鳳丸
経歴
発注 昭和40年度[2]
起工 1966年7月[2]
進水 1966年11月1日[3]
竣工 1967年3月31日[3]
退役 1989年[4]
その後 海洋バイオテクノロジー研究所「蒼玄丸」として運航され、1996年に廃船・解体[4]
要目
総トン数 3,225.54トン
全長 94.96 m
垂線間長 86.00 m
型幅 14.80 m
型深さ 7.30 m
満載喫水 5.50 m
機関方式 ディーゼル・エレクトリック方式
主機関 ・ディーゼル発電機×4基
・推進電動機×4基
推進器スクリュープロペラ×2軸
バウスラスタ×1基
出力 2,800 kW (3,800 hp)
最大速力 15.84ノット
航海速力 12.67ノット
航続距離 15,000海里
搭載人員 87名
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白鳳丸(はくほうまる、RV Hakuhō-Maru)は、東京大学海洋研究所が運用していた調査船[1][5][6][3]

来歴[編集]

1962年、日本海洋学会および日本水産学会の建議にもとづき、東京大学海洋研究所が設置された。翌1963年には、さっそく研究船として「淡青丸」を建造したが、これは257総トンと比較的小型で、活動範囲は沿岸域に限定されていた[5][3]

海洋研創設当初より、もっと大型で外洋域で活動できる研究船の建造計画が進められており、1964年2月には同大学工学部船舶教室の高木淳教授が海洋研の併任教授に就任、7月には研究船建造委員会が発足して、建造体制が整備された。そして昭和40年度で16億5千万円の建造予算が認められ、これにより建造されたのが本船である[2]

船体[編集]

本船は、当時の日本としては最有力の海洋調査船として、海洋学者の期待を背負って開発された。洋上観測の必要から凌波性・復原性に配慮して設計されており、船型については、三菱重工業神戸造船所に設置されていたIBMコンピュータにより、内外の代表的研究船の比較検討が行われた[1]

船型は長船首楼型、船質は鋼鉄であるが、復原性改善のため、上部構造物はアルミニウム合金製となった[1]。また減揺装置として減揺タンクが設置されて効果を上げたものの、甲板の専有面積が大きく、研究者からは不評であった[7]

機関[編集]

低速での操船性を考慮して、主機にはディーゼル・エレクトリック方式が採用された。直流方式ワード・レオナード方式)を採用しており、主機用の発電機は、4サイクル・ディーゼルエンジン(1,100馬力)を原動機とする直流発電機(750キロワット)が4セット搭載された。推進電動機も直流電動機が4基搭載されており、2軸のスクリュープロペラにそれぞれ串型に結合された。また精密な操船が求められる場合に備えて、固定ピッチ・可変速型のバウスラスタ(500馬力)も備えられた。なお観測機器への悪影響を避けるため、機関はいずれも防振ゴムを介した支持とされた[1]

電気推進の恩恵として、プロペラの回転速度は最低15 rpm、25 rpmで回せば舵効が得られ、1.5~2.0ノットの微速を発揮することができた。通常、観測時には50 rpmで運転し、4.9ノット程度の速力であった。また15 rpmで運転しつつバウスラスターを併用すれば、微速で一定の船位を保つ事ができた。また2枚の舵はそれぞれ独立しての操舵も可能であり、バウスラスタを併用すればその場旋回や横滑りも可能であった[1]

船内サービス用の電源としては、やはりディーゼルエンジンを原動機とする発電機が採用され、950 kVA×445 Vの主発電機が2基、100 kVA×445Vの補助発電機が1基搭載された。なお研究室電源としては、精密電動発電機を経て給電が行われた[1]

装備[編集]

計測機器
海底地形調査のため、極深海用精密音響測深器(precise depth recorder, PDR)を搭載した。使用周波数は12キロヘルツ帯、水深12,000メートルまでの測深を行うことができた。ただし受波器入口雑音レベルなどの関係から、荒天・13ノット以上での航走のさいには正確な記録が困難であった[1]
採集機器
本船は海洋観測用として、10基のウインチを備えており、各種採泥器・採水器を吊り下げることができた。4基は電動単独ユニット、2基は油圧単独パワーユニットで、残り4基で油圧ポンプ2基を共有していた[1]
搭載艇
本船が進入できない浅海域の探査や、沖掛時の大型観測機器の運搬のため、観測作業艇1隻を搭載していた。重量12トン、全長13メートルで、魚群探知機や極浅海用音響測深機などを備えていた。またこのほかに全長6メートルの交通艇も搭載されていたが、こちらも超短波電話を備えており、必要に応じて観測補助に用いることができた[1]

参考文献[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j 高木淳「東京大学 海洋研究船 白鳳丸(造船協会第70期年度通常総会における特別講演)」『日本造船学会誌』第463巻、日本船舶海洋工学会、1968年、1-7頁、doi:10.14856/zogakusi.463.0_1ISSN 0386-1597NAID 110003873663 
  2. ^ a b c 中井俊介「海洋観測物語(第二十話)」『海の研究』第4巻第5号、日本海洋学会、1995年10月、433-440頁、NAID 110003351706 
  3. ^ a b c d 田代省三 編『学術研究船「白鳳丸」のすべて』海洋研究開発機構〈Blue Earth〉、2010年1月http://www.godac.jamstec.go.jp/catalog/data/doc_catalog/media/be_sp-hakuho_all.pdf 
  4. ^ a b 中井俊介「海洋観測物語(第三十二話)」『海の研究』第6巻第6号、日本海洋学会、1997年12月、399-408頁、NAID 110003351527 
  5. ^ a b 海洋研究の躍進を担う学術研究船「白鳳丸」「淡青丸」--東京大学海洋研究所より移管された2隻の研究船 (特集1 地球と人類の未来を開拓する海洋研究開発機構)」『Blue earth』第16巻第3号、海洋研究開発機構横浜研究所情報業務部、2004年5月、10-13頁、ISSN 13460811NAID 40006345441 
  6. ^ 海洋研究の躍進を担う学術研究船「白鳳丸」「淡青丸」--東京大学海洋研究所より移管された2隻の研究船 (特集1 地球と人類の未来を開拓する海洋研究開発機構)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 一色健司 (2006年11月1日). “旧・白鳳丸の思い出”. 2016年6月9日閲覧。

関連人物[編集]