畑地正憲

畑地 正憲
人物情報
生誕 1939年
日本の旗 日本 長崎県長崎市
国籍 日本の旗 日本
出身校 長崎大学学芸学部(学士)
九州大学大学院研究科史学東洋史専攻(修士・博士)
学問
研究分野 東洋史学
研究機関 山口大学
萩国際大学
山口福祉文化大学
学位 文学博士
称号 山口大学名誉教授
主要な作品 『宋代軍政史研究』 (北九州中国書店、2012年)
テンプレートを表示

畑地 正憲(はたち まさのり、1939年 - )は、日本東洋史学者、教育者山口大学名誉教授、萩国際大学山口福祉文化大学元学長[1]文学博士九州大学2012年)。

経歴[編集]

1939年長崎県長崎市出身[1]1957年長崎県立長崎東高等学校卒業、1961年長崎大学学芸学部を卒業後、長崎県公立学校の教諭となる[1]。後に九州大学大学院へ進み、1970年同文学研究科史学・東洋史専攻修了、1972年同東洋史学専攻博士課程中途退学[1][2]1981年山口大学人文学部教授となり、同大学共通教育センター長などを歴任し、2002年に定年退官[1][3]1999年から萩国際大学国際学科教授となり、2003年副学長を経て、2004年に学長就任[1]。大学改革推進委員会委員長を務め、新規コースの設置や定員削減などを通じて、経営難や不祥事が相次いだ同大学の経営改善と信頼回復に努めた[4][5]。しかし大きな効果は得られず、2005年に同大学を運営する学校法人萩学園が民事再生法の適用を申請[6]2007年4月に萩国際大学は山口福祉文化大学へと改称され、2008年3月まで同大学学長を引き続き務めた[1]

著書[編集]

論文[編集]

  • 「五代地方行政における軍について」『東方学』43、1972年。
  • 「五代・北宋における府州折氏について」『史淵』110、九州大学大学院人文科学研究院、1973年。
  • 「北宋・遼間の貿易と歳贈について」『史淵』111、九州大学大学院人文科学研究院、1974年。
  • 「宋代の所謂「同下州」軍の役割について」『山口大学文学会志』26、山口大学文学会、1975年。
  • 「北宋時代における承攬制について」『山口大学文学会志』28、山口大学文学会、1977年。
  • 「湖南省における水利灌漑について―韶山灌区の自然改造をめぐって」『東亜経済研究』46、東亜経済研究編集委員会、1979年。
  • 「宋代における攬納制の展開について」『東亜経済研究』47、東亜経済研究編集委員会、1980年。
  • 「清朝と李氏朝鮮との朝貢貿易について―特に鄭商の盛衰をめぐって」『東洋学報』62、東洋文庫、1981年。
  • 「北宋における修河物資「梢草」の調達について」『山口大学文学会志』35、山口大学文学会、1985年。
  • 「清代の輸送業者「攬頭」について―李朝朝貢団の貨物輸送をめぐって」『山口大学文学会志』38、山口大学文学会、1987年。
  • 「宋代における麟府路について」『東洋史研究』51(3)、東洋史研究会、1992年。
  • 「清代の人参採取における攬頭について」『山口大学文学会志』49、山口大学文学会、1999年。
  • 「唐末・五代における馬草の調達について」『山口大学文学会志』52、山口大学文学会、2002年。
  • 「宋代における西北辺防と土着酋豪勢力について」『萩国際大学論集』7、萩国際大学論集委員会、2006年。
  • 「北宋時代における陝西四路の防衛戦略について」『山口大学文学会志』59、山口大学文学会、2009年。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 朝日新聞人物データベース
  2. ^ 畑地 正憲”. Researchmap. 2016年12月17日閲覧。
  3. ^ 新着情報/人文学部関連”. 鴻文会. 2016年12月17日閲覧。
  4. ^ 「萩国際大 定員削減、留学生制限へ 来年度への改革案公表」『朝日新聞』2003年4月4日付朝刊、山口面。
  5. ^ 「山口大と萩国際大が観光分野で連携 人材育成や研究拠点」『朝日新聞』2004年10月6日付朝刊、山口面。
  6. ^ 「知名度上がらず苦戦 留学生頼みも失敗 萩国際大の破綻」『朝日新聞』2005年6月26日付朝刊、教育面。

関連項目[編集]