田中清司

田中 清司(たなか きよし、1948年1月1日 - )は、日本のドラマースタジオ・ミュージシャン

人物・来歴[編集]

  • 1963年ジャニーズのバックバンド「ジャニーズ・ジュニア」のドラマーとなる。ジャズ喫茶などでもライブ活動を行った。
  • 1968年4月、松木恒秀らと、5人組のGSバンド「ジュニア・ボーイズ」を結成し、「田中きよし」の芸名で渡辺プロダクションに所属。同年秋に東芝レコードからシングル『謎の瞳』でレコードデビューすると報じられたが、結局中止となった。1969年、バンド名を「ジュニア・ボーイズ」から「ジ・アルファ」に改名。更にその後メンバーを一人追加し、「グリーン・グラス」へと改名。1970年にシングル 『一人でいるよりあなたがいれば c/w ベイビー・アイ・ニード・ユー』 でレコードデビューを果たした。
  • グリーン・グラスでの活動の傍ら、NHKステージ101』の専属バックバンド「リズム101」に、松木恒秀や武部秀明(元「アダムス」の千原秀明、愛称:チー坊、2002年没)らと共に参加。この時は、「田中清」の名で活動していた。番組の収録以外でも、番組関係のレコーディングやライブがある時にはバックバンドとして参加した。
  • グリーン・グラス解散後は、1971年にジャニーズ時代の盟友・穂口雄右らと「ピープル」名義でシングルを1枚リリース。更に、松木恒秀や武部秀明らと共に結成した「稲垣次郎とソウル・メディア」や、武部や柳田ヒロらと結成した「サンズ・オブ・サン」でもレコードデビューを飾るなど、数々のバンド活動を経た後、スタジオ・ミュージシャンに転向。
  • 1972年 - 1976年まで、筒美京平の第2期&第3期リズムセクションのメンバーを務める。
  • 榊ひろと著『筒美京平ヒットストーリー 1967‐1998』には、筒美京平が用いたミュージシャンについて次のように書かれている。「ミュージシャンでは60年代からのジャズ系リズム・セクションを基盤としながらも、しだいにギターに水谷公生と矢島賢、キーボードの栗林稔、ベースの武部秀明、ドラムスの田中清司などを加えて、ロック/ソウル色の強いサウンドのトレンドに対応していく。従来のジャズ系プレイヤーとGSなどロック系コンボ出身の若手ミュージシャンとの世代交替は、73年頃までに完了しているものと思われる。」なお、ここでのジャズ系プレイヤーとは、石川晶/猪俣猛(ドラムス)、江藤勲/寺川正興(ベース)、杉本喜代志(ギター)、飯吉馨(ピアノなど)らのことである。
  • 1972年には「赤い鳥」のレコーディング (『パーティー』)、「RCサクセション」のレコーディング (アルバム『楽しい夕べに』)、1973年には吉田拓郎のバックバンド(『LIVE'73』)、頭脳警察のレコーディング(『誕生』、『仮面劇のヒーローを告訴しろ』)に参加。また、「かぐや姫」や「」の バックも担当する。
  • 1974年6月、沢田研二のバックバンドでもあった「井上堯之バンド」に、原田裕臣の後任として参加。テレビドラマ『寺内貫太郎一家』や『傷だらけの天使』の音楽、また、沢田研二の様々な楽曲のレコーディングに参加した。1975年に鈴木二郎と交代し脱退。
  • 1975年に、水谷公生(元「アウト・キャスト」や「アダムス」の水谷淳)、武部秀明、渋井博と共に、「Dig It」というバンドを結成、南こうせつのバックを務めた。こうせつの2ndアルバム『ねがい』の裏ジャケットには、彼らのフォトが使われている。
  • 1975年のつま恋オールナイトコンサート(「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」)に南こうせつ with 水谷バンドとして出演した。
  • 1976年TBSドラマ『いごこち満点』の音楽担当であり作曲家の東海林修の直接指導のもと、バンド「ショウジコーポレーション」名義でレコーディングを行った。
  • 1977年大野克夫後藤次利らと共に、庄野真代のアルバム『ぱすてる331/3』や越路吹雪のアルバム『一寸おたずねします』などに参加した。
  • 1980年に「井上堯之バンド」が解散したことで、新しく「大野克夫バンド」が誕生。田中もメンバーとして参加し、テレビドラマ『太陽にほえろ!』などの音楽を担当した。
  • 1980年、萩原健一のツアーにバックバンド「DONJUAN ROCK'N ROLL BAND」として、原田裕臣と共にツインドラムで参加。1981年1月の最後の「日劇ウェスタンカーニバル」出演まで行動を共にした。
  • 自身のレコーディングとしては、1980年頃に秋山一将、坂本龍一、後藤次利と4人で、『New York』というアルバムを出している[要出典]
  • 1985年7月27日に行われた「ONE LAST NIGHT IN つま恋」では、小室等、チト河内、柳田ヒロ、後藤次利と共に「六文銭」として出演し、吉田拓郎のバックを務めた。
  • 2004年8月7日に放送されたNHK総合『第36回 思い出のメロディー』に大野克夫バンドとして出演し、『太陽にほえろ!』『名探偵コナン』『傷だらけの天使』のテーマ曲をメドレーで演奏した。メンバーは大野克夫(ハモンドオルガン、ピアノ)、村岡建(サックス)、斎藤ノブ(パーカッション)、土方隆行(ギター)、樋沢達彦(ベース)、原田末秋(ギター)、田中清司(ドラム)。

エピソード[編集]

  • 後藤次利は、自分がスタジオの仕事を始めた20代前半の頃、田中清司は当時のスタジオナンバーワンと言ってよい位に引っ張りだこで、田中清司らロック畑第一世代のスタジオミュージシャンの活躍振りが譜面の苦手な自分にも力を与えてくれたと述べている。[1]
  • 高橋伸之は、プロになる前にたまたま見に行った沢田研二のコンサートで当時井上堯之バンドのドラマーだった田中清司を見て、公演終了後に弟子入りを志願した。[2]
  • 穂口雄右は、田中清司のプレイについて次のようにコメントしている。「田中清司の魅力は、何と言っても、人柄からくる暖かいプレーですね。テクニック的に優れたドラマーが無数にいることは、彼自身が充分に分かっていて、手数に勝る真摯なプレーで独特のサウンドを創ってくれました。ヒット作品に彼のドラムが多い理由だと思っています。」[3]
  • 高橋幸宏は、スタジオ・ミュージシャンの頃、その日4本目くらいの仕事で、さすがに疲れ寝てしまったことがあった。気がついたら、「お疲れさまでしたあ」とギャラを渡された。それから数日後、先輩ドラマーであった田中から「幸宏、レコーディング中に寝ちゃ駄目だよ。おれ、あとで差し替えしたよ。」と言われてしまった。[4]
  • せんだみつおは、高校の同期生(ちなみに、穂口雄右とせんだは、中学の同期生だった)[5]

ジャニーズ時代の参加ユニット[編集]

ジュニア・ボーイズ (後の「ジ・アルファ」)[編集]

メンバー
  • 田中きよし (ドラム)
  • 松木恒秀 (ギター)
    田中とは縁が深く、「リズム101」にも「ソウル・メディア」にも共に参加。その後は「松木恒秀バンド(松木恒秀グループ)」を結成したり、田中と同じくスタジオ・ミュージシャンとして活躍している。
  • 清水保男 (ボーカル)
    その後歌手に転向し、『あしたのジョー』、『K・O(ノック・アウト)』などをリリース。
  • 伊澤俊司 (ギター)
    解散後、「アオイスタジオ」にエンジニアとして入社。吉田拓郎のCMを録音中に「(株)ユイ音楽出版」にスカウトされ、同社「ユイ・ステージ・サービス」にてコンサートサウンドを手がける。1997年、分社化により独立。「(株)ゼロ・ディービー」を設立し、ローリング・ストーンズAC/DCメタリカTOTO等の外国アーティストの日本公演や、現在では南こうせつ松山千春井上陽水らのコンサートサウンドを手掛けている。
  • 長野由昭 (ベースギター)

グリーン・グラス[編集]

メンバー
  • 田中きよし (ドラム)
  • 松木恒秀 (ギター)
  • 清水保男 (ボーカル)
  • 伊澤俊司 (ギター)
  • 長野由昭 (ベースギター)
  • 武田基嗣 (後に「青山一也」に改名して俳優に)

ピープル[編集]

シングルを一枚レコーディングしただけで解散した。

メンバー
  • 田中清司:ドラム/パーカッション
  • 穂口雄右:オルガン/ピアノ
  • 水谷公生:ギター/スライド・ギター/アコースティック・ギター/シタール
  • 武部秀明(元「アダムス」の千原秀明):ベース
  • ラリー寿永:パーカッション/鐘
  • 井上ゴロー:ゲストヴォイス(「ブッダ・ミート・ロック」)
  • 杉原マイヤ:ゲストヴォイス(「ブッダ・ミート・ロック」)
  • 柴田キョウ:ゲストヴォイス(「ブッダ・ミート・ロック」)
  • 戸村アケミ:ゲストヴォイス(「ブッダ・ミート・ロック」)
ディスコグラフィ
  • 「ブッダ・ミート・ロック」(1971年、シングル)

Rose Cult[編集]

ニコニコチャンネルで半田健人による「半田倶楽部」において結成されたバンド。

メンバー
  • 田中清司:ドラムス
  • 半田健人:ヴォーカル/ベース
  • Jun DogGod:ギター

主な参加作品[編集]

クレジット等で判明している分であり、膨大な参加作品の中のごく一部。

一般作品[編集]

劇伴[編集]

自己名義やドラムがフィーチャーされた作品[編集]

  • 『歌謡ヒット・ポップス・ベスト28』 - ユニオン・オール・スターズ、石松元、田中清司。LP2枚組、品番:CJP-1048〜9。
  • 『DRUM AND DRUM』 - 田畑貞一、中村敬幸、田中清司。品番:SL-1336。
  • 『ドラム&ビッグ・ヒット歌謡28』 - ユニオン・オールスターズ、田中清司。LP2枚組、品番:CJP-1090〜1。
  • 『ドラム!ドラム!ドラム天国』 - ジミー竹内、ジョージ川口、石川晶、猪俣猛、田畑貞一、日野元彦、田中清司、岡山和義、原田イサム、白木秀雄。CD6枚組、品番:TFC1741〜1746。
  • 『ニュー・ハード ビッグ・バンド・ロックの真髄』 - 宮間利之とニューハード+田中清司とそのグループ。
  • 『ヒット・ポップスによるダイナミック・ドラム大全集』 - 鈴木邦彦&ヴィーナス、石松元、田中清司。LP2枚組、品番:おそらくCJP-1646。
  • 『PRESS OUT 301 ドラム・ビート・ドラム 雨のエアポート』 - 田中清司(ドラム)、宮川泰とルーパス(演奏)、宮川泰(編曲)。品番:JSP-1024。
  • 『ベスト・オブ・ドラム・サウンズ』 - 田畑貞一、ジミー竹内、日野元彦、石川晶、石松元、田中清司、岡崎和義、猪俣猛ら。LP2枚組 品番:CJP-1165〜6。
  • 『4大ドラマー ロック・ドラム・バトル』 - 猪俣猛、石川晶、田畑貞一、田中清司。品番:CDX-2501。
  • 『ロック・ドラム入門』 - 田中清司(ドラム)、水谷公生(ギター)、武部秀明(ベース)、飯芳馨(キーボード)、栗林稔(キーボード)。How To Rock シリーズ Vol.1。

その他[編集]

企画物など。

  • 『シンフォニック・ビートルズ』 - 指揮:福村芳一、演奏:京都市交響楽団、栗林稔(ピアノ)、水谷公生(ギター)、武部秀明(ベース)、田中清司(ドラム)、青木望(シンセサイザー)
  • 『NEW YORK』 - 「ニューヨーク・サブウェイ」(林立夫と連名)「ヒム・トゥ・スタッフ」(渡嘉敷祐一と連名)「マンハッタン・サンライズ」を担当。秋山一将、大村憲司、鈴木茂、竹田和夫、松木恒秀、松原正樹、水谷公生、矢島賢らが参加した企画物。
  • 『横溝正史の世界 金田一耕助の冒険』 - 「仮面舞踏会」を担当。

脚注・出典[編集]

  1. ^ 後藤次利のブログ「後藤次利 blog」の2008年3月19日の記事[1]
  2. ^ 高橋伸之のホームページのプロフィール欄[2]
  3. ^ 穂口雄右のTwitter(@Yusuke_Hoguchi)の2012年5月16日 - 10:58のツイート[3]
  4. ^ PHP新書「心に訊く音楽、心に効く音楽 私的名曲ガイドブック」高橋幸宏著 2012年 p.84~85
  5. ^ https://mobile.twitter.com/yusuke_hoguchi/status/383471902594830336”. Twitter. 2022年4月24日閲覧。
  6. ^ 穂口雄右のTwitter(@Yusuke_Hoguchi)の2013年1月23日 - 0:53のツイート[4]
  7. ^ a b c d e f g h i j 【ドラム界の重鎮 田中清司 x 昭和歌謡マニア 半田健人】昭和歌謡グルーヴ対談[5]
  8. ^ a b c d リズム&ドラム・マガジン 2021年1月号
  9. ^ a b c d 穂口雄右のTwitter(@Yusuke_Hoguchi)の2012年4月9日 - 9:47のツイート[6]
  10. ^ 穂口雄右のTwitter(@Yusuke_Hoguchi)の2012年4月4日 - 14:41のツイート[7]
  11. ^ 穂口雄右のTwitter(@Yusuke_Hoguchi)の2012年4月19日 - 15:02のツイート[8]
  12. ^ a b c 田中清司&フレンズの2009年11月30日のライブのMC。YouTubeで試聴可能[9]
  13. ^ 松浦善博のブログ「SLIDIN' & SLIPPIN'」の中の「第31話 HIP HIP HIP」[10]
  14. ^ 「京 建輔 Fan Site」の中の「第2回インタビュー 千昌夫「北国の春」」[11]
  15. ^ ソニー・ミュージックダイレクト MHCL-763(再発盤CD)