滋賀県道・京都府道3号大津南郷宇治線

主要地方道
滋賀県道3号標識
京都府道3号標識
滋賀県道3号 大津南郷宇治線
京都府道3号 大津南郷宇治線
主要地方道 大津南郷宇治線
制定年 (滋賀県側)1954年
(京都府側)1955年
起点 滋賀県
大津市松原【北緯34度58分42.4秒 東経135度54分16.9秒 / 北緯34.978444度 東経135.904694度 / 34.978444; 135.904694 (県道3号起点)
終点 京都府
宇治市宇治妙楽【北緯34度53分32.9秒 東経135度48分19.8秒 / 北緯34.892472度 東経135.805500度 / 34.892472; 135.805500 (府道3号終点)
接続する
主な道路
記法
国道422号
E88 京滋バイパス
都道府県道62号標識
京都府道62号宇治木屋線
都道府県道7号標識
京都府道7号京都宇治線
都道府県道15号標識
京都府道15号宇治淀線
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路

滋賀県道・京都府道3号大津南郷宇治線(しがけんどう・きょうとふどう3ごう おおつなんごううじせん)は、滋賀県大津市松原国道口交点を起点に京都府宇治市宇治橋西詰交点に至る主要地方道滋賀県道京都府道)である。

概要[編集]

天ケ瀬ダムダム湖を眼下に臨む観光コースのほか、国道1号の大津方面と国道24号の奈良方面・国道307号の枚方方面とをショートカットする路線である[1]。大津市と宇治市を2車線の道路で結ぶ[2]。起点から瀬田川(淀川)右岸の南郷を経て鹿跳橋付近までは国道422号と重複する[3]。鹿跳橋以降は単独区間となり、瀬田川峡谷の外畑・曽束を経て京都府域に入り、天ケ瀬ダムや平等院付近を経て宇治市市街地に至る[3]

路線データ[編集]

全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

路線状況[編集]

天ケ瀬ダムの補償工事の一環として、県道大津上野線(現:国道422号)や一般県道宇治田原大石東線などと同様に付替工事が実施された[4]。県道大津南郷宇治線(当時の県道宇治瀬田線)はダムの補償工事の一環で建設され、合計5工区に分けて建設された[5]。宇治川(淀川)の渓谷に沿った山岳道路として、道路構造令における第3種の道路として施工された。この時の設計速度は35 km/h(キロメートル毎時)で、幅員は5.0 m(メートル)が基準とされた(ただし、ダムの工事用資材搬入路となる部分は6.0 m)[4]。道路の建設費用はダム工事費と道路改良費との合併施工である[2]

ダムの建設以前は通行不能で荒廃した状態であった[6]。そのため、宇治川ラインの観光客が大津市と宇治市を行き来する場合は、外畑と大峯ダム(天ケ瀬ダム建設により水没)の間を遊覧船で移動していた[6]。この遊覧船は道路開通後も外畑と天ケ瀬ダムの間を結んでいたが、1976年昭和51年)に廃止された[3]

橋梁[編集]

曽束大橋

当路線の主な橋梁を記載する(出典は特記がない限り[7]より)。いずれも橋格は1等橋、設計荷重はTL20として建設されている[7]

  • 生図橋
    • 橋長 : 50.0 m
    • 幅員 : 6.0 m
    • 型式 : 活荷重合成鋼鈑桁橋
  • 宇近川橋
    • 橋長 : 70.0 m
    • 幅員 : 6.0 m
    • 型式 : 活荷重合成鋼鈑桁橋
  • 曽束大橋
    • 橋長 : 109 m
    • 幅員 : 6.0 m
    • 型式 : 中路式2鉸鋼拱橋
    • 天ケ瀬ダムのダム湖を横断するもので、補償工事で設置される橋梁の中では最も長大なものである。河床は厚さ6 - 7 mの砂礫層があったため約110 mの距離を1スパンで架橋しなければならなかった。拱型式(アーチ式)が採用された理由は、両岸に良質な地盤があるため橋台が小さくでき、コストや景観の上でも問題ないと判断されたからである。この付近の瀬田川(淀川)は急流のため、江戸時代にはこの付近の両岸を行きかうには手繰りの渡り船が利用されていた[8]。天ケ瀬ダムの完成で渡し場は水没して交通の便は途絶えたが、曽束大橋の完成によってこの間の交通が復活した[8]
  • 宵待橋
    • 橋長 : 70.0 m
    • 幅員 : 6.0 m
    • 型式 : 主径間台型ラーメン鋼桁橋

重複区間[編集]

  • 国道422号(起点 - 滋賀県大津市石山南郷町)
  • 京都府道62号宇治木屋線(京都府綴喜郡宇治田原町郷之口末山・宇治田原町宵待橋 - 宇治市宇治妙楽・宇治橋西詰交差点)

歴史[編集]

地理[編集]

鹿跳橋付近
滋賀県大津市石山外畑町で撮影
終点付近
京都府宇治市宇治字妙楽で撮影

通過する自治体[編集]

交差する道路[編集]

沿線にある施設など[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 天ケ瀬ダム建設誌編集委員会 1966, pp. 309–310.
  2. ^ a b 天ケ瀬ダム建設誌編集委員会 1966, p. 309.
  3. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1979, p. 174.
  4. ^ a b 天ケ瀬ダム建設誌編集委員会 1966, p. 306.
  5. ^ 天ケ瀬ダム建設誌編集委員会 1966, pp. 308–309.
  6. ^ a b 天ケ瀬ダム建設誌編集委員会 1966, p. 308.
  7. ^ a b 天ケ瀬ダム建設誌編集委員会 1966, pp. 310–311.
  8. ^ a b 大津のかんきょう宝箱 曽束大橋(大石曽束町)”. 大津市環境部環境政策課. 2019年6月2日閲覧。
  9. ^ “道路法第五十六条の規定に基づく主要な都道府県道及び市道 (昭和29年建設省告示第16号)”, 官報 (国立印刷局) 号外第2号: 1-28, (1954年1月20日) 
  10. ^ 昭和29年6月9日滋賀県告示第270号
  11. ^ “府道路線の認定(昭和30年京都府告示第867号)”, 京都府公報 (京都府) 第2937号: 1354-1355, (1955年10月18日) 
  12. ^ 大津市『新修大津市史』 第9巻 南部地域、大津市、1986年11月29日。 

参考文献[編集]

  • 天ケ瀬ダム建設誌編集委員会『天ケ瀬ダム建設誌』近畿地方整備局、1966年3月31日。 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 25滋賀県』角川書店、1979年5月4日。 

関連項目[編集]