梅北町

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梅北町
金御岳南麓(鹿児島方面)の風景 (末吉町市街地、高隈山、桜島)
金御岳南麓(鹿児島方面)の風景
末吉町市街地、高隈山桜島
梅北町の位置(宮崎県内)
梅北町
梅北町
梅北町の位置
北緯31度40分32.624秒 東経131度2分58.142秒 / 北緯31.67572889度 東経131.04948389度 / 31.67572889; 131.04948389
日本の旗 日本
都道府県 宮崎県
市町村 都城市
地区 中郷地区[1]
人口
 • 合計 3,331人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
885-0063[2]
市外局番 0986(都城MA[3]
ナンバープレート 宮崎

梅北町(うめきたちょう)は、宮崎県都城市町丁郵便番号は885-0063[2]。人口は3,331人、世帯数は1,518世帯である[1]

概要[編集]

平地が多く、農業が発達した地域であり、その由来はかつて平季基が、日本最大の荘園である島津荘を設立したことによる。

地理[編集]

市の南部に位置し、東は安久町、西は今町、北は大岩田町・下長飯町、南は鹿児島県曽於市末吉町南之郷と接する[注釈 1]
また、行政地名ではないが、西端に雄児石と呼ばれる地名がある。

河川[編集]

[編集]

歴史[編集]

地名の由来[編集]

一説によると、平重盛の病気平癒祈願のために開かれた西生寺が仁安3年(1168年)にこの地に移転され、梅が植えられたことが由来とされている。

 阿彌陀堂の後、山中にあり、白梅なり、開山尋譽上人、唐土より携え歸て植うるといふ、樹古り、枝垂れて地に着き、朽根の所託なき如し、因て無根梅といふ、又此梅の枝、北方に向て繁茂す、此梅に因て、地名を梅北と號すといふ、今は住古の梅樹枯れて、其種の梅を植ゑ繼き、新樹一株あり、
『三國名勝圖會』
霧島山大曼陀羅院西生寺 ― ◯無根梅[5]

梅北城[編集]

伝承によると、万寿3年(1026年)に、平季基によって築城されたとされ、季基の娘婿(又は孫婿)である伴兼貞肝付氏の祖)が拠点とし、その子孫(肝付氏庶流)が梅北氏を称した。

交通[編集]

梅北インターチェンジ

鉄道[編集]

道路[編集]

バス[編集]

学区[編集]

  • 小学校は都城市立今町小学校もしくは都城市立梅北小学校に[7]、中学校は都城市立中郷中学校に進学する[8]

施設[編集]

都城市立中郷中学校

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

黒尾神社

人口[編集]

都城市ホームページによると、2021年令和3年)6月1日時点での域内の人口は以下の通りである[1]

世帯数
1,518世帯 1,595人 1,736人 3,331人

沿革[編集]

1.都城町 2.五十市村 3.中郷村 4.三股村 5.山之口村 6.高城村 7.沖水村 8.志和池村 9.庄内村 10.山田村 11.高崎村(紫:都城市 青:三股町

地域[編集]

中郷地区梅北町[編集]

  • 益貫
  • 中西
  • 大薗
  • 門貫
  • 片平
  • 城下
  • 京之峯
  • 北原
  • 神応寺
  • 斧研
  • 川ノ上
  • 中野
  • 払川
  • 高樋
  • 女橋
  • 雄児石
  • 緩毛原
  • 高見堂
  • 川内
  • 牟礼木
  • 西生寺
  • 嫁坂
  • 諏訪山
  • 眉白山
  • 内山
  • 大浦
  • 仙人谷
  • 川原谷

参考文献[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 県境付近一帯は大隅国日向国の国境となり、『三国名勝図会』には「国合原」と記されている[4]

出典[編集]

  1. ^ a b c 都城市の現住人口を公表します”. 都城市. 2021年7月11日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2021年7月11日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2021年7月11日閲覧。
  4. ^ 『三国名勝図会』巻之三十六、三十七「國合原」
  5. ^ 『三国名勝図会』巻之五十八、二十九
  6. ^ 都城市街バス路線図” (PDF). 宮崎交通 (2019年4月1日). 2021年6月27日閲覧。
  7. ^ 都城市立小学校通学区域を一覧で紹介します”. 都城市 (2019年10月29日). 2021年6月27日閲覧。
  8. ^ 都城市立中学校通学区域を一覧で紹介します”. 都城市 (2019年10月29日). 2021年6月27日閲覧。
  9. ^ 『都城市史 別編 民俗・文化財』(平成8年、都城市発行)