東京都交通局M形電車

東京都交通局M形電車
M形(1981年撮影)
基本情報
運用者 東京都交通局
製造所 日本車輌製造
製造年 1966年
改造数 2両(2両編成1本)
運用開始 1967年1月1日
運用終了 1984年9月
投入先 上野懸垂線(上野動物園モノレール)
主要諸元
編成 2両編成(M1 + M2)
編成定員 62人(着席62人)
車両定員 31人(着席31人)
車両重量 6 t
編成重量 12 t
編成長 19,000 mm
車体長 9,250 mm
車体幅 1,480 mm
全高 2464.5 mm(集電装置含)
車体 繊維強化プラスチック(FRP)(外板)
固定軸距 1,400 mm
台車中心間距離 5,000 mm
主電動機出力 12 kw
搭載数 4基
出力 48 kw
制御方式 抵抗制御
備考 主要数値は[1][2][3]に基づく。
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東京都交通局M形電車(とうきょうとこうつうきょくMがたでんしゃ)は、かつて東京都交通局が所有していた懸垂式モノレール電車上野懸垂線(上野動物園モノレール)の2代目車両として、1967年から1984年まで17年以上に渡って使用された[1][2][3]

概要[編集]

1957年12月17日に開通した日本初の常設モノレール路線である東京都交通局上野懸垂線(上野動物園モノレール)では当初日本車輌製造製のH形が使用されていたが、老朽化が進んだ事で置き換え用の新型車両が導入される事になった。これがM形電車である[1][2][4]

車体の設計にあたっては、空中を走る懸垂式モノレールという上野動物園モノレールの特徴を活かし、前面上部が突き出した「逆傾斜」デザインをテーマとした上で検討が行われた。この「逆傾斜」デザインは運転台への直射日光の差し込みや前面ガラスへの機器油の落下を防ぐ効果もあり、M形以降上野動物園モノレールに導入された他車にも受け継がれた。車体外板には従来の車両から軽量化を図るため繊維強化プラスチック(FRP)が採用され、組み立ての際にはエッジや凹凸を効かせるためコルゲート構造が応用された。車体全面はアイボリーに塗られた一方、窓下に配された赤帯にはステンレス製の帯が設置されたほか、前面にもステンレス製の飾り帯が存在した[1][2][3]

車内は大人でも支障なく往来が可能なよう車高を出来るだけ確保し、座席も大人が座れるほどの大きさとした。座席配置は運転台側・連結面側は3人掛けのロングシート、それ以外の箇所はクロスシートであり、非常時に備え運転台側ロングシート付近にはズック製のバケットを用いた脱出装置が設けられていた。熱線吸収ガラスと普通ガラスを組み合わせた固定窓は車内の狭さを和らげるため出来るだけ大きくし、車内の通風は屋根上のラインデリアによって行われた。運転台には主幹制御器が設置され、右側のレバーは力行・制動を制御するコントローラで、左側のレバーは進行方向を制御する機能を有していた[2]

主電動機は12 kwのシャントモーターが4基設置されていた。速度制御は界磁制御方式によって行われ、上り勾配走行時には弱め界磁、下り勾配では全界磁とする事で所要時間が一定となるようにした。走行車輪は空気タイヤを用いた[2]

運用[編集]

H形の運用は1966年11月30日をもって終了し、線路整備を伴う1ヶ月程の運用休止期間を経て、翌1967年1月1日からM形の運用が開始された。以降は上野動物園モノレールにおける2代目車両として活躍を続けられたが、1980年代前半には設備も含めて老朽化が進行していた。一時は東京都の財政再建計画としてモノレールの廃止計画が盛り込まれたが、上野動物園を象徴する交通機関としての人気の高さから存続が決定し、施設更新に併せて車両についても3代目にあたる30形に置き換えられる事となり、1984年9月をもって営業運転を終了した[2][3][5]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d 上野動物園モノレール”. 東京都交通局. 2019年12月20日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 江本広一「都営モノレールの新車」『鉄道ファン』第7巻第3号、1967年3月1日、10-11頁。 
  3. ^ a b c d 「上野のモノレールがリフレッシュ」『鉄道ファン』第25巻第7号、1985年7月1日、101頁。 
  4. ^ 上野動物園 モノレール”. 日本車輌製造. 2019年12月20日閲覧。
  5. ^ 草町義和 (2019年2月5日). “上野動物園モノレール、黒字なのになぜ存続危機なのか? 「日本最古」ゆえの事情”. 乗りものニュース. 2019年12月20日閲覧。