本多助豊 本多 助豊(ほんだ すけとよ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。通称左兵衛、平八郎。本多助時の子 [1]。子に本多忠豊がいる。四天王・忠勝の曽祖父。 略歴[編集] 松平長親に仕えた。今川氏親と共に岡崎城を攻めた際、主君長親が助豊を呼び榊原清長と共に先鋒を務めることを命じた[2] 。敵兵は敗走し武功を立てた助豊は松平信忠・清康に歴仕した[2] 。 参考文献[編集] 『寛政重脩諸家譜第一輯』(国民図書、1922年、623p) 脚注[編集] ^ “本多氏”. 2022年9月30日閲覧。 ^ a b 国民図書 1922, p. 623. 外部リンク[編集] この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集