本多助時 本多 助時(ほんだ すけとき、生没年不詳)は、戦国時代の武将。本多定助の子。通称 平八郎、内記。子に本多助豊 がいる[1]。 略歴[編集] かつてより三河国に住み、松平泰親に仕えしばしば戦で軍功があった。文明11年(1479年)、主君松平信光が安祥城を襲う際に大手門より攻め入り味方を鼓舞したという。延徳2年(1490年)の井田の役でも軍功を挙げた [2]。 参考文献[編集] 『寛政重修諸家譜-4輯』(国民図書、1922年、623p) 脚注[編集] ^ “本多氏”. 2022年9月15日閲覧。 ^ 国民図書 1922, p. 172. 外部リンク[編集] この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集