推進運転

客車を先頭にして回送運転を行い、上野駅に向かうE26系客車。前照灯が点灯している。

推進運転(すいしんうんてん)とは、鉄道列車において、進行方向に対して後方に動力車が位置し、後方から列車を推進する形で運行する形態[1]を言う。また、転じて、列車の進行方向最前部車両の前頭以外で運転[2]することを指す用語法もある。日本産業規格(JIS)においては、「列車の最前部以外に連結された動力車によって操縦する運転。」と定義されている[注釈 1]

日本の事例[編集]

尾久車両センター所属の24系客車の先頭に設置された非常ブレーキ弁装置。
苅田港線推進運転用のヨ38000号

鉄道の運転においては、遠隔操縦による運転、自動運転を除けば、列車は進行方向最前部の車両の前頭で操縦[2]することが法令で義務づけられている[3]

機関車牽引をで折り返す際、機回しを省略する場合は推進運転が行われる。この場合、視界の制約その他から速度制限を受けることとなるが、速度制限を緩和するためには進行方向最前部に運転資格者などを乗車させて前方監視・信号確認などを行い、ブレーキの操作も可能とするような方法がとられる。

ワシントン山鉄道をはじめとする登山鉄道では、山麓側を機関車とする列車編成方法がしばしば見られる。大井川鐵道井川線では山頂側(機関車と反対側)に制御車が連結され、勾配を登る井川方面行き列車ではこの制御車から機関車を制御して推進運転が行われる。また嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線では始終端駅に機回し線が設けられていないため、機関車が最後尾となるトロッコ亀岡行きは推進運転となる。制御車を先頭とした運転形態を一般的に「ペンデルツーク」と呼称する。「動力集中方式#プッシュプル方式」を参照。

ディーゼル機関車が普及する以前、トンネルの多い区間での煙害を避ける目的で、蒸気機関車旅客列車の最後尾に配して推進運転が行われていた例がある(紀勢本線荷坂峠付近[4]土讃本線新改付近[5]など)。

推進運転とは、複数の車両を連結した列車における動力車の位置に着目した用語法[1]であるが、これが転じて単行の動力車で前頭以外の運転台で運転する行為(通常、「バック運転」[6]と呼ばれるもの)を「推進運転」と称する例もある[7][8]

推進運転そのものは、過去に鉄道営業法省令である鉄道運転規則(昭和62年3月2日運輸省令第15号)第66条において、後述する上野などにおける例外規定を設けた上で「列車は、推進運転をしてはならない」と定められていたが、現行の鉄道に関する技術上の基準を定める省令(平成13年12月25日国土交通省令第151号)では、推進運転に関する記述は存在していない。

推進運転の際は、原則として運転速度が時速25 km/h以下に速度制限されているが、東北本線上野 - 尾久車両センター間で行われる推進運転(推進回送)については、先頭となる客車に非常時のブレーキ操作を行う推進運転士を乗務させ、信号機と標識の確認を行い、それを機関車の運転士に無線で指示することにより制限速度を時速45 km/hに上げての運転を可能としている[注釈 2]。また、紀勢本線荷坂峠付近などの旅客列車の推進運転でも、列車最前部には簡易制動弁などを取り付け、推進機関士が乗務した[4]

貨物支線において、配線の制約などから推進運転が常用されていた例もある。専用の前方監視用車両が用いられた例もあり、塩釜線末端区間では控車に警笛・非常弁などを設けた車両が、苅田港線ではヨ8000にブレーキ弁設置その他所要の改造を施したヨ38000が用いられた。

現在の事例[編集]

2023年12月現在、通常時に推進運転を行っている事例は以下のとおり。

アメリカ合衆国の事例[編集]

アメリカ合衆国では、1950年代末にシカゴ・ノースウェスタン鉄道(現:メトラ)で、通勤列車の運行合理化の一環として制御客車とディーゼル機関車によるプッシュプル運転が開始されている[9]。当初は推進運転時の脱線を心配する向きもあったものの、結果的には杞憂に終わり[9]、全米の通勤鉄道に広まった。今日でも、メトロノース鉄道グランド・セントラル駅など、頭端式ホームを有する駅から発着するものをはじめとする通勤路線などで旅客営業運転されている。同路線では、2013年12月2日、ディーゼル機関車が後押しする推進運転中の列車が脱線転覆する事故があったが、事故区間のカーブの制限速度は30 mph (48 km/h)とされているなど通常の列車と変わらない速度で運行されている[10]。中長距離列車を運行するアムトラックでも採用例があり、中にはキーストーン・サービスのように110 mph (180 km/h) という高速で運行されている列車もある[11]

アメリカの通勤鉄道における推進運転用客車の例。 シカゴのメトラ アムトラックにおける推進運転用客車の例。 パシフィック・サーフライナー号に用いられるサーフライナー客車
アメリカの通勤鉄道における推進運転用客車の例。
シカゴメトラ
アムトラックにおける推進運転用客車の例。
パシフィック・サーフライナー号に用いられるサーフライナー客車

台湾の事例[編集]

阿里山森林鉄路の各路線の列車は、勾配の下側に機関車を連結した編成で運行されており、勾配を上る列車は推進運転を行う[12]。推進運転時に先頭となる車両には前方監視用の乗務員室・前照灯・警笛が設けられ、乗務員室内には非常ブレーキ弁や無線機がある。機関車の制御機能はなく、機関車にも運転士が乗務し、列車先頭と連絡を取りながら運行する。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ この場合の「操縦」とは、「列車に進行力を与え、操縦者の随意に進行させること」であり、このJISの定義は、進行力を与える動力車の位置については定義しているものの、その動力車を操作する運転者の位置とは関係ない。また、通常は操縦者 = 運転者であるが、上野駅の推進回送や荷阪峠、苅田港線等の場合は、列車先頭で指示を出す者も操縦者となる(『鉄道ピクトリアル』2006年11月号 (No.782) pp.62 - 67)。鉄道事業者等では、総括制御がなく動力車と運転者の位置が必ず同一だった時代からの慣行で、運転者の位置が動力車と離れる電車等の場合も、「推進運転」の語に限り運転者の位置の方に着目した用語法が用いられることもある(ただし、「バック運転」の語の使用も多い(『鉄道ピクトリアル』 2006年12月号 (No.783) p.65))が、本来は動力車の位置に基づく用語であり、JISの定義もそれを裏付けている。
  2. ^ 同区間は約5 kmと距離は短いものの列車の運転本数が非常に多いため、時速25 km/hで推進運転を行ったのでは他列車の運行に支障が出るうえ、列車ダイヤ作成上もネックとなるのでこのような方法による推進運転が行われている。

出典[編集]

  1. ^ a b 鉄道ピクトリアル』 2000年3月号 (No.682) pp.40 - 42、2002年5月号 (No.717) pp.71 - 72、2006年11月号 (No.782) pp.17 - 18・pp.62 - 67等を参照。
  2. ^ a b 「運転」と「操縦」の違いは『鉄道ピクトリアル』2006年11月号 (No.782) pp.62 - 67 を参照。
  3. ^ 日本では、鉄道に関する技術上の基準を定める省令第102条、軌道運転規則第47条。
  4. ^ a b 『鉄道ピクトリアル』 2000年3月号 (No.682) pp.40 - 42
  5. ^ 鉄道ジャーナル』1979年12月号(No.154) pp.79-86
  6. ^ 『鉄道ピクトリアル』 2006年12月号 (No.783) p.65
  7. ^ 鹿児島市電気軌道運転取扱心得、昭和42年鹿児島市交通局規程第61号。
  8. ^ 東京都交通局軌道運転取扱心得、平成11年東京都交通局規程第15号。東京都例規集
  9. ^ a b 沢野周一; 星晃 (1962). 写真で楽しむ世界の鉄道 アメリカ 1. 交友社. pp. 113-114 
  10. ^ “米NYの列車脱線 時速130km/hでカーブに突入か”. CNN. (2013年12月3日). http://www.cnn.co.jp/usa/35040818.html 2013年12月4日閲覧。 
  11. ^ Amtrak National Railroad Passenger Corporation. “The Keystone Corridor”. 2015年10月15日閲覧。
  12. ^ 徳田耕一 『台湾の鉄道』 JTB、1996年、pp.56 - 67

参考文献[編集]

  • 内田正平・阪本静雄「わが国唯一つの駅間(尾久‐上野)推進運転について」『鉄道ピクトリアル』361号、1979年。
  • 鈴木勲「図解運転取扱知識」日本鉄道図書、1981年。

関連項目[編集]