岩越忠恕

岩越 忠恕(いわごし ただひろ、1906年7月4日- 1981年3月19日 )は、日本経営者日産自動車社長。鳥取県出身[1]

来歴・人物[編集]

旧制仙台一中旧制弘前高校を経て、1931年東京帝国大学経済学部商業学科を卒業[1]東京乗合自動車での勤務を経て、1937年日産自動車に転じ、1952年11月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1973年11月から1977年6月までに社長を務めた[1][2]

1971年4月に藍綬褒章を受章し、1976年11月に勲二等旭日重光章を受章した[1][2]

1981年3月19日肝不全のために死去[2]。74歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 興信データ株式會社 1975, い407頁.
  2. ^ a b c 1981年 3月19日 読売新聞 夕刊 p15

参考文献[編集]

  • 興信データ株式會社『人事興信録 第28版 上』興信データ、1975年。