山田明吉

山田 明吉(やまだ あきよし、1915年2月21日 - 1994年11月25日)は、日本の鉄道官僚帝都高速度交通営団総裁を務めた。愛知県安城市出身[1]

経歴・人物[編集]

1937年東京帝国大学法学部を卒業し、同年に鉄道省に入省した[1]。監督局事務官、東京鉄道局旅客課長を経て、1949年から1953年までに内閣官房総務課長を務めた[1]国鉄常務理事、関西支社長を経て、1964年帝都高速度交通営団理事に就任し、1969年から1973年までに国鉄副総裁を務めた[1]

1975年に帝都高速度交通営団副総裁に就任し、1978年には総裁に昇格し、1983年からは顧問を務めた[1]

1987年勲一等瑞宝章を受章した[1]

1994年11月25日心不全のために死去[2]。79歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 「現代物故者事典 1994-1996 p591」
  2. ^ 1994年 11月26日 日本経済新聞 朝刊 p35