尸子

尸子(しし)は、中国戦国時代の思想家、およびその著書。

人名[編集]

史記』孟子荀卿列伝によるとの人だったというが、『史記集解』に引く劉向『別録』はこれを疑い、尸子は)の曲沃の人で、名を(こう)といい、商鞅の食客になっていたが、商鞅が処刑されると、尸子は蜀に亡命したとする。著作に『尸子』20篇、6万言があったという。『漢書』芸文志もほぼ同様だが、の人とする。

書名[編集]

『尸子』は、上記の尸佼の著作で、『漢書』芸文志では雑家に含める。もと20篇があったというが、南宋にいたって失われた。日本から逆輸入した『群書治要』巻36に載せる『尸子』13篇をもとに、その他の書の引用を加えて代に章宗源が輯佚書を作った。これをのちに孫星衍が補訂した『尸子集本』2巻[1]や、さらに汪継培が補った『尸子校正』2巻[2]が現在行われている。

構成[編集]

輯佚書は2巻よりなり、上巻は『群書治要』をもとにした「勧学・貴言・四儀・明堂・分・発蒙・恕・治天下・仁意・広・綽子・処道・神明」の13篇(孫星衍版では『爾雅』疏の引く「広沢」、帰有光『諸子彙函』巻9に見える「止楚師・君治」を加えた16篇)を載せる。下巻は篇名が不明の引用を集めたもの。

故事・熟語[編集]

『尸子』に「天地四方を宇といい、往古来今を宙という」と言う(『世説新語』排調篇の劉孝標注に引く)。「宇宙」という言葉はこれにもとづく。

「渇しても盗泉の水を飲まず」の故事は『尸子』を出典とする(『史記』鄒陽列伝の索隠などに引用する)。

関連文献[編集]

  • Paul Fischer, Shizi: China's First Syncretist, Columbia Univ Press, 2012.

脚注[編集]