富田村 (栃木県)

とみたむら
富田村
廃止日 1959年4月1日
廃止理由 編入合併
足利郡富田村足利市
現在の自治体 足利市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 栃木県
足利郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 9.87 km2.
総人口 5,175
(1950年10月1日)
隣接自治体 足利市佐野市足利郡御厨町
富田村役場
所在地 栃木県足利郡富田村大字駒場
(現・栃木県足利市駒場町748-2)
座標 北緯36度19分06秒 東経139度31分39秒 / 北緯36.31833度 東経139.52747度 / 36.31833; 139.52747 (富田村)座標: 北緯36度19分06秒 東経139度31分39秒 / 北緯36.31833度 東経139.52747度 / 36.31833; 139.52747 (富田村)

足利郡地図。3が富田村。
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富田村(とみたむら)は、栃木県の南西部、足利郡に属していた。現在の足利市富田地区にあたる。

村名は「豊穣な良質米を産出する地が多くみ栄えてゐると云ふ意味」[1]で名付けたものとされる。地理的に足利郡(足利市)と安蘇郡(佐野市)の境界に位置するため、どちらの郡あるいは市に属するかが何度も争われてきたが、最終的には足利市へ編入された。

地理

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歴史

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  • 1889年明治22年)4月1日 町村制施行により周辺7村(駒場村迫間村奥戸村西場村稲岡村多田木村寺岡村)が合併し足利郡富田村が成立する。
  • 1891年(明治24年)3月2日 第1回帝国議会にて、島田太郎提出の安蘇郡への郡換に関する議事が可決される。[2]
    • 12月9日栃木県議会で議案が満場一致で否決されたことを受け、県議会から内務大臣品川弥二郎宛に、「歴史的に足利郡に属し、地理的にも交通至便なので編入する理由がどこにあるのか理解できない」という趣旨で撤回を求める建議書が送られる。[3]
  • 1893年(明治26年)2月18日 両毛鉄道の駅として富田駅開業。
  • 1900年(明治33年)12月19日 大字奥戸を含めた地域の「鉱毒被害地救済にかかる意見書」を内務省へ提出。
  • 1901年(明治34年)5月12日 半数改選選挙実施。
    • 8月29日 選挙結果について、足利郡参事会が無効裁決を可決する。
    • 12月20日 栃木県参事会が選挙結果無効採決を取り消す。同日多田木郵便局が設置される。
    • このころ大字奥戸に鉱毒土が堆積。
  • 1907年(明治40年)6月19日 法務省令第20号で佐野区裁判所富田出張所の設置が公布される。7月1日施行。
  • 1910年(明治43年)10月21日 大字迫間字本郷と大字西場字向の保安林指定が解除される。
  • 1911年(明治44年)8月17日 逓信省令第827号で多田木郵便局を富田郵便局へ改称する旨が告示される。
  • 1913年大正2年)6月19日 赤見軽便鉄道が免許取得。
  • 1915年(大正4年)4月28日 同鉄道開業。
  • 1916年(大正5年)2月7日 村是を制定。紀元節に合わせ2月11日に奉告。
  • 1923年(大正12年)関東大震災の影響で樋管が破損する被害。
  • 1927年昭和2年)10月20日 赤見軽便鉄道廃止。
  • 1934年(昭和9年)11月11日 昭和天皇岡崎山野外統監所へ行幸。錦旗を掲げる。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 富田中学校創立。
  • 9月16日 カスリーン台風による豪雨で約130戸が浸水、両毛線が断絶する被害[4]
  • 1954年(昭和29年)記録的な冷害となり減収。栃木県が合併計画を公布。佐野市との合併が予定される。
  • 1956年(昭和31年) 健康優良児が男女1名ずつ選出される。
  • 1957年(昭和32年)12月7日 土金二郎村長が小沢利吉ら6村議を名誉棄損で起訴する。以前村議が村長に対し背任横領公文書偽造の罪で告訴したものの不起訴となったことに対する反撃であった。12月11日には村議らから不服申し立てが行われている。
    • 12月8日に佐野合併派が村民大会を、12月9日に足利合併派が合併完遂期成同盟発会式を挙行。
  • 1958年(昭和33年)1月28日 消防団長 小沢利吉、副団長 保足祐治・増田佐一が、合併を巡る騒動の責任を取り辞表を提出。
    • 2月7日 村議会議長ら7名が合併を巡る住民投票の実施を県へ陳情。
    • 5月10日 大字稲岡西根西山の西山観音堂木像1体が県重要文化財に指定される。
  • 1959年(昭和34年)4月1日 足利市へ編入され消滅。これにより足利郡内の村はすべて消滅した。

行政

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歴代村長・村議会議長[5]

歴代村長
氏名 在任期間 住所地

(大字)

増田染一郎 1890年6月 - 1891年3月 多田木
阿部伊十郎 1891年6月 - 1895年3月
武井喜三郎 1895年4月 - 1897年6月 稲岡
武井富三郎 1897年6月 - 1898年4月
武井勇太郎 1898年6月 - 11月
阿部伊十郎 1899年1月 - 不明 多田木
武井藤太郎 1903年1月 - 1909年7月 駒場
嶋田太良吉 1909年11月 - 12月 稲岡
豊田竹治郎 1910年2月 - 1913年3月
武井喜三郎 1913年3月 - 1919年12月
小貫茂三郎 1920年4月 - 8月 西場
土金規平 1920年9月 - 1926年2月 稲岡
小倉利一郎 1926年3月 - 1930年6月
嶋田軍蔵 1930年6月 - 1941年6月 寺岡
小貫荒次郎 1941年7月 - 1944年2月 西場
湯沢信一郎 1944年3月 - 1946年11月 駒場
武井藤太郎 1947年4月 - 1951年4月
土金二郎 1951年3月 - 不明 稲岡
歴代村議会議長
氏名 在任期間 住所地

(大字)

武井藤太郎 1946年11月 - 1947年4月 駒場
土金二郎 1947年5月 - 1951年4月 稲岡
大川常造 1951年5月 - 1953年5月 西場
亀田包三郎 1953年5月 - 不明 多田木

教育

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脚注

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  1. ^ 「第十一章 足利郡」『栃木県史 第15巻』下野史談会、587頁。NDLJP:1246495/302(要無料登録要登録) 
  2. ^ 「第四巻 請願に関する議事」『帝国議事要録 第1期』博文館、1887年、628頁。NDLJP:784322/333 
  3. ^ 「建議書」『栃木県県会成議録 明治25年通常会』下野史談会、257頁。NDLJP:784994/133 
  4. ^ 濁流呑むニケ村『朝日新聞』昭和22年(1947年)9月17日、4版、1面
  5. ^ 『栃木県市町村誌』栃木県町村会、1955、818頁。 

関連項目

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