宇都宮市立陽南小学校

宇都宮市立陽南小学校
地図北緯36度32分3.7秒 東経139度51分50秒 / 北緯36.534361度 東経139.86389度 / 36.534361; 139.86389座標: 北緯36度32分3.7秒 東経139度51分50秒 / 北緯36.534361度 東経139.86389度 / 36.534361; 139.86389
過去の名称 西原国民学校越冬分教場
西原国民学校分教場
宇都宮市立西原小学校陽南分校
国公私立の別 公立学校
設置者 宇都宮市
設立年月日 1946年1月24日
共学・別学 男女共学
学校コード B109210000092 ウィキデータを編集
所在地 321-0162
栃木県宇都宮市大和1丁目10-15
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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宇都宮市立陽南小学校(うつのみやしりつ ようなんしょうがっこう)は、栃木県宇都宮市大和一丁目にある公立小学校

沿革[編集]

  • 1946年昭和21年)
    • 1月24日 - 宇都宮市立西原国民学校越冬分教場として横川村大字江曽島(現・陽南第二公園)に冬期限定で開設(児童数76、学級数23、教職員数27)
    • 2月12日 - 越冬が外され宇都宮市立西原国民学校分教場となる。
    • 5月 - 周辺地区ごとに教育後援会が誕生し、1戸当たり5円を拠出した。
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月10日 - 宇都宮市立西原小学校陽南分校と改称(児童数1085、学級数23、教職員数27)
    • 5月10日 - 県下に先がけPTAが結成された
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月10日 - 旧中島飛行機青年学舎校舎(現在地)へ移転
    • 4月1日 - 宇都宮市立陽南小学校として独立開校(児童数1410、学級数26、教職員数31)
  • 1959年(昭和34年)12月19日 - 校歌制定
  • 1967年(昭和42年)2月26日 - 体育館竣工落成記念式典挙行
  • 1969年(昭和44年)12月11日 - 火災により第4校舎10教室焼失
  • 1970年(昭和45年)4月1日 - 宇都宮市立緑が丘小学校の分離開校(児童402名移籍、9学級減)
  • 1973年(昭和48年)4月9日 - 特殊学級開設
  • 1975年(昭和50年)
    • 4月2日 - 新校舎竣工(普通教室数31、特別教室8)
    • 12月1日 - 校旗寄贈
  • 1979年(昭和54年)1月1日 - 体育館移築工事完了(現在地)
  • 1981年(昭和56年)7月9日 - 西グランド(現・陽南第一公園)を宇都宮市へ移管
  • 1982年(昭和57年)7月10日 - プール竣工
  • 1990年平成2年)
    • 9月21日 - 校庭整地工事完了
    • 12月15日 - 校庭遊具(登り棒、滑り台)敷設替え
  • 1992年(平成4年) 8月26日 - 中庭花壇4面完成
  • 1993年(平成5年) 1月17日 - 吹奏楽部全国マーチングバンド・バトントワリング大会で優秀賞を受賞
  • 1995年(平成7年)4月1日 - 言語通級教室開設
  • 1996年(平成8年) 8月31日 - 校舎大規模改修工事完了
  • 1998年(平成10年)11月21日 - 創立50周年記念式実施
南門

陽南分校存廃問題[編集]

1948年(昭和23年)宇都宮市の設置した学校に市税を納めない姿川村横川村の子弟が通う現状を憂い、横川村内にある本校へ市費を投じることに懸念が生じ、分校閉鎖の機運が高まる。姿川村・横川村としても「宇都宮市の学校」として存続は冷ややかであり、村の財政状況から学校を引き継ぐことは不可能であった。1947年には8名の分校卒業生が宇都宮市立一条中学校に入学を許可されたが、1948年度は130余名と激増したため受け入れを拒否され、小学校問題は中学校問題とも連動していった。

2月17日には、分校閉鎖を反対する父兄や地域住民など1,500名が分校から栃木街道・材木町通り・大通りを経由して栃木県庁宇都宮市役所までデモ行進が行われた。

4月10日は宇都宮市内の小学校の入学式であったが、3月に入っても陽南分校の児童には就学通知は未到達であった。入学式当日も市側は「問題解決が間近であるから児童を受け入れを拒否するように」と釘を刺されたが、「教育的良心」から分校側は新入生265人を受け入れた。(児童数1,180名、学級数25、教職員28)

合併問題を優先させてきた宇都宮市と両村は「学校教育の解決こそ先決」と態度を転換した。4月16日、県・市幹部、両村長の4者協議により旧中島飛行機の青年学校舎(現在地)の校舎と敷地の買収が先決であると意見を一致させた。4月27日、陽南分校と中学校は、1市2村の組合立として開校することとなった。5月17日、県知事と富士産業社長との協議で買収費用が400万円に決まり、県が130万円、三者がそれぞれ100万円で旧青年学校舎・敷地を買収し、残額30万円で施設修理費すると決着した。

通学区域[編集]

通学区域は以下の通りである[1]

  • 宇都宮市
    • 江曽島3丁目
    • 江曽島本町
    • 大塚町
    • 春日町
    • 宮本町
    • 八千代1丁目 - 2丁目
    • 大和1丁目 - 3丁目
    • 陽南1丁目の一部、2丁目の一部、3丁目・4丁目

陽南第一公園[編集]

陽南第一公園
  • 旧中島飛行機の社地であったが、戦後は雑草地になっていて、PTAや地元有志が草刈を行なっていた。
  • 富士産業から県・市・地元が購入し、陽南小・中学校や地区の運動会に利用され、常盤の松を残す憩いの場である。
  • ただし、順調に継続したわけではなく、1969年に陽南小学校の校舎が火災で焼失した際には、第一公園を市に移管すれば鉄筋校舎を作るなどの誘いがあったが、地区全体の考えとして広場として残しておくと話をした。

陽南第二公園[編集]

陽南第二公園
  • 陽南小学校発祥の地である。
  • 陽南小学校移転後の1949年8月に県立盲学校が移転してきた。
  • 盲学校が1957年9月に聾唖学校跡地に移転し、跡地は通学生の寄宿舎である「江曽島学園」が作られた。
  • 江曽島学園が1973年に福岡町に移転してからは空き地となっていた。この空き地に県職員住宅建設の計画が出たが地元自治会は「地区内には児童たちの遊び場がない。とくに災害の際にはこの空き地を利用したい」と反対し、陳情を続けた結果、陽南第二公園となり、盆踊りゲートボール会場として住民に親しまれている。

交通[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 市立小・中学校通学区域一覧”. 宇都宮市 (2016年11月25日). 2017年4月28日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『陽南三地区の歴史 -陽南・緑が丘・陽光-』 陽南三地区歴史編さん委員会、2009年3月。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]