奥田英子

奥田英子(おくだ えいこ、1912年 - )は、日本歌手。戦前・戦中を中心に活躍した。別名:ミス・タイヘイ。夫は俳優井染四郎1907年3月8日 - 1943年)。

来歴・人物[編集]

1912年(明治45年)、奈良県出身。

1935年(昭和10年)にタイヘイレコードから歌手デビュー。当初の芸名はミス・タイヘイだった。当時は覆面歌手ミス・コロムビア(松原操、歌手・霧島昇夫人)が大人気を博していた時代であり、タイヘイレコードが対抗馬としてデビューさせたのが奥田であった。

1936年(昭和11年)にテイチクに移籍し「別れの歌」がヒット。古賀政男の作品を多く吹き込み、なかでも映画主題歌として歌った1937年(昭和12年)発売の「緑の月」が代表的なヒットとなった。また、同年には「南国の乙女」、「皇国の妻」と続いてヒットを飛ばすなど人気を誇った。

そして1937年(昭和12年)に「恨みは深し通州城」も吹き込んでいる。 1938年(昭和13年)にはポリドールに移籍。

戦後も昭和30年代まで活躍した。