大村正雄

おおむら まさお
大村 正雄
大村 正雄
1923年の写真。
本名 早坂 正巳 (はやさか まさみ)
生年月日 (1878-10-01) 1878年10月1日
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 秋田県北秋田郡大館町(現在の同県大館市
身長 164.2cm
職業 俳優
ジャンル 新派劇映画現代劇サイレント映画
活動期間 1896年 - 1923年
配偶者
テンプレートを表示

大村 正雄(おおむら まさお、1878年10月1日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3][4][5]。本名早坂 正巳(はやさか まさみ)[1]。芸名の表記は大村 正夫大村 正男と揺れがある[3][4][5]新派の舞台俳優としてキャリアをスタートし、黎明期の日活向島撮影所を支えたスター俳優として知られる[1][2]

人物・来歴[編集]

1878年明治11年)10月1日秋田県北秋田郡大館町(現在の同県大館市)に生まれる[1]

東京に移り、満18歳を迎える1896年(明治29年)、東京府東京市神田区三崎町(現在の東京都千代田区神田三崎町)にあった、川上音二郎の川上座(のちの改良座、現存せず)で初舞台を踏んだ[1]。以降、新派の舞台俳優として、各地の舞台に立った[1]。1918年(大正7年)に発行された『花形活動俳優内証話』によれば、東京に来た経緯は、地元の旧制中学校を2年で中途退学して東京に移り、専修学校(現在の専修大学)に入学、その後、東京専門学校(現在の早稲田大学)に移ったとされている[2]。同書には、佐藤歳三井上正夫の一座にいたこともあるという記述もある[2]

田村成義の『續々歌舞伎年代記』によれば、1901年(明治34年)1月には改良座の『有喜世御殿』に出演、「執事岩淵猛」を演じたほか、同年2月の同座では『狂美人』の「川口包明」、同年3月の同座では『あたりやおきん』の「支那人阿轅・栗野外交官」、同年8月の同座での『財産の行衛』で「渡邊文吉」、1902年(明治35年)7月、浅草宮戸座で『新華族』の「井上甚六・番頭久七」、同年8月、改良座にもどって『當り的』で「書生君塚覚」、翌1903年(明治36年)4月、浅草・常盤座での『後のお梅』で「寺男八助」を演じた記録が残っている[6]

1913年(大正2年)、日活向島撮影所に入社して映画俳優となり[1]、満35歳となった同年12月に公開された『橘花子』(監督小口忠)に主演している[3][4][5]。1919年(大正8年)、リメイク版『復活』(田中栄三)や、『恋の津満子』(監督小口忠)に出演後、同社を退社し、舞台に戻る[1][3][4][5]

1922年(大正11年)、国際活映(国活)に入社、かつて日活向島撮影所にいた細山喜代松の監督作に出演する[1][3][4]。1923年(大正12年)に発行された『現代俳優名鑑』によれば、当時、大村は東京府北豊島郡尾久村大字上尾久(現在の東京都荒川区西尾久)に住み、身長は5尺4寸2分(約164.2センチメートル)、体重16貫200匁(約60.8キログラム)、喫煙習慣はなく、登山と政治を趣味とした[1]。同年4月には国活が経営危機に陥り、前年に日活向島撮影所から国活に移籍していた衣笠貞之助島田嘉七宮島健一らとともに、京都に牧野省三が設立したマキノ映画製作所へ移籍、おなじく日活向島出身の桝本清が監督した『再生』に出演し、同作は同年7月3日に公開されたが、同作以降の映画出演歴が不明である[3][4]。したがって、満45歳以降の消息は不明で、没年不詳となっている。

フィルモグラフィ[編集]

クレジットはすべて「出演」である[3][4]。公開日の右側には役名[3][4]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[7][8]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。資料によってタイトルの異なるものは併記した。

日活向島撮影所[編集]

うき世』(1916年)出演時、満37歳。左が大村、右が立花貞二郎

すべて製作は「日活向島撮影所」、配給は「日活」、すべてサイレント映画である[3][4][5]

  • 二人静』 : 監督小口忠、脚本新海文次郎、原作柳川春葉、1917年1月14日公開 - 主演
  • あかね染』 : 監督不明、1917年1月14日公開
  • あわ雪』 : 監督不明、1917年1月26日公開
  • 竜巻』 : 監督不明、原作渡辺霞亭、1917年2月1日公開
  • 罪の子』 : 監督不明、1917年2月5日公開
  • 憂き身』 : 監督不明、原作柳川春葉、1917年2月15日公開 - 主演
  • 若き女の半生』 : 監督不明、1917年2月15日公開 - 主演
  • 迷の夢[3][4](『迷ひき夢』[5]) : 監督不明、1917年2月28日公開 - 主演
  • 通夜物語』 : 監督小口忠、原作泉鏡花、1917年3月1日公開
  • 毒草』 : 監督小口忠、脚本桝本清、原作菊池幽芳、1917年3月11日公開
  • 八重霞』 : 監督不明、1917年3月11日公開
  • 春の炎[3][4](『春の焔』[5]) : 監督不明、1917年3月28日公開
  • 己が罪』 : 監督不明、原作菊池幽芳、1917年4月7日公開 - 主演
  • 故郷[3][4](『春の雲』[3][4][5]『花の雲』[5]) : 監督不明、脚本桝本清、1917年4月13日公開
  • 春の海』 : 監督不明、原作渡辺霞亭、1917年4月23日公開 - 主演
  • 都鳥』 : 監督不明、1917年4月28日公開
  • 銀の鍵』 : 監督不明、1917年5月6日公開
  • 『小松島』 : 監督不明、原作青木緑園、1917年5月7日公開
  • 結婚の夜』(『婚礼の夜』[5]) : 監督不明、製作日活京都撮影所、1917年5月11日公開
  • 捨小舟』 : 監督不明、1917年5月20日公開
  • 旅衣』 : 監督不明、1917年5月21日公開 - 主演
  • 後の仇浪宮島心中』(『宮島心中』[5]) : 監督不明、1917年6月1日公開 - 主演
  • 誘惑』 : 監督小口忠、脚本桝本清、原作徳田秋声、1917年6月10日公開 - 泰造[10]
  • 青葉の宿[4][5](『若葉の宿』) : 監督不明、1917年6月11日公開 - 主演
  • 雨夜の女』 : 監督不明、1917年6月21日公開
  • 露の契』(『露のちぎり』[4][5]) : 監督不明、1917年6月30日公開
  • 無縁の塔婆[4][5](『無縁の搭婆』[3]) : 監督不明、1917年7月13日公開
  • 浪まくら』(『浪枕』[5]) : 監督不明、1917年7月22日公開 - 主演
  • 夕刊売』 : 監督不明、1917年7月28日公開
  • 恋の一念』 : 監督不明、1917年8月12日公開
  • 女ごころ』(『女心』[5]) : 監督不明、1917年8月26日公開 - 石川英吉
  • 子故の闇』 : 監督不明、1917年9月9日公開
  • 白萩』 : 監督不明、1917年9月9日公開
  • 木の間の月』(『樹間の月』[5]) : 監督不明、1917年9月30日公開
  • 秋の声[3][4](『三人少尉』[3][4][5]) : 監督不明、1917年10月7日公開
  • 姫百合』 : 監督不明、1917年10月7日公開
  • さんざ時雨』 : 監督不明、1917年10月17日公開
  • 手向の曲』 : 監督不明、1917年10月18日公開
  • 孔雀草』 : 監督不明、1917年10月31日公開
  • 秋之助とお澄』 : 監督不明、1917年11月12日公開
  • 雁のたより』(『雁の便り』[5]) : 監督不明、1917年11月29日公開
  • 霜夜の月』 : 監督不明、1917年12月10日公開
  • 黒潮』 : 監督不明、1917年12月14日公開
  • 女の誓』 : 監督不明、1917年12月31日公開
  • 落椿』 : 監督不明、1918年1月11日公開
  • 七色指環』 : 監督小口忠、脚本田中栄三、1918年1月13日公開 - 主演
  • 女気質』 : 監督小口忠、1918年2月1日公開
  • 犠牲』 : 監督小口忠、1918年2月1日公開
  • 二人娘』 : 監督小口忠、脚本桝本清、1918年2月28日公開
  • 忘れ子』(『わすれ子』[5]) : 監督小口忠、原作渡辺黙扇、1918年2月28日公開
  • 』 : 監督田中栄三、脚本岩崎春禾、原作岡本綺堂、1918年3月16日公開
  • 生ける屍』 : 監督田中栄三、脚本桝本清、原作レフ・トルストイ、1918年3月31日公開
  • 金色夜叉』 : 監督小口忠・田中栄三、脚本桝本清、原作尾崎紅葉、1918年4月12日公開
  • 桜の家[5](『桜の園』) : 監督田中栄三、脚本桝本清、原作佐藤紅緑、1918年4月15日公開
  • 涙の雨』 : 監督小口忠、脚本岩崎春禾、1918年4月30日公開
  • 続金色夜叉』 : 監督小口忠、脚本岩崎春禾、原作長田幹彦、1918年5月1日公開
  • 黒水晶』 : 監督田中栄三、脚本栗島狭衣、原作渡辺霞亭、1918年5月13日公開 - 主演
  • 乳姉妹』 : 監督田中栄三、脚本岩崎春禾、原作菊池幽芳、1918年5月17日公開
  • 兄と弟』 : 監督小口忠、脚本桝本清、1918年5月26日公開
  • 父の涙』 : 監督田中栄三、脚本桝本清、1918年6月1日公開
  • うすき縁[3][4](『薄き縁』[5]) : 監督田中栄三[3][4](小口忠[5])、脚本鬼頭磊三、1918年6月6日公開
  • 国の誉[3][4](『国の誉踏切番』[5]『ひもんや美談』[3][4]『ひもんやびだん』[5]) : 監督小口忠、脚本桝本清、1918年6月18日公開
  • 夕潮』 : 監督小口忠、脚本岩崎春禾、原作長田幹彦、1918年6月18日公開
  • 侠艶録』 : 監督田中栄三、原作佐藤紅緑、1918年7月1日公開
  • 子煩悩』 : 監督田中栄三、原作伊原青々園、1918年7月18日公開
  • 月魄』 : 監督不明、1918年7月18日公開
  • つきぬ恨』 : 監督田中栄三、脚本舟橋碧川[3](桝本清[4][5])、1918年8月4日公開
  • 乳屋の娘』 : 監督田中栄三、脚本遅塚麗水、1918年8月31日公開
  • 乃木将軍』(『噫、乃木将軍』) : 監督小口忠、脚本岩崎春禾、字幕北山清太郎、1918年9月1日公開
  • 女一代』 : 監督小口忠、原作柳川春葉、1918年9月15日公開
  • 新召集令』 : 監督小口忠、脚本桝本清、1918年9月30日公開
  • 恋の浮島』 : 監督不明、原作江見水蔭、1918年10月1日公開
  • 松風村雨』 : 監督田中栄三、1918年10月13日公開
  • 復活』(『カチューシャ』) : 監督田中栄三、1919年2月1日公開[5] - シモンリン[11]
  • 恋の津満子』 : 監督小口忠、脚本桝本清、1919年9月27日完成・1920年公開[12]

国活巣鴨撮影所[編集]

すべて製作は「国活巣鴨撮影所」、配給は「国際活映」、すべてサイレント映画である[3][4]

マキノ等持院撮影所[編集]

すべて製作は「マキノ等持院撮影所」、配給は「マキノ映画製作所」、すべてサイレント映画である[3][4]

  • 再生』 : 監督桝本清、1923年7月3日公開 - 主演

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j 揚幕社[1923], p.14-15.
  2. ^ a b c d 天野[1918], p.78-80.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 大村正男日本映画データベース、2013年3月14日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 大村正雄大村正夫、日本映画情報システム、文化庁、2013年3月14日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah 大村正雄大村正夫日活データベース、2013年3月14日閲覧。
  6. ^ 田村[1922], p.890, 895, 899, 915, 950, 955, 980.
  7. ^ 所蔵映画フィルム検索システム東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年3月14日閲覧。
  8. ^ 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇マツダ映画社、2013年3月11日閲覧。
  9. ^ 日活向島と新派映画の時代展早稲田大学演劇博物館、2013年3月14日閲覧。
  10. ^ 徳田[2004], 改題 p.25.
  11. ^ 御園[1990], p.25.
  12. ^ 恋の津満子、日活データベース、2013年3月14日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]