坂東楽善

ばんどう らくぜん
坂東楽善
屋号 音羽屋
定紋 鶴の丸 [1] 坂東家の家紋
生年月日 (1943-03-31) 1943年3月31日(81歳)
本名 坂東 輝彦
襲名歴 1. 四代目坂東亀三郎
2. 八代目坂東薪水
3. 二代目坂東亀蔵
4. 八代目坂東彦三郎
5. 初代坂東楽善
俳名 楽善
出身地 東京都
十七代目市村羽左衛門
兄弟 二代目市村萬次郎
四代目河原崎権十郎
長男:九代目坂東彦三郎
次男:三代目坂東亀蔵
公式サイト 坂東楽善・坂東彦三郎・坂東亀蔵オフィシャルサイト

坂東 楽善(ばんどう らくぜん、1943年3月31日 - )は、日本の俳優歌舞伎役者。屋号音羽屋定紋鶴の丸替紋八重片喰。歌舞伎名跡「坂東彦三郎」の先代。本名は坂東 輝彦(ばんどう てるひこ)。暁星高等学校卒業[2]

立役で、時代物世話物も幅広くこなす歌舞伎俳優として活躍中。弟に二代目市村萬次郎四代目河原崎権十郎が、子に九代目坂東彦三郎と三代目坂東亀蔵がいる。

来歴[編集]

1943年(昭和18年)3月31日十七代目市村羽左衛門の長男として東京に生まれる。

1950年(昭和25年)6月新橋演舞場の『菅原伝授手習鑑』「寺子屋」の菅秀才で四代目坂東亀三郎襲名して初舞台。舞台活動の傍ら映画やテレビドラマの子役として活躍した。

1965年(昭和40年)、歌舞伎座寿曾我対面』の朝比奈三郎で八代目坂東薪水を襲名。1966年7月、「結核性脳髄膜炎[3]」という大病を患い一時的に舞台から遠ざかることもあったが、それも克服・再起して1972年(昭和47年)5月、歌舞伎座『名橘誉石切』(石切梶原)の梶原平三で二代目坂東亀蔵を襲名する。

1980年(昭和55年)2月歌舞伎座『源平布引滝』「実盛物語」の斎藤実盛、『彦山権現誓助剣』(毛谷村)の毛谷村六助で八代目坂東彦三郎を襲名した。

2017年5月、長男の五代目坂東亀三郎に坂東彦三郎の名を譲り、坂東楽善をとして名乗る[1]。(隠居名ではない。)

受賞歴等[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b 彦三郎、亀三郎、亀寿が「襲名を祝う会」で語った思い”. かぶきびと (2017年1月30日). 2017年2月13日閲覧。
  2. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.556
  3. ^ 23歳の頃に結核性脳髄膜炎を “インタビューvol.1 歌舞伎役者 坂東彦三郎丈”. 社会福祉法人木下財団. (2017年4月3日). http://www.kinoshita-zaidan.or.jp/interview-2/294/ 2022年1月9日閲覧。 
  4. ^ 坂東彦三郎さんが旭日双光章を受章”. 歌舞伎 on the web (2013年11月5日). 2015年2月17日閲覧。
  5. ^ 平成25年秋の叙勲” (PDF). 内閣府. 2015年2月17日閲覧。

外部リンク[編集]