周立波

周 立波
ペンネーム 張一柯、張尚斌
誕生 周紹儀
(1908-08-09) 1908年8月9日
湖南省益陽県鄧石橋郷
死没 1979年9月25日(1979-09-25)(71歳)
中華人民共和国の旗 中国 北京市
職業 小説家
言語 中国語
国籍 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
最終学歴 上海労働大学
活動期間 1939年-1979年
ジャンル 小説
代表作 『暴風驟雨』
『山郷巨変』
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周 立波
各種表記
繁体字 周立波
簡体字 周立波
拼音 Zhōu Lìbō
ラテン字 Chou Li-Po
和名表記: しゅう りつは
発音転記: ヂョウ・リーボー
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周立波故居

周 立波(しゅう りつは、拼音:Zhōu Lìbō、1908年8月9日 - 1979年9月25日)は、中華人民共和国の小説家[1]。本名は周紹儀。最初の名は周鳳翔、周菶梧。筆名は張一柯、張尚斌。代表作に小説『暴風驟雨』『山郷巨変』[1]

略歴[編集]

1908年8月9日、湖南省益陽県鄧石橋郷(現在の湖南省益陽市赫山区謝林港鎮清渓村)で生まれた[2]。益陽県第一高等小学堂を経て、1924年、長沙省立第一中学に進学[2]。1929年に上海労働大学に合格した[2]

1932年2月に宣伝扇動ストによって2年間投獄された[2]。1934年10月に中国左翼作家連盟に参加し、1935年に中国共産党に加入した[2]。1937年から1938年まで中国共産党の本拠地である晋察冀辺区に行き、その後武漢に滞在、さらに、湖南沅陵などで共産党の活動を行う。

1939年5月、桂林で「救亡日報」の編集者、同年11月に延安魯迅芸術学院で働き、論文「阿Qを論ず」、小説「記念」、「夏の夜」、「雀」などを書いている[2]

1944年11月、南征中国語版に従軍し湖南省と広東省に赴いた。1946年10月、土地改革に参加するために中国東北部へ行く。

1948年12月、『暴風驟雨』を発表[2]。1966年、毛沢東の1959年の韶山訪問を宣伝するエッセイ「韶山の祭り」を発表した。この記事のせいで文革中に迫害され、5年間投獄された。 1973年に釈放され、1975年に治療のため北京に行った。

1978年3月23日、羅瑞卿は人民日報に記事を掲載し、「韶山の祭り」は上場の際に楊開慧(毛沢東の妻、1930年に長沙で国民革命軍の一系統である湖南軍の指導者・何鍵により銃殺された。当時、彼女はまだ29歳だった。)について言及したため批判されたと述べた。江青の嫉妬で「韶山の祭り」事件はでっち上げられた[2]

文化大革命(文革)では激しい批判を受けたが、文革後に名誉を回復する[2]

1978年6月に発表した短篇小説『湘江一夜』が全国短篇小説賞一等賞を受賞した[2]

1979年9月25日に北京において71歳で病没[2]

著作[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 王暁天; 王国宇, eds (2013.06) (中国語). 湖南古今人物辞典. 湖南省長沙市: 湖南人民出版社. pp. 963. ISBN 978-7-5438-9239-2 
  2. ^ a b c d e f g h i j k “周立波” (中国語). library.hn.cn. http://www.library.hn.cn/hxrw/xdrw/wxlmr/zhoulibo.htm