利用者:Ayasam

Wikipedia:バベル
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Ayasam(本名非公開)はごくごく平凡な学生。東京都郊外のある町のある一軒家に在住。 Wikipediaの編集は2006年6月29日からログインユーザーとして参加している。 小中高校全て公立で、高校はそこそこ良い所に通っているが、周りが普通に頭良すぎなのでちょっと泣きたくなっている。パラドックスに非常に興味を持っていて、友人に話をしては苦笑され続けている。そのくせ戦艦大和も好んでいて、友人に46センチ主砲などの話をしては苦笑され続けている。

よく書くページ・分野[編集]

主に小説(ライトノベル)中心でやっています。自分の気に入った本で、ページの骨組みさえできていないものを中心に投稿しています。(自分の気に入った本が投稿されないようなマイナーなものの可能性もありますが・・・)。

よく見るページ・分野[編集]

初版投稿した記事[編集]

 どうもうっかりものなのでログインをよく忘れて投稿してしまいます。すいません。

その他編集した項目・記事[編集]

何気に自慢できる事[編集]

雑記[編集]

 浅い哲学的思考で思った事をつらつらと書いています。

  • 運命という言葉があるが、では運命は実際にあるのかといえばどうにも言えない。もし運命があっても、自分たちはそれが「ある」とは分かり得ないからだ。よくアニメで「運命を変える」なんて言うが、運命は遠かれ近かれ未来に起こることを指すわけで、そしてその未来で起こる事なんて誰がどのようにしたって分からないからだ。まあ仮に運命を変えられたとしても、それは「運命を変えるという運命」が存在すると言えるので、やはり運命があるとは誰にも言えないのだ。
  • 未来は無限の「道」があると考えられる。この数秒後に転ぶかもしれないし、特に何もなく過ぎるかもしれない。隕石が衝突して地球が滅ぶ可能性だってゼロではない。そんな分岐点の多さに人は迷い、悩み、時に逃げようとする。それに比べて過去は常に一本道である。いくら道が多かろうと、振り返った道はそのまま自分が通ってきた道である。時間は振り仰ぐより、振り返るほうが簡単なのだ。「今年もあっという間に過ぎたね」。こう言うのは、そのためだ。

パラドックスについて[編集]

 タイムマシンがデフォルトで使用されているドラえもんを読みながら思ったこと。

  • 何話かは忘れたが、のび太が未来を写すカメラで自分の宿題を撮り、そこに書かれていた答えをそのまま写している部分がある。のび太がそれを写したことで宿題は完成されているので、一見筋は通っているようにも見える。しかしそれはまったくの間違いである。のび太が写した宿題(仮に宿題aとおく)は、過去ののび太がそのカメラで撮った宿題を写したものである(ここでカメラで撮った宿題を宿題bとおく)。この宿題bはカメラで撮った宿題cで写されたもので、その宿題cは・・・。と、ぐるぐる回り続ける。要は元の宿題の答えを書いた人はだれなのかという話になる。しかし宿題は果てしなく「写され」続けられるのだから、その宿題を実際にノートに書いた人はいない。つまり宿題は完成されていないのである。ここではのび太が撮った写真に宿題の答えが書かれたノートが写っている時点ですでにパラドクッスは始まっているのである。仮にこのカメラが実在したとして、実際にやってみたら、そこには白紙のノートが写されるに違いない。
  • のび太がタイムマシンに乗って未来へ行き、そこで未来の自分に会うという表現がよく見られるが、そもそも未来(仮に十年後だとする)へ行って未来の自分に会えるのだろうか。仮に未来に行ったら未来の自分がいるとして、その未来の自分はどこの自分の未来の結果なのだろうか。のび太が未来へ行っている間、その時系列上にのび太は存在せず、未来について初めてそこにのび太が存在することとなる。つまり大人になるはずののび太など存在しないのだ。それでは未来ののび太は一体誰の未来の結果なのだろうか・・・。
  • 上記の事を解決する手段として、まず「時間は連続したものではなく、細かい断片的なものの連なり」だと考えるとよい。つまり今の自分。一秒後の自分。一秒前の自分。など、細かい時間としての世界が重なり合っていると考えるのだ。これは平行世界、いわゆるパラレルワールドの考え方と同じことである。つまり未来へ行こうとするのび太は、その未来(「今」から見て十年という時間が流れている世界)に平行移動したのだ。そこではその世界に住んでいるのび太の成長した姿がある。よってのび太は未来の自分に会えるのだ。尤もこの場合の未来の自分は、「十年早く時が流れている別世界の自分」となるので、厳密に言うとのび太の未来の姿ではないが。
  • ここでタイムマシンそのものについて考えてみる。タイムマシンは文字通り時間を移動するための機械だが、ただ単純に時間だけを移動したら大変なことになる。作中ではタイムマシンの縮小版として押すだけで時間を移動できる懐中時計のような道具が出ていたが、時間だけで空間は移動できないようである。しかしそれが本当だとすると、それはもう欠陥商品といってもよい。もし一時間だけでもそれで時間移動すれば、たちどころにのび太たちは宇宙空間に投げ出されることとなるからだ。地球は太陽の周りをすさまじい速さで公転しており、一時間後とその前は決定的な位置の異相が見られる。空間を固定していると、一時間後、地球がはるか遠くへ去っていったところにのび太は現れることになる。そんなわけで、タイムマシンには時空転移装置のほかに空間転移装置もデフォルトでつけなければならないだろう。