保田棟太

保田棟太

保田 棟太(やすだ むねた、1856年9月1日安政3年8月3日) - 1919年大正8年)6月28日[1])は、教育者。東京物理学講習所(後の東京物理学校、現在の東京理科大学)の創立者の一人である。

経歴[編集]

  • 1856年(安政3年) - 豊後国に生まれる。
  • 1870年明治3年) - 大阪の開成所に入る。
  • 1874年(明治7年)2月 - 開明学校(旧開成所)から、東京開成学校に転入学。天文学、諸芸を修める。
  • 1875年(明治8年) - 東京大学仏語物理学科入学。
  • 1880年(明治13年)7月 - 東京大学仏語物理学科第3期卒業。
  • 1881年(明治14年) - 東京物理学講習所の創立者の一人となる。
  • 1885年(明治18年) - 東京物理学校維持同盟員となる。
    後に、第一高等学校教授を務め、約30年教師生活を送る。

訳書[編集]

  • ア・ルビエール(Alphonse Rebiere)原著、保田棟太譯述『三角法教科書』、1900年(明治33年)9月

脚注[編集]

  1. ^ 『東京物理学校五十年小史』(東京物理学校、1930年)p.196