亀井俊雄

亀井 俊雄(かめい としお、 1896年2月23日-1969年12月14日)は、日本の能楽師大鼓方葛野流人間国宝

経歴[編集]

1896年(明治29年)、東京で生まれる。1909年(明治42年)に池内信嘉が主宰する能楽会に入る。 当初は謡を勉強していたものの、囃子方に人がいないということで囃子方に回される。 川崎九淵に師事した後に東京音楽学校に入学、卒業[1]

第二次世界大戦後は能楽協会の復興を支え、日本能楽会を設立に寄与。晩年まで同会理事を務めた。また囃子方による囃子科協議会を設立して地位の向上に努めた[2]。 1968年(昭和43年)に重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受けた[3]後、吉見嘉樹引退のあとをうけて宗家預かりとなる。 1969年(昭和44年)12月14日、脳梗塞のため東京都中野区の自宅にて死去。73歳[4]

脚注[編集]

  1. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)”. 小学館. 2022年1月8日閲覧。
  2. ^ 【亀井保雄 先生】宝生流能楽師をもっと身近に。”. note. 2022年1月8日閲覧。
  3. ^ 人間国宝に七氏『朝日新聞』1968年(昭和43年)3月12日朝刊 12版 14面
  4. ^ 訃報欄『朝日新聞』1969年(昭和49年)12月15日朝刊 12版 15面

関連項目[編集]