ルイーズ・ホイットフィールド・カーネギー

ルイーズ・ホイットフィールド・カーネギー
Louise Whitfield Carnegie
生誕 Louise Whitfield
(1857-03-07) 1857年3月7日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク市
死没 1946年6月24日(1946-06-24)(89歳)
墓地 スリーピー・ホロウ墓地英語版
配偶者
子供 マーガレット・カーネギー・ミラー
    • John D. Whitfield
    • Fannie Davis
親戚
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ルイーズ・ホイットフィールド・カーネギー(Louise Whitfield Carnegie、1857年3月7日 - 1946年6月24日)は、実業家慈善家アンドリュー・カーネギーの妻である。

生涯[編集]

ルイーズ・ホイットフィールドは、1857年3月7日ニューヨーク市マンハッタンチェルシー地区で生まれた。父はジョン・D・ホイットフィールド、母はファニー・デイヴィスで、いずれも1600年代にイングランドから移住した移民の子孫である[1]

左から2人目から、夫のアンドリュー、娘のマーガレット、ルイーズ

23歳の時、ルイーズはアンドリュー・カーネギーと出会った。当時アンドリューは45歳で、父よりも歳上だった[1]。1887年4月22日、30歳のルイーズは51歳のアンドリューと結婚した。結婚式はルイーズの家で内輪だけで行われ、ルイーズの両親が所属していたニューヨーク第四同仁教会の牧師が司式した[2]。結婚の際、夫はルイーズに51丁目西4番地にある家(以前はコリス・ハンチントン英語版が保有していた)を譲渡し、毎年2万ドル(現在の物価換算で約60万ドル)を渡すことを提案した[3]が、ルイーズはそれを固辞し、アンドリューの財産に対する全ての請求権を放棄する婚前契約に署名した。アンドリューはその代わりに、年間2万ドルの収入に相当する株式や債権をルイーズに渡した[1]

その10年後の1897年、40歳の時に、夫妻の唯一の子供であるマーガレットを生んだ。

ルイーズは1946年6月24日にマンハッタンにおいて89歳で死去した[1]。遺体はスリーピー・ホロウ墓地英語版に埋葬された。

慈善活動[編集]

ルイーズは亡くなるまでニューヨーク・カーネギー財団の評議員を務めた。アンドリューはルイーズの助言により、1883年から1929年までに2500以上の図書館に助成を行った[1]

1919年に夫が亡くなった後もルイーズは、アメリカ赤十字社アメリカYWCA英語版セント・ジョン・ザ・ディヴァイン大聖堂、多くの第二次世界大戦救援基金などに対して慈善活動を続け、ユニオン神学校に10万ドルを寄付した。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e Louise and Andrew Carnegie: A Partnership” (英語). www.carnegiehall.org. 2021年5月12日閲覧。
  2. ^ David Nasaw, Andrew Carnegie, (Penguin, 2007) p. 296 ISBN 0-14-311244-9, 978-0-14-311244-0
  3. ^ MR. CARNEGIE'S WEDDING.; STARTING FOR EUROPE WITH HIS BRIDE, MISS LOUISE WHITFIELD., published April 23, 1997, in the New York Times;

参考文献[編集]

  • Hendrick, Burton Jesse, and Daniel Henderson. 1950. Louise Whitfield Carnegie; The Life of Mrs. Andrew Carnegie. New York: Hastings House.
  • Krass, Peter. 2002. Carnegie. New Jersey: John Wiley & Sons.
  • Nasaw, David. 2006. Andrew Carnegie. New York: Penguin Press.
  • "Mr. Carnegie's Wedding" The New York Times, April 23, 1887.
  • "Mrs. Carnegie Dies; Steel Man's Widow", The New York Times, June 25, 1946.
  • "Rites in Home for Mrs. Carnegie", The New York Times, June 28, 1946.