ユングヴィ

ウプサラの神殿の建設にあたるユングヴィ・フレイ。Hugo Hamiltonによる。(1830年)

ユングヴィ (Yngvi) または イングイ (Ingui)、イング (Ing) は、北欧神話に登場する神フレイの古い時期の名前であったと考えられている。「フレイ」というのは元々「支配者」を意味する形容語句であった[1]

イング (Ing) は、タキトゥスの『ゲルマニア』に登場する神マンヌスの、3人いる息子のうちの1人の名であった[2]

それは、北海沿岸にいたゲルマン民族の一派、インガエウォネース族の伝説的な祖先の名である[3]

さらに、エルダーフサルク(古い時代のルーン文字)にある「 ŋ 」の再建された名前でもある。

スウェーデンノルウェーの男性名である「Yngve」はユングヴィに由来する。

ゲルマン語派における「Ing」[編集]

ヤーコプ・グリムの著書『Teutonic Mythology』をはじめ、多くの研究者は、北欧のユングヴィがもともとイング(または、インゴ (Ingo)、イングイ (Ingui))と同一だった可能性があると考えた。

ゲルマン語派である古英語ノルウェー語デンマーク語スウェーデン語アイスランド語での語幹「Ing-」はたいていがイングワズと関連があると考えられている。

ルーン文字における「Ing」[編集]

ルーン文字の「ŋ」

古い時期のルーン文字には「ŋ」を表す文字があり[4]、ゲルマン語の原名では「inguz」[5]古英語では「Ing」と呼ばれている[4]。この名前はイング神 (Ingwaz) を指していると考えられている[6][7]

古英語によるルーン詩は、イングの名前を挙げている。

Ing wæs ærest mid Eástdenum
gesewen secgum, oð he síððan eást
ofer wæg gewát. wæn æfter ran.
þus Heardingas þone hæle nemdon.
(原文は en:Yngvi 2007-04-15 17:33 UTC の版より引用。)
大意:
イング (Ing) は最初はイースト・デーンの中で見られた。彼が海を越えて行くまでは。彼の貨車が彼に続いた。よって戦士達は彼を英雄と呼んだ[8]

北欧神話における「Yngvi」[編集]

北欧神話に登場するユングヴィ(もしくはイングヴィ)は、スウェーデン王家における伝説的な王朝、ユングリング家の血統の祖先であるとされている[9]。また、最も初期の、歴史上実在したとされるノルウェーの王は、その血統から分離していったともいわれている。 (フレイの項目を参照)

ユングヴィに関する情報は、伝承ごとに次のように違っている。

  • ユングヴィとは神フレイの名前であり、「主人」を意味する語「フレイ」が彼の一般に知られる称号であるのに対し、「ユングヴィ」がおそらくは本当の名前であろう[1]。『ユングリング家のサガ』と『デンマーク人の事績』において、フレイの名は「スウェーデン王」の婉曲な表現とされた。
  • アイスランド人の書』においては、「Yngvi Tyrkja konungr」つまり「トルコのユングヴィ王」は、即位順ではユングヴィ・フレイ(ユングリング家の祖)の父であるニョルズの父として現れる[11][12]
  • ノルウェー史』では、Inguiがスウェーデンの最初の王であり、ニョルズ(フレイの父)の父だとされている。
  • スノッリの記した『散文エッダ』第二部『詩語法』には、古代の優れた王ハールヴダン老王 (en:Halfdan the Old) の息子たちが登場する。全員の名が古北欧語で「王」や「支配者」を意味している語である9人の息子と、他に、そこからユングリング一族が生ずるとされるユングヴィを含む、いろいろな王家の血統の祖先となる9人の息子である[13]。しかしスノッリはその直後に、ハールヴダンの息子としてではなく4つの王朝の父となる4人の名士の情報を付け加えている。そこにまた、「ユングヴィからユングヴィ一族が発する」との記述がある[13][注釈 1]。『詩語法』ではまた、ユングヴィを「王」のケニングとして用いた詩が紹介されている[15]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ なお、『ユングリング家のサガ』では、ユングヴィ・フレイの直系子孫であるアルレク (Alrek) の息子で、スウェーデン王の位をその兄弟アールヴ (Alf) と共有したもう一人のユングヴィ(ユンヴィとも。Yngvi)が紹介されている[14]

出典[編集]

  1. ^ a b 山室 (1982b), p. 112.
  2. ^ タキトゥス, 泉井訳註 (1979), pp. 30, 33.(「2 ゲルマーニアの太古」および註)
  3. ^ タキトゥス, 泉井訳註 (1979), pp. 29-30.(訳註 (2) ほか
  4. ^ a b レイ, 菅原訳 (1996), p. 29.
  5. ^ エリオット, 吉見訳 (1992), p. 94.(表V ルーン文字名)
  6. ^ レイ, 菅原訳 (1996), p. 31.
  7. ^ エリオット, 吉見訳 (1992), p. 104.
  8. ^ 吉見 (1983), p. 101.
  9. ^ a b スノッリ, 谷口訳 (2008), p. 50.(第10章 フレイの死)
  10. ^ スノッリ, 谷口訳 (2008), pp. 49-50. (第9章 オーディンの死、第10章 フレイの死)
  11. ^ アリ, 中島訳 (1991), p. 19.
  12. ^ 山室 (1982a), p. 249.
  13. ^ a b スノリ, 谷口訳 (1983), p. 111.
  14. ^ スノッリ, 谷口訳 (2008), pp. 70-73.(第21章 アールヴとユングヴィ)
  15. ^ スノリ, 谷口訳 (1983), p. 113.

参考文献[編集]

  • アリ・ソルギルスソン、中島和男訳「アイスランド人の書」『サガ選集』日本アイスランド学会編訳、東海大学出版会、1991年5月、1-19頁。ISBN 978-4-486-01152-1 
  • エリオット, 吉見訳 (1992) :エリオット, R. W. V.英語版、吉見昭徳訳「ルーン文字の名称」『明治学院論叢』第502号、明治学院大学、1992年3月、91-115頁、NAID 40003630954 
  • スノリ, 谷口訳 (1983) :スノリ・ストゥルルソン、谷口幸男訳『広島大学文学部紀要』43(特輯号3)、広島大学文学部、1983年12月、1-122頁、NAID 40003290104 
  • スノッリ, 谷口訳 (2008) :スノッリ・ストゥルルソン『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 -』 (一)、谷口幸男訳、北欧文化通信社〈1000点世界文学大系(北欧篇3)〉、2008年10月。ISBN 978-4-938409-02-9 
  • タキトゥス『ゲルマーニア』泉井久之助訳註(改訳版)、岩波書店岩波文庫〉、1979年4月。ISBN 978-4-00-334081-3 
  • 山室 (1982a) :山室静『サガとエッダの世界 アイスランドの歴史と文化』社会思想社〈そしおぶっくす〉、1982年6月。 NCID BN00329952 
  • 山室 (1982b) :山室静『北欧の神話 神々と巨人のたたかい』筑摩書房〈世界の神話 8〉、1982年9月。ISBN 978-4-480-32908-0 
  • 吉見 (1983) :吉見昭徳「「ルーン詩」試訳」『明治学院論叢』第337号、明治学院大学、1983年2月、93-104頁、NAID 40003629948 
  • ページ, レイ英語版『ルーン文字』菅原邦城訳、学芸書林〈大英博物館双書 失われた文字を読む 7〉、1996年4月。ISBN 978-4-87517-017-4 

関連項目[編集]