ミハイル・ロスチスラヴィチ

ミハイル・ロスチスラヴィチ
Михаил Ростиславич
ムスチスラヴリ公
スモレンスク大公
在位 ムスチスラヴリ公:1260年 - 1278年
スモレンスク大公:1278年 - 1279年

死去 1279年
子女 アンドレイ
フョードル
コンスタンチン
家名 リューリク家
父親 キエフ大公ロスチスラフ3世
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ミハイル・ロスチスラヴィチロシア語: Михаил Ростиславич、? - 1279年)は、キエフ大公ロスチスラフ3世の子である。なお、一説によればムスチスラフ3世の孫(ムスチスラフ3世とロスチスラフ3世を親子だとみなす)にあたる[1]ムスチスラヴリ公:1260年 - 1278年、スモレンスク大公:1278年 - 1279年。

生涯[編集]

1278年、兄のグレプの死後、スモレンスク公国を継承した。ミハイルの死後、スモレンスク公位は兄弟のフョードル(ru)の手に渡ったが、スモレンスク公国は実質的にはミハイルの兄のグレプの子のアレクサンドルが掌握しており、フョードルとグレプの間で相続争いが起こることになる。

妻子[編集]

妻の名は不明。子には以下の人物がいる。

脚注[編集]

注釈[編集]

本頁に記述のある、公位の置かれた都市については以下を参照されたし:キエフスモレンスクムスチスラヴリヴャジマ

出典[編集]

  1. ^ Л.Войтович КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ CXIДНОЇ ЄВРОПИ

外部リンク[編集]

先代
ムスチスラフ3世
ムスチスラヴリ公
1260年 - 1278年
次代
アレクサンドル
先代
グレプ
スモレンスク公
1278年 - 1279年
次代
フョードル