ポーター (DD-356)

艦歴
発注
起工 1933年12月18日
進水 1935年12月12日
就役 1936年8月25日
退役
その後 1942年10月26日に戦没
除籍 1942年11月2日
性能諸元
排水量 1,850トン
全長 381 ft (116.13 m)
全幅 36 ft 2 in (11.02 m)
吃水 10 ft 5 in (3.18 m)
機関 ギアードタービン、2軸推進、50,000 shp
最大速 35ノット (65 km/h)
乗員 194名
兵装 (建造時)MK33火器管制システム
38口径5インチ砲8門
1.1インチ対空砲8門
21インチ魚雷発射管8門
(1942年)MK33火器管制システム
38口径5インチ砲8門
40mm対空砲2門
20mm対空砲6門 
爆雷軌条2軌

ポーター (USS Porter, DD-356) は、アメリカ海軍駆逐艦ポーター級駆逐艦のネームシップ。艦名はデヴィッド・ディクソン・ポーター代将およびその息子のデヴィッド・ディクソン・ポーター海軍大将に因む。その名を持つ艦としては3隻目。

艦歴[編集]

ポーターは1933年12月18日にニュージャージー州カムデンニューヨーク造船所で起工する。1935年12月12日にカーライル・パターソン・ポーターによって命名され進水した。1936年8月27日にフィラデルフィアで艦長フォレスト・B・ロイヤル中佐の指揮のもと就役する。

北ヨーロッパ海域での調整後、1937年5月に行われたジョージ6世の戴冠式に敬意を表してニューファンドランド島セントジョンズを訪問、1937年6月から7月に行われたボーイスカウトジャンボリー時にはワシントン海軍工廠に停泊していた。その後太平洋艦隊に再び配属され、パナマ運河を通過して1937年8月5日にカリフォルニア州サンフランシスコに到着した。ポーターは第二次世界大戦が始まるまで、サンディエゴを拠点として太平洋艦隊と共に活動した。

1941年12月5日、ポーターは真珠湾を出航した。日本軍による真珠湾攻撃の2日前であった。巡洋艦および駆逐艦と共にハワイ海域を哨戒し、1942年3月25日に船団と共に西海岸へ向かった。西海岸沖で第1任務部隊と共に4ヶ月間活動した。8月半ばに真珠湾に戻り、ハワイ海域で訓練後、10月16日に第16任務部隊と共に出航、ソロモン諸島に向かった。

1942年10月26日、第16任務部隊はガダルカナル島北東部で日本軍と交戦する(南太平洋海戦)。不時着したエンタープライズの雷撃機の救助に向かったポーターに、雷撃機から誤って発射された魚雷が命中した(潜水艦伊21の雷撃とする資料もあるが誤り)[1][2]。乗組員は艦を放棄し、ポーターはショー (USS Shaw, DD-373) の砲撃によって沈められた。

ポーターは1942年11月2日に除籍された。第二次世界大戦の戦功で1個の従軍星章を受章した。

脚注[編集]

  1. ^ #叢書83ガ島戦289-292頁『一航戦第二次攻撃』
  2. ^ #ニミッツの太平洋海戦史132頁

参考文献[編集]

  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書83 南東方面海軍作戦(2) ガ島撤収まで』朝雲新聞社、1975年8月。 
  • チェスター・ニミッツ、E・B・ポッター、実松譲・富永謙吾訳『ニミッツの太平洋海戦史』恒文社、1962年12月。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]