ノート:ビゼンニシキ

種牡馬について[編集]

いくつかの記述を除去しました。

  • 「当初は種付けに時間がかかって牝馬が暴れたりするので、生産者がいい繁殖牝馬を持って来なかった時期があった」という記述を除去しました。
  • 「当初」というのはいつのことなのか。
  • 「いい繁殖牝馬」というのはどういう定義なのか。
  • 「時期があった」というのは、「当初」という表現とどう関わるのか(「当初」のうちさらに限定的な時期なのか、「当初=時期があった」なのか不明瞭)
  • 「2年目の産駒より・・・ダイタクヘリオスらを輩出すると・・・集め・・・」
  • まるで、2年目のダイタクヘリオスが走ったから牝馬が集まるようになったかのように書かれています。
実際の種付け頭数をみると、初年度49、2年目53、以降、51、55、56、55、55、58、50、53、57、53・・・と、コンスタントに50頭前後です。ダイタクヘリオスが走ったから種付け頭数が増えるわけでもない。そもそもダイタクヘリオスが大活躍するようになるのは古馬になってからの話で、その結果を見て影響が出るとしても早くても1992年以降になるはずなのです。それ以前の稼ぎ頭はナムラボレロやメドレーやスーパーエクシードであり、最初の重賞勝ち馬はビゼンツカサです。
成績そのものも、1991-1992年のダイタクヘリオスの最盛期を経て、いい牝馬が集まって、その後さらに活躍馬が出た・・・というわけでもありません。活躍馬のほとんどは、ダイタクヘリオスがG1を勝つ前に生産されているのです。

というわけで、独自研究と判断して除去しました。ひとまずは味気のない記述になっています。--柒月例祭会話2016年2月17日 (水) 08:57 (UTC)[返信]

代表産駒[編集]

代表産駒については、表形式としました。取捨選択については正直困りました。ビゼンニシキに限ったことじゃないのですが、種牡馬としてデビューして初期の活躍馬は戦績が超一流じゃなくても注目が集まるので、ナムラボレロやメドレーが「代表的な産駒」として扱われます。その後、重賞勝ち馬がたくさん出ると、その後はナムラボレロ級のものが出てもあまり扱われません。同じ戦績でも登場時期によって扱いが違うのです。また、重賞での実績と、獲得賞金での実績にはしばしば乖離が発生します。

そんなわけで、生年、賞金で並べ替えが可能な表形式にしてみました。こうすると、大雑把ですがいつごろの活躍馬か、或いは、稼いだ順で比較することができます。(とはいえ、どこかで線引が必要であり、今回は「重賞2着」または「5000万」としました。)「年別」の勝ち鞍もあると、種牡馬としての評価の変遷がわかりやすくなるはずなのですが、似たような表ばかりになりそうなのでやめておきました。いちおう、旧来の代表産駒欄もコメントアウトで残してあります。--柒月例祭会話2016年2月17日 (水) 09:07 (UTC)[返信]

競走成績節をひとまず移します[編集]

下記の競走成績節は出典がなく、明らかな間違い(共同通信杯のタイム)があり、検証も容易では無いためひとまずこちらへ移します。--柒月例祭会話2016年2月17日 (水) 14:37 (UTC)[返信]

競走成績[編集]

年月日 競馬場 競走名 距離 (馬場)

人気 着順 タイム 着差 騎手 斤量 勝ち馬 / (2着馬)
1983 11. 5 東京 3歳新馬 芝1400m(稍) 8 6 3人 1着 1.26.4 6馬身 岡部幸雄 54 (フラワーパーク)
11. 27 東京 さざんか賞 芝1400m(良) 11 5 2人 1着 1.24.3 3馬身 岡部幸雄 54 ニッポースワロー
12. 24 中山 ひいらぎ賞 芝1800m(良) 9 1 1人 1着 1.51.8 2馬身 岡部幸雄 54 (ハクバテンリュウ)
1984 2. 12 東京 共同通信杯4歳S GIII 芝1800m(良) 8 3 1人 1着 1馬身 岡部幸雄 55 (リキサンパワー)
3. 4 中山 弥生賞 GIII 芝2000m(良) 14 10 1人 2着 2.02.0 -0.3秒 蛯沢誠治 55 シンボリルドルフ
3. 25 中山 スプリングS GII 芝1800m(良) 12 2 1人 1着 1.50.6 3/4馬身 蛯沢誠治 56 サクラトウコウ
4. 15 中山 皐月賞 GI 芝2000m(良) 19 3 2人 2着 2.01.3 -0.2秒 蛯沢誠治 57 シンボリルドルフ
5. 6 東京 NHK杯 GII 芝2000m(良) 9 1 1人 1着 2.04.0 ,2.1/2馬身 蛯沢誠治 56 (トウホーカムリ)
5. 27 東京 東京優駿 GI 芝2400m(良) 21 14 2人 14着 2.32.0 -2.7秒 蛯沢誠治 57 シンボリルドルフ
10. 28 京都 スワンS GII 芝1400m(良) 13 3 3人 12着 1.27.8 -6.4秒 蛯沢誠治 56 ニホンピロウイナー

本文の改稿について[編集]

従前の版には「出典」がなく、いくつかの記述には疑問もあり、思い切って全面改稿を行いました。特に気になった点は次の通り。

  • 岡部がルドルフを選び、馬主が頭にきてその後乗せなかった」 - 最低でも要出典・要検証というところでしょう。成宮厩舎ではもともと蛯沢騎手が主戦であり、ルドルフのその後のことを考えても、藤田オーナーの所有馬にその後一流馬が出ていないことを考えても、大勢に影響はなかったようにもみえます。
  • レース数を絞って仕上げるシンボリルドルフと対照的に、クラシック路線の全レースに出走していたことから疑問が」 - 要出典。現時点では独自研究かと。少なくとも私が当たった同時代の文献では、むしろ逆で、ビゼンニシキのように各レースに出てしっかりと経験を積んで力をつけていくのが常道で、浅いキャリアで強い相手と戦ったことがない経験の乏しいルドルフがダービーを勝ったことが驚きとして扱われています。
  • 現在のように春も短距離路線があれば」「ニホンピロウイナーに勝るとも劣らない」 - 典型的なたらればでしょう。そんなこと言い出せば「ルドルフが故障してれば皐月賞勝っていた」とかなんとでもいえます。ニホンピロウイナーとは同時代なわけですから、もしもビゼンニシキがニホンピロウイナー並みに活躍をしていれば、それはつまりニホンピロウイナーの活躍が半分になっていたということにもなります。

そのほか、ウィキペディアで使えるレベルの出典を見つけられずに書かなかったこと。

  • 馬主さんが岡山の名士であること。(中鉄バスの社長)
  • 生産牧場と成宮調教師、さらにベニバナビゼンやカツハゴロモ、ワイルドライフの出自。(この血統はみんな成宮師が関わっている。)
  • 母系。三冠牝馬サンチャリオットや英国チャンピオンのサンタクロースとの関係(種牡馬録や全日本フリーハンデではやや言及がある)。
  • ダイタクヘリオスとトウカイテイオー(とヤマニングローバル)の「二世対決」(と煽った一部マスコミがいたこと)。--柒月例祭会話2016年2月17日 (水) 17:13 (UTC)[返信]