ダン・フォートマン

ダン・フォートマン
Dan Fortmann
基本情報
ポジション オフェンシブガード
生年月日 (1916-04-11) 1916年4月11日
没年月日 (1995-03-23) 1995年3月23日(78歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州パール・リバー
身長: 6' 0" =約182.9cm
体重: 210 lb =約95.3kg
経歴
大学 コルゲート大学
NFLドラフト 1936年 / 9巡目全体78位
所属歴
1936–1943 シカゴ・ベアーズ
受賞歴・記録
NFLチャンピオン(3回)
1940・1941・1943
オールプロ選出(4回)
1940–1943
プロボウル選出(3回)
1940–1942
Player stats at PFR

ダン・フォートマン (Daniel John Fortmann 1916年4月11日 - 1995年3月23日)は、ニューヨーク州パール・リバー出身のアメリカンフットボールの元選手・チームドクターである。オフェンシブガードとして、1936年シーズンから1944年シーズンまでシカゴ・ベアーズで9年間プレーした。

フォートマンは、コルゲート大学でカレッジフットボールをプレーした後、1936年のNFLドラフトシカゴ・ベアーズから9巡目全体78番目で指名を受けた。成績が優秀で医学部に進学するか、プロ入りするかの選択を迫られたが、ベアーズのオーナーだったジョージ・ハラスが選手給与と医学部の学費の両方を提供することを提言したことから、医学部とプロ生活を両立させる選択をした[1]。プロ生活最初の4年間は医学部との両立のためにベアーズの全体練習にほとんど参加することができなかったが、オールプロに選出される活躍をした[2]

医学部卒業後の1940年シーズンからチームキャプテンとなったフォートマンは、ベアーズの中心選手としてNFL連覇に貢献した。1943年シーズンには、一旦引退表明をしたが説得されて撤回し、研修医としての活動と両立しながらチームに参加してNFL制覇に貢献した[3]。1943年シーズン限りで正式に引退した。

引退後は医師として病院に勤務し、1947年から1963年までロサンゼルス・ラムズのチームドクターを務めた[4][5]

1965年、プロフットボール殿堂入り、1995年に死去した。

出典[編集]

  1. ^ Stanley Grosshandler (1970年). “Pro Football's Doctor Alumni”. Coffin Corner. Pro Football Researchers. 2012年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月17日閲覧。
  2. ^ “Four Giants Win Honors”. Los Angeles Times: p. II-13. (1939年12月15日). https://www.newspapers.com/clip/10207034/four_giants_win_honors/ 2020年4月17日閲覧。 
  3. ^ “Danny Fortmann To Assist Shaughnessy At Pitt”. The Pittsburgh Press: p. 2-1. (1943年1月31日). https://www.newspapers.com/clip/10204425/danny_fortmann_to_assist_shaughnessy_at/ 2020年4月17日閲覧。 
  4. ^ Art Hopper (1965年1月22日). “Pearl River's Finest, Dan Fortmann, Hall of Famer”. The Rockland County Journal-News: p. 21. https://www.newspapers.com/clip/10200904/pearl_rivers_finest_dan_fortmann/ 2020年4月17日閲覧。 
  5. ^ “Dan Fortmann, 79, Bears guard in the Hall of Fame”. Chicago Tribune: pp. 2–12. (1995年5月26日). https://www.newspapers.com/clip/10199750/dan_fortmann_79_bears_guard_in_the/ 2020年4月17日閲覧。