ジョージ・ウィルソン (アメリカンフットボール)

ジョージ・ウィルソン
George Wilson
生年月日 1914年2月3日
生誕地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
没年月日 (1978-11-23) 1978年11月23日(64歳没)
ポジション エンド
大学 ノースウェスタン大学
選手成績 Pro Football Reference
コーチ成績 Pro Football Reference
所属チーム(選手)
1937-1946 シカゴ・ベアーズ
所属チーム(コーチ/管理職)
1957-1964
1965
1966-1969
デトロイト・ライオンズ (HC)
ワシントン・レッドスキンズ
マイアミ・ドルフィンズ (HC)

ジョージ・ウィリアム・ウィルソン・シニアGeorge William Wilson, Sr.1914年2月3日 - 1978年11月23日)は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身のアメリカンフットボール選手。指導者。現役時代のポジションはエンド

ノースウェスタン大学から1937年にNFLシカゴ・ベアーズに入団し1946年までプレーし、111回のレシーブで15TDをあげた。その間NFLチャンピオンシップゲーム優勝を4回経験した[1]。アシスタントコーチを経て[2]、1957年にデトロイト・ライオンズのヘッドコーチに就任しクリーブランド・ブラウンズを59-14で破り1年目からNFLチャンピオンシップゲーム優勝という快挙を遂げ[3]AP通信よりNFL優秀コーチに選ばれた。翌年スーパースターQBのボビー・レーン英語版ピッツバーグ・スティーラーズの若きQBアール・モラル英語版及びドラフト指名権2つとトレードした[3]。このトレードにはファンから疑問の声があがった。1958年を4勝7敗1分、1959年を3勝8敗1分で終え1960年から1962年は3年連続勝ち越したがモラルが24タッチダウンパスと最も活躍した1963年にはディフェンスが不調で5勝8敗1分、1964年を7勝5敗2分けで終えて、このシーズンでライオンズを去った[3]。以後ライオンズは1度もチャンピオンになっておらず2008年にはシーズン16戦全敗を喫した。ライオンズでは1964年までヘッドコーチを続け1965年、1シーズンだけワシントン・レッドスキンズでアシスタントコーチを務めた後、1966年から新興のAFLマイアミ・ドルフィンズの初代ヘッドコーチを務めた[4]。ドルフィンズの初勝利となった試合では、彼の息子で新人のQB、ジョージ・ウィルソン・ジュニア英語版が先発している[5]。4シーズン負け越しが続いた後、ドルフィンズは彼の後任にドン・シュラを迎えた。

1980年、彼はミシガン州のスポーツ殿堂入りを果たした[6]。ヘッドコーチとしての通算成績は68勝84敗8分(プレーオフ含む)の成績であった。

脚注[編集]

  1. ^ Steven Gomez (2009年12月4日). “NFL coach profiles: George Wilson”. helium.com. 2013年4月27日閲覧。
  2. ^ Buddy Parker (2007年8月21日). “50 Years Ago, Parker Quit And Lions Were Winners”. wordpress.com. 2013年4月27日閲覧。
  3. ^ a b c NFL coach profiles: George Wilson”. 2010年5月20日閲覧。
  4. ^ Historical Highlights (1965-69)”. マイアミ・ドルフィンズ. 2010年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月20日閲覧。
  5. ^ Andrew Meacham (2011年8月30日). “George Wilson Jr. made Miami Dolphins history with first win”. タンパベイ・タイムズ. 2013年4月27日閲覧。
  6. ^ MICHIGAN SPORTS HALL OF FAME”. 2010年5月20日閲覧。

外部リンク[編集]

先代
バディ・パーカー
デトロイト・ライオンズヘッドコーチ
1957–1964
次代
ハリー・ギルマー
先代
エクスパンションチーム
マイアミ・ドルフィンズヘッドコーチ
1966–1969
次代
ドン・シュラ