ダリッジ・カレッジ

ダリッジ・カレッジの最も古い校舎。

ダリッジ・カレッジダリッジ校: Dulwich College)は、イギリスロンドン市内テムズ川南岸のサザーク区ダリッジにあるパブリック・スクール男子校イートン・グループ加盟校。

概要 [編集]

エリザベス1世期に成功した俳優、エドワード・アレン英語版1619年に創立した男子校で、当初は12人の貧しい生徒を教育するという事業であった。現在のところ1450人の生徒が在籍しており、イギリス最大のパブリックスクールとなっている。

歴史[編集]

非常に成功した俳優であり、ダリッジ英語版に広大な土地を所有していたエドワード・アレンは、慈善と教育のための施設を設立することを決断した。当初は12人の貧しい生徒を教育することを目的としたものであり、1619年6月21日に設立された。教師は必ず未婚でなければならず、アレンと血のつながりがあることと規定されていた。

1869年、ダリッジ・カレッジの新校舎が建設された。新しい校舎はパラディオ様式ゴジック様式の赤煉瓦テラコッタを用いて、チャールズ・バリー英語版の息子によって建設された。同時に新しい校長のカーバーによって学校改革が行われ、校長はアレンの血を継ぐ者、または側近者ではなくなった。また学校はAクラスは新しい場所、Bクラスは村に残るという形で2つに分けられた。村は「アレンの学校 (Alleyn's School)」(英語版) となり、現在もダリッジ村の両サイドに存在している。

第二次世界大戦中、ダリッジ・カレッジはスノーディアのベトウス・ア・コーエドに疎開した。記念樹が植えられ、現在も村に残っている。

近年の発展[編集]

私立学校として運用資金を調達していたが、20世紀中頃には相当額の公費が投入されるようになっていた。受入児童数に応じた補助が学校に支払われる「補助学籍制度」から資金を得ていたが、この制度は1997年に廃止された。

アレン・スクールとジェームズ・アレン・女学校は同じ財団に所属しており、またプーケット上海北京にも学校を設立している。全てのフランチャイズ校はロンドン校にならって赤レンガで作られていたが、いくぶんモダンな建築も取り入れている。近年、プーケット校はカリキュラムに関して意見が合わず、フランチャイズ契約を解除した。現在は「プーケット・ブリテン国際学院」として知られている。

2000年、甲南高等学校と姉妹提携。

文化[編集]

  • 1871年にカミーユ・ピサロがカレッジの絵を描いている。
  • ロンドンに近く、のどかな田舎に建つ印象的な校舎を持つため、ドキュメンタリー、ドラマ、テレビCM、映画、写真の被写体として人気がある。学校による収益事業「ダリッジ・カレッジ・エンタプライズ」として、撮影誘致が行われている。映画『トゥームレイダー』や『キューティ・ブロンド』のセットとしても使われた。

著名な出身者[編集]

作家・芸能・芸術[編集]

スポーツ[編集]

政界[編集]

その他[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]