カルロス・マーモル

カルロス・マーモル
Carlos Mármol
シカゴ・カブス時代
(2009年5月7日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 モンセニョール・ノウエル州ボナオ
生年月日 (1982-10-14) 1982年10月14日(41歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1999年 アマチュア・フリーエージェントとしてシカゴ・カブスと契約
初出場 2006年6月4日 セントルイス・カージナルス
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国代表
WBC 2009年

カルロス・アグスティン・マーモル(Carlos Agustín Mármol, 1982年10月14日 - )は、ドミニカ共和国モンセニョール・ノウエル州ボナオ出身の元プロ野球選手投手)。

経歴[編集]

カブス時代[編集]

1999年7月3日にシカゴ・カブスと契約を結び、17歳でアメリカ合衆国でプロ野球選手としてのキャリアをスタートさせた。入団した時点では野手としてのプロ入りであり、投手に転向するまでは捕手や外野手として試合に出場していた。

マイナー時代[編集]

2001年にプロデビュー。ルーキー級のチームで40試合に出場し、打率.295・11二塁打という数字を残した。

2002年、野手として62試合に出場し、プロ初本塁打や20打点・10盗塁という数字を残した傍ら、投手としても試合に出場。1試合だけマウンドに上がり、1イニングで四球と奪三振を1個ずつ記録した。

2003年から本格的に投手に転向。ルーキー級のチームで14試合に登板。3勝5敗・防御率4.19という数字を記録。また、6213イニングで三振を74個奪うピッチングを見せた。

2004年は、A級のチームに昇格し、先発投手として26試合に登板(先発登板は24試合)。14勝8敗・防御率3.20・15423イニング・53四球・154奪三振という成績をマークし、マイナーリーグながら2ケタ勝利をマークした。

2005年は、前年よりも上位に位置するA+級とAA級の2チームに配属され、ここでも先発投手として防御率3.41・9勝6敗という成績を記録した。

メジャー昇格から退団まで[編集]

2006年6月4日、セントルイス・カージナルス戦でメジャーリーグデビューを果たした。自身初のメジャーリーグでの登板は2.0イニングに登板し、三振を3個奪うという内容だった。2005年まで、マイナーリーグでは主に先発投手として登板していた為、2006年もカブスで先発投手として登板する機会が多かった。最終的には19登板のうち13試合に先発投手として登板。メジャー初勝利を含む5勝を挙げたが、勝利数を超える7敗・防御率6.08という成績に終わった。元々野手をやっていたので、この年は打率.261・1二塁打・1本塁打・1打点と、バッティングが良いところを見せた[1]

2007年は、リリーフ専業の投手として、59試合すべてにリリーフ登板。前年に6.00を超えていた防御率は1.43まで低下し、5勝1敗1セーブという数字を残した。また、6913イニングで96奪三振(奪三振率12.47)を記録するなど、この頃から投球イニングを上回る三振を奪っていた。

2008年、登板試合数を24試合上積みし、最終的にはシーズン試合数の半数以上となる82試合に登板した。この年は87.1イニングで114個の三振を奪い、奪三振率は11.75という数値だった。

2009年開幕前の3月に第2回WBCのドミニカ共和国代表に選出された[2]。予選のオランダ戦で延長11回に悪送球してしまい、ドミニカが予選で敗退する原因となってしまった[3]

シーズンでは、WBCでの調整不足の影響から10.0イニングで5死球、6月までの26.0イニングで30死球を記録するなど[3]、死四球を連発した。しかし、シーズン終盤に当時のカブスのクローザーであったケビン・グレッグが調子を落としたため、8月の途中からクローザーを務め[3]、15セーブをマークした。最終的には79試合に登板したが、リリーフ投手専業になって以降では最低の防御率(3.41)だった。一方、この年も投球イニングを上回る奪三振を記録した(74イニングで93奪三振・奪三振率11.31)。

2010年は、年間通じてクローザーとして登板し、77試合に登板(3年連続で77試合以上に登板した)。防御率2.55・2勝3敗38セーブという数字をマークした。また、7723イニングで自己ベストの138奪三振を記録し、奪三振率15.98という数字を記録。これは、2003年にロサンゼルス・ドジャースでクローザーを務めていたエリック・ガニエの記録を更新する数字だった[4]。それまでも2007年以降は11.00以上の奪三振率を記録していたが、それが2010年になって急上昇した(奪三振数が増えた)理由としては、それまでフォーシームの速球とスライダーの割合が半分ずつくらいであったのを、速球約4割に対してスライダー約6割という割合に変えた事が挙げられる[4]。また、変化球がスライダーだけにもかかわらず滅多に打たれないのは、3種のスライダーをそれぞれ異なる軌道で投げているからである[4]

2013年は、開幕から不振で4月7日には藤川球児に抑えが配置転換された[5]

ドジャース時代[編集]

2013年7月2日に金銭トレードでロサンゼルス・ドジャースに移籍した。数試合に登板した後に、DFAとなった。ドジャース傘下3Aでプレーすることになった。10月31日にFAとなった[6]

マーリンズ時代[編集]

2014年2月6日にマイアミ・マーリンズと125万ドルの1年契約に合意したことが報道され[7]、2月11日に球団が発表した[8]。開幕後は15試合に登板し、0勝3敗、防御率8.10と結果を残せず、5月10日のサンディエゴ・パドレス戦では1回を4安打4失点1四球と抑えられず、試合終了後にDFAとなった[9]。5月19日に自由契約となった[10]

レッズ傘下時代[編集]

2014年5月27日に、シンシナティ・レッズとマイナー契約を結んだ[6]

移籍後は、傘下AAAのルイビル・バッツで3試合に登板した。

オフの11月17日に自由契約となった[11]

インディアンス傘下時代[編集]

2015年5月8日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ。11月7日にFAとなった[6]

レッドソックス傘下時代[編集]

2016年2月16日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[12]。3月28日に放出された[13]

選手としての特徴[編集]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2006 CHC 19 13 0 0 0 5 7 0 0 .417 356 77.0 71 14 59 2 5 59 3 1 54 52 6.08 1.69
2007 59 0 0 0 0 5 1 1 17 .833 285 69.1 41 3 35 3 4 96 5 1 11 11 1.43 1.10
2008 82 0 0 0 0 2 4 7 30 .333 348 87.1 40 10 41 3 6 114 6 1 30 26 2.68 0.93
2009 79 0 0 0 0 2 4 15 27 .333 335 74.0 43 2 65 3 12 93 6 1 29 28 3.41 1.46
2010 77 0 0 0 0 2 3 38 0 .400 332 77.2 40 1 52 4 8 138 2 2 23 22 2.55 1.18
2011 75 0 0 0 0 2 6 34 2 .250 327 74.0 54 5 48 2 9 99 4 0 33 33 4.01 1.38
2012 61 0 0 0 0 3 3 20 2 .500 247 55.1 40 4 45 0 2 72 2 0 24 21 3.42 1.54
2013 31 0 0 0 0 2 4 2 5 .333 129 27.2 26 6 21 1 3 32 2 0 19 18 5.86 1.70
LAD 21 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 96 21.1 14 1 19 2 1 27 3 1 7 6 2.53 1.55
'13計 52 0 0 0 0 2 4 2 6 .333 225 49.0 40 7 40 3 4 59 5 1 26 24 4.41 1.63
2014 MIA 15 0 0 0 0 0 3 0 1 .000 66 13.1 16 3 10 2 1 14 2 0 12 12 8.10 1.95
MLB:9年 519 13 0 0 0 23 35 117 85 .397 2521 577.0 385 49 395 22 51 744 35 7 242 229 3.57 1.35
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]



投手(P)












2006 CHC 19 3 7 3 0 .769
2007 59 4 7 0 1 1.000
2008 82 8 6 1 1 .933
2009 79 1 7 2 1 .800
2010 77 4 1 0 0 1.000
2011 75 6 9 0 1 1.000
2012 61 5 5 1 4 .909
2013 31 4 7 0 0 1.000
LAD 21 2 4 1 1 .857
'13計 52 6 11 1 1 .944
2014 MIA 15 2 1 0 0 1.000
MLB 519 39 54 8 9 .921

背番号[編集]

  • 49 (2006年 - 2014年)

代表歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、320頁。ISBN 978-4-331-51300-2 
  2. ^ 2009 Tournament Roster The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月7日閲覧 [リンク切れ]
  3. ^ a b c 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2010』廣済堂出版、2010年、341頁。ISBN 978-4-331-51439-9 
  4. ^ a b c 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2011』廣済堂出版、2011年、381頁。ISBN 978-4-331-51518-1 
  5. ^ Carrie Muskat (2013年4月7日). “Marmol out, Fujikawa in as Cubs' closer” (英語). MLB.com. 2016年2月17日閲覧。
  6. ^ a b c MLB公式プロフィール参照。
  7. ^ Jesse Sanchez (2014年2月6日). “Marmol excited for MLB contract as DR eliminated”. MLB.com. 2016年2月17日閲覧。
  8. ^ "Marlins sign RHP Carlos Marmol to one-year contract" (Press release) (英語). MLB.com (Miami Marlins). 11 February 2014. 2016年2月17日閲覧
  9. ^ Joe Frisaro (2014年5月11日). “Marmol's run with Marlins ends after rough outing” (英語). MLB.com. 2016年2月17日閲覧。
  10. ^ Joe Frisaro (2014年5月19日). “Reliever Marmol released by Marlins” (英語). MLB.com. 2016年2月17日閲覧。
  11. ^ Joey Nowak (2014年11月17日). “Reds release righty reliever Marmol” (英語). MLB.com. 2016年2月17日閲覧。
  12. ^ Jason Mastrodonato (2016年2月16日). “Red Sox invite former Cubs closer Carlos Marmol to spring training” (英語). Boston Herald. 2016年2月17日閲覧。
  13. ^ Red Sox release Carlos Mármol”. NESN. 2016年3月28日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]