ウィリアム・ロンシャン

ウィリアム・ロンシャン(? - 1197年1月31日 ポアティエ)は中世イングランドの聖職者、政治家。ノルマンディーの出身[注 1]で、イングランド国王ヘンリー2世に仕えた後、皇太子リチャードに仕え、1189年にリチャードが国王になった際に、大法官、首席司法官、イーリー司教、ローマ教皇の使節に任じられる。そして、国王リチャード1世が1190年に十字軍に出征する際には、留守の間の国政を任される。しかし、リチャードの弟のジョンとの対立により1191年10月に失脚しフランスに逃れる。1192年12月に十字軍からの帰路でリチャードはオーストリア公レオポルト5世に捕らえられ、レオポルトから神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世に引渡される。ロンシャンは身代金の交渉に当たり、リチャードは1194年2月に解放される。リチャードは一時帰国後の1194年5月にイングランドを去って大陸に渡り、ロンシャンも同行する。ロンシャンは、1197年1月にリチャードの外交使節としてローマへ向かう途中のポワティエで死去する。

注釈[編集]

  1. ^ 当時のイングランド王室のプランタジネット家はイングランドの王家であるとともに、フランスの大貴族でもあり、イギリス海峡の両側にまたがる領土を有していて歴史用語としてアンジュー帝国と呼ばれる。

出典[編集]

ロンシャン. コトバンクより2023年5月3日閲覧