インドネシア国鉄MCW301形気動車

インドネシア国鉄MCW301形・MCW302形気動車
MCW302形気動車
基本情報
運用者 インドネシア国鉄→インドネシア鉄道公社→インドネシア鉄道会社
製造所 日本車輌製造
日立製作所
川崎重工業(MCW302形のみ)
製造年 1976年 - 1977年(MCW301形)
1978年 - 1987年(MCW302形)
製造数 24両(2両編成12本、MCW301形)
112両(2両編成56本、MCW302形)
主要諸元
編成 2両編成(Mc1 + Mc2)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
設計最高速度 90 km/h (56 mph)
起動加速度 1.8 km/(h⋅s) (1.1 mph/s)
減速度(常用) 2.9 km/(h⋅s) (1.8 mph/s)
減速度(非常) 3.6 km/(h⋅s) (2.2 mph/s)
車両定員 138人(座席99人)(Mc1)
141人(座席101人)(Mc2)
自重 34メトリックトン (33ロングトン; 37ショートトン)
車体長 20,000 mm (790 in)
車体幅 2,990 mm (118 in)
車体高 3,600 mm (140 in)
床面高さ 1,200 mm (47 in)
台車 ND215(動力台車)
NT41(付随台車)
車輪径 774 mm (30.5 in)
機関 DMH17H(MCW301形、MCW302形)
NT855R5(MCW302形、1987年製)
機関出力 180 hp (130 kW)(DMH17H)
280 hp (210 kW)(NT855R5)
歯車比 2.976
制動装置 空気ブレーキ
備考 数値は[1][2]に基づく。
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インドネシア国鉄MCW301形気動車(インドネシアこくてつMCW301がたきどうしゃ)は、インドネシア国鉄(現:インドネシア鉄道会社)1976年から1977年にかけて導入した気動車日本の鉄道車両メーカーである日本車輌製造日立製作所によって製造された[2][3]

この項目では、1978年から1987年にかけて製造された増備車であるMCW302形気動車についても解説する[2]

MCW301形[編集]

1970年代中盤までのインドネシアの鉄道の旅客輸送は首都・ジャカルタ都市圏も含め電気機関車ディーゼル機関車が牽引する客車列車が主力であり、第二次世界大戦後に導入された動力分散方式の列車は西ドイツ製の気動車のみであった。そこでオランダから独立後のインドネシア国鉄は日本の円借款を受け旅客輸送の近代化を実施する事を決定し、その一環として日本車輌製造日立製作所により製造・輸入された最初の気動車がMCW301形である[4][5][2]

トイレ付(Mc1、奇数番号)とトイレ無(Mc2、偶数番号)の片運転台車両による2両編成が組まれており、最大8両編成まで組成可能である。車体の基本的な設計は同時期にジャカルタ都市圏(ジャボタベック)向けに製造されたKL3-76形電車とほぼ同型であり部品の共通化を図っているが、先頭部は分割併合を考慮し貫通扉が設置されており、窓は前方視野を広げるために側面まで伸びるパノラミックウインドウを使用している。車内は2+3人掛けクロスシートで、通勤輸送を考慮し吊革が設置されている。冷房はなく、屋根上にガーランド型通風機が6基、車内には扇風機が設けられている。扉は手動引き戸である[6]

台車はインドネシア向けに日本車輌製造が納入した客車で使用実績があるNT-11台車を基に開発された軽量台車のND-215(動力台車)とNT40(付随台車)が用いられており、条件の悪い軌道上でも高い性能が発揮されるようになっている。エンジンについてはインドネシア国鉄側からスーパーチャージャー付きの大馬力エンジンが要望されたものの、メンテナンスの容易さを考慮し日本国鉄で多用されていたDMH17系列のDMH17Hが用いられる事となった。ただし現地の使用条件を考慮し駆動部の強化、防熱・防爆・防水対策の実施などの改良が行われている。制動装置については客車に使用されているものと同一(ウェスチングハウス製)のものを採用しており、非常時には客車と連結する事も可能である[7]

2014年の時点で全車とも営業運転から離脱しているが、故障の頻発や修理部品の不足により早期にディーゼル機関車が牽引する客車代用車両となったものが後に運転台撤去を伴う改造により本格的な客車となり、ジャカルタバンドン近郊で使用されている。内装についてもクロスシートから板張りのロングシートに改造されている[8][9]

MCW302形[編集]

1978年から1987年にかけて日本車輌製造、日立製作所および川崎重工業により112両(2両編成56本)が製造された形式。編成や機器はMCW301形のものを踏襲しているが、乗降扉の数が片側3箇所となり[注釈 1]、扉の形状も1枚引き戸に変更されている。また1987年に製造された28両についてはエンジンがカミンズ製のNT855R5(213 kw)となり、他の車両についても円借款を用いた「インドネシア ディーゼル動車リハビリプロジェクト」により1992年から1996年にかけて64両がカミンズ製のエンジンに交換されている[2][9]

2014年の時点でスラバヤスマラン、バンドン、タンジュン・カラン近郊などジャワ島スマトラ島各地の路線で使用されているほか、空港連絡鉄道用に改造された車両など一部については2扉化や冷房化が行われた。また、客車や食堂車、事業用車両に改造された車両も存在する[2][10]


脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 同時期に製造されたKL3-78形電車についても片側3扉に変更されている。

出典[編集]

参考資料[編集]

  • 平井喜八郎「インドネシヤ向電動客車およびディゼル動車の概要」『車両技術 135号』、日本鉄道車輌工業会、1977年2月、42-53頁、ISSN 0559-7471 
  • 古賀俊行『インドネシア鉄道の旅 魅惑のトレイン・ワールド』潮書房光人社、2014年7月。ISBN 978-4-7698-1573-0