アントニオ・タグーバ

アントニオ・タグーバ
Antonio M. Taguba
アントニオ・タグーバ少将
生誕 (1950-10-31) 1950年10月31日(73歳)
フィリピンの旗 フィリピンマニラ
所属組織 United States Army seal アメリカ合衆国陸軍
軍歴 1972年 - 2007年
最終階級 陸軍少将
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アントニオ・マリオ・タグーバ英語: Antonio Mario Taguba1950年10月31日 - )は、アメリカ合衆国陸軍軍人アブグレイブ刑務所における捕虜虐待についての内部報告、いわゆるタグーバ報告書英語版を作成したことで知られている。

略歴[編集]

フィリピンマニラサンパロック英語版地区で生まれた[1]。彼の父トマスは第二次世界大戦中のフィリピンの戦いで日本軍の捕虜となり、バターン死の行進を体験、後に脱走して抵抗運動に加わった[2]。母マリアはマニラ市内の日本軍捕虜収容所から道を隔てた場所に住んでおり、捕虜が銃剣で刺殺されたり爪を剥がれたりしたことを彼に話して聞かせた[2]

1961年、一家はハワイに移住した[2]1968年、レイレフア高校を卒業[1]1972年アイダホ州立大学予備役将校訓練課程を卒業して陸軍に入隊し、韓国西ドイツ、米本土などで勤務した[2]1981年に結婚[2]1997年には准将に昇進して、陸軍の歴史上、フィリピン系アメリカ人としてはエドワード・ソリアーノについで二人目の将官となった[1]

2004年1月31日、連合軍地上部隊司令部英語版(CFLCC)補給副司令官(少将)の職にあったタグーバは、アブグレイブ刑務所における捕虜虐待についての内部調査の担当者に任命された[3]。同年3月3日、報告書をデービッド・マキャナン英語版中将に提出した[3]。この一部がCBSザ・ニューヨーカーにリークされ、捕虜虐待の実態が明るみに出た[2]

報告書が公になってから数週間後、タグーバはクウェートアメリカ中央軍司令官ジョン・アビザイド大将の公用車に同乗したが、アビザイドは「お前とお前の報告書は調査されることになる」と脅しをかけてきた[2]。タグーバは「その時、陸軍に入って32年も経っていたが、マフィアにいるのかと思ったのはそれが初めてだった」という[2]2006年1月には陸軍参謀次長リチャード・コーディ英語版大将から電話を受け、翌年1月付での退役を迫られた[2]。結局、タグーバは2007年1月に退役した[2]

脚注[編集]

参考資料[編集]