つげ義春とぼく

つげ義春とぼく』(つげよしはるとぼく)は、1977年6月晶文社より刊行された、漫画家つげ義春随筆集。

概要[編集]

『つげ義春とぼく』に登場する八幡岬

イラストや旅行記、自らの漫画の成り立ちを語った「ぼくの漫画作法」や「夢日記」、生い立ち、半生、密航自殺未遂、貧困生活などを綴った「断片的回想記」、「密航」、「犯罪・空腹・宗教」などが収められている。また、『夜が掴む』(1976年漫画サンデー初出)、『退屈な部屋』(1975年漫画サンデー初出)の2編の短編も収められている。

表紙には『ねじ式』、『ゲンセンカン主人』、『紅い花』、『もっきり屋の少女』、『ほんやら洞のべんさん』、『大場電気鍍金工業所』のコマが散りばめられている。

また、表題である『つげ義春とぼく』は、つげ自身の命名ではなく編集者の付けたものであり、つげ自身は気に入っているわけではないことを後に告白している。

構成[編集]

つげ義春が幼少期を過ごした大原漁港
ねじ式』の舞台といわれる太海の海岸沿いの小道
太海海岸
大原のつげ義春が幼少期を過ごした家のある付近

初版『つげ義春とぼく』は、以下のような構成となっている。

  • イラストレーション傑作集

(全15点。カラー9点、白黒6点からなるイラストレーション集)

『ねじ式』の着想の裏話や、大多喜の「旅館寿恵比楼」での出来事が語られている。

    • 七つの墓場
    • 少年漫画向け原稿
    • 「ねじ式」のことなど
    • 大多喜でのこと
    • ひわしねもんだ
    • 「大場電気鍍金工業所」のできるまで
  • 夢日記

つげの見たが脚色せず綴られている。初版では1968年(昭和43年12月) - 1976年(昭和51年12月24日)までが収められたが、『新版 つげ義春とぼく』(小学館文庫版)では1986年昭和61年1月6日) - 1987年(昭和62年1月7日)までが追加された。

  • 旅の絵本

1967年(昭和42年) - 1972年(昭和47年)までの12点からなる白黒の旅のイラストレーション集。

  • 断片回想記

生い立ちや錯乱状態で死んだ父親のこと、自身の最も古い記憶、母親と過ごした千葉県大原での出来事。その後、葛飾の戦時の小学校時代、疎開先でのこと、この頃患った赤面恐怖症のことなどから始まり、メッキ工場での就業の様子、義父のこと、赤面恐怖症を克服するため赤線初体験をすることから、漫画家として自活し錦糸町アパートで暮らすまでを描いている。

  • 密航

「ぼくはいまでも、海を眺め潮の匂いを嗅ぐと何となく胸がドキドキと騒ぎ出すような気がするのは・・・」の独白で始まる密航未遂の顛末記。つげは、1987年3月、密航体験を題材にした自伝的作品「海へ」を発表。

  • 犯罪・空腹・宗教

貸本漫画時代の対人恐怖症を主な症状とするノイローゼと貧困生活や売血のこと、江戸川乱歩ポー谷崎潤一郎萩原朔太郎佐藤春夫ドストエフスキーへの傾倒やコケシと呼ばれる女性との同棲生活、また、その後のガロの社長である長井氏や水木しげるとの邂逅について言及。また、大家に勧められある宗教に入信すること、水木しげるの下で働くようになるまでの経緯について語られる。

  • 東北の湯治場にて

東北湯治場である夏油温泉八幡平蒸ノ湯瀬見温泉今神温泉についての旅行記。

  • 漫画集

(夢日記をテーマにした作品など2作が収められている)

    • 夜が掴む
    • 退屈な部屋

『新版 つげ義春とぼく』(1992年新潮文庫)では、自殺未遂四倉の生万引きが書き加えられ、前述のように夢日記も追記された。また、桃源行と題されたつげ義春の絵と、詩人正津勉によるエッセイコラボレーション作品が34ページ追加されている。

脚注[編集]

  1. ^ 『つげ義春とぼく』(1977年6月30日 晶文社

関連項目[編集]

外部リンク[編集]