1971年の中日ドラゴンズでは、1971年の中日ドラゴンズの動向をまとめる。
この年の中日ドラゴンズは、水原茂監督の3年目のシーズンである。
水原監督の3年目は優勝が期待されたが、エース星野仙一が開幕後に故障したこともあり4月を5勝8敗1分で開幕ダッシュに失敗し巨人の独走を許すと、5月は8勝11敗3分と負け越して阪神と最下位を争うなど苦戦を強いられた。投手陣は故障からの復帰の星野をはじめ渋谷幸春、松本幸行、後半からローテーション入りの新人稲葉光雄などといった若手が台頭しチーム防御率リーグ4位の2.97と悪くなく、打撃陣でもこの年一軍に昇格した大島康徳がプロ入り初本塁打を放って外野のレギュラーとなり、谷沢健一や島谷金二は低打率ながらも水原監督の辛抱強い起用で主力選手に成長した。6月以降立ち直ったチームは星野・渋谷・大島ら若手の活躍もあって阪神や大洋など4球団とAクラス争いを演じると、8月末からの5連勝、9月中旬の7連勝で借金を返済し貯金5ながらも1967年以来の2位でシーズンを終えた。カード別成績ではAクラスを争った大洋・阪神には15勝10敗1分と勝ち越すも、優勝の巨人には弱く11勝15敗、最下位ヤクルトには12勝12敗2分で苦戦した。水原監督は最終戦の10月8日に退任し、与那嶺要ヘッドコーチが監督に就任した。
チーム成績[編集]
レギュラーシーズン[編集]
1971年セントラル・リーグ順位変動 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 |
1位 | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 大洋 | 4.5 | 広島 | 4.5 | 広島 | 8.0 | ヤクルト | 10.0 | 大洋 | 10.0 | 中日 | 6.5 |
3位 | 阪神 | 6.0 | 大洋 | 7.5 | ヤクルト | 9.0 | 中日 | 12.0 | 広島 | 10.5 | 大洋 | 8.0 |
4位 | ヤクルト | 6.0 | ヤクルト | 9.5 | 中日 | 10.0 | 広島 | 12.5 | 中日 | 10.5 | 広島 | 8.0 |
5位 | 中日 | 6.5 | 中日 | 10.0 | 阪神 | 11.5 | 大洋 | 14.0 | 阪神 | 11.0 | 阪神 | 12.5 |
6位 | 広島 | 7.0 | 阪神 | 10.5 | 大洋 | 12.5 | 阪神 | 14.5 | ヤクルト | 12.0 | ヤクルト | 19.0 |
オールスターゲーム1971[編集]
できごと[編集]
選手・スタッフ[編集]
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表彰選手[編集]
ドラフト[編集]
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1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |