郷ひろみ

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郷ひろみ
出生名 原武 裕美(はらたけ ひろみ)[1]
生誕 (1955-10-18) 1955年10月18日(68歳)
出身地 日本の旗 日本 福岡県
ジャンル
職業
担当楽器 ボーカル
活動期間
レーベル Sony Records
事務所
共同作業者
公式サイト HIROMI GO OFFICIAL WEBSITE

郷 ひろみ(ごう ひろみ、1955年昭和30年〉10月18日 - )は、日本男性歌手俳優タレント実業家アイドル新御三家の1人。本名は原武 裕美。福岡県出身。所属芸能事務所バーニングプロダクション。所属レコード会社ソニー・ミュージックレーベルズで、レーベル同社内の社内レーベルであるSony Records。男性ソロアーティストとして歴代4位のCDシングルセールスを誇る。血液型はA型、身長176cm[4]

来歴[編集]

幼少期[編集]

  • 裕美」という名前は祖父が付け、「心が"美しく"、いろんな意味で"裕福"になるように」という意味が込められている[5]
  • 父英夫(1929〜2015)は福岡県三潴郡三潴町(現・久留米市)出身、母聖子(1933〜)は福岡県糟屋郡志免町出身。
  • 父は海軍飛行予科練習生(予科練)[6]
  • 生後まもなくジフテリアにかかり、3歳で赤痢、15歳で腹膜炎の一歩手前の状態で盲腸の手術を受けるなど、何度となく病にかかっていた。
  • 子供の頃、福岡の家は牛や馬、鶏などの家畜がいる農家の住まいだった。
  • 旧・国鉄職員の父親の転勤で、4歳の時に福岡から上京し、1962年3月、東京都大田区の仲六郷幼稚園卒園[注 1]1966年、小学5年の1学期のみ、福岡県糟屋郡の須恵町立須恵第二小学校へ転校。 転校した理由は、祖母が病気になり、「寂しくて仕方ないからひろみを貸してくれ」と頼まれた為。
  • 京浜東北線大井町駅に隣接する当時の国鉄大井工場敷地内に建つ社宅へ転居する。その後、父親は山手線新橋駅・同東京駅南武線尻手駅の助役として勤務した後、定年退職した。
  • 1968年3月、品川区立山中小学校卒業。 1971年3月、品川区立伊藤中学校卒業。 野球選手になるのが夢で、中学生時代には友人と野球チーム「ハーキュリーズ (Hercules)」を作っていた。
  • 1971年4月、世田谷区桜上水の日本大学櫻丘高等学校に入学し、野球部に所属。 しかし、芸能活動の多忙化に備えて、同年8月の内に堀越高等学校の芸能コースに転校。 郷が高校に持っていく弁当はジャニー喜多川が作っていた。
  • 1975年7月の終わりに、堀越高校を丸4年かけて1人きりで卒業すると、今度は大学への進学を目指すことを公表。 翌1976年2月20日に青山学院大学法学部を受験したが、不合格。
  • 子供の頃は可愛くて評判の美少年だった。
  • スパルタ教育の母親に厳しく躾けられて育った。「あなたは赤が似合う」という母の薦めで、赤いシャツを着用することが多かった。[7]

学歴[編集]

デビュー〜アイドル全盛期[編集]

渡米〜再興期[編集]

ニューヨーク充電以降[編集]

  • 2001年12月31日、『第52回NHK紅白歌合戦』への出演を最後として音楽活動を一時休止し、再びニューヨークに移住する。
  • 2004年12月6日、二谷友里恵に対し、離婚に際して交わした娘2人の養育費1億5000万円を信託銀行に預託するとの取り決めを実行していないことや、郷が娘に会う面会権を妨害され精神的損害を受けたとして訴訟を起こす。しかし、娘2人が「父親に会いたくない」と語ったため、取り下げた。
  • 2005年4月、「愛より速く」を発表し日本での芸能活動を再開。
    4月21日、公式サイト上で2度目の離婚を発表する。
    10月、ファンクラブが発足した思い出の地である大阪で、50歳を祝う「スペシャルバースデーライブ」を開催する。
  • 2006年9月、デビュー35周年記念ライブとして、東京日比谷野外音楽堂などで公演する。
  • 2007年5月27日、渋谷で8年ぶりに「Boom Boom Boom」の発売イベントを行う。
    6月、「お嫁サンバ」の歌詞にかつての交際相手「せいこ」、「ゆりえ」、「なみ」などの100種類の女性の名前を入れた「着うた」の配信を開始。
    7月、出演したマンダムCMで、松田聖子の曲「青い珊瑚礁」の替え歌を歌う。当初は松田とのデュエットが企画されていたが、松田側が拒否したため、ソロで歌うことになった。
  • 2008年11月、『ベストヒット歌謡祭』において自身のメドレー冒頭で、松田聖子の「青い珊瑚礁」を歌唱。
  • 2009年9月2日、刑事事件に発展した渋谷の不祥事から10年、大阪・道頓堀グリコ看板前に船で現れ、ゲリラ風に「Get Real Love 〜GOLDFINGER'009」の発売イベントを開いた。
  • 2010年10月18日、55歳誕生日に2度目の日本武道館公演「55!伝説」を開催する。これは1955年生まれ、55歳、全国ツアー55公演目のファイナルステージである。
    12月4日、フジテレビ系『FNS歌謡祭』に出演しAKB48と競演したシーンが高視聴率をマークした。
    12月31日、9年ぶりに第61回NHK紅白歌合戦に出場。「GO!GO!イヤー紅白スペシャルメドレー」と題して「愛してる」「僕らのヒーロー」「男願 Groove!」の3曲を披露した。
  • 2012年3月31日、徳武定祐の次女で元タレントの女性と入籍したことを自身のオフィシャルサイト内に直筆のメッセージを掲載し、明らかにした[20][21]
  • 2014年12月31日、第65回NHK紅白歌合戦に5年連続27回目の出場を果たした。
  • 2015年4月26日 - 7月12日、NHK連続ドラマ『企業病棟』以来、21年ぶりの連続ドラマとして、TBS日曜劇場天皇の料理番』に粟野慎一郎役で出演[22]
  • 2015年 還暦を迎え 積極的にロックフェスに参戦 SUMMER SONIC 氣志團万博
  • 2017年 45周年記念CD BOX『The 70's Albums』リリース
  • 2018 ディスコイベント「Dynasty Tokyo Surfer's Night」にサプライズ出演。103枚目のシングルに収録されている「恋はシュミシュミ」「MIRROR BALL FANTASY」を歌唱した。
  • 2019年 「JAN JAN JAPANESE」の発売を記念して、デビュー47年目で“アイドルイベントの聖地”で初のイベント 池袋サンシャインで約3500人のファンと交流した
  • 2019年ロックフェス音髭に出演。大とりで登場。観客を魅了する圧巻のパフォーマンスをみせる。
  • 2020年105枚目のシングル『ウォンチュー!!!』がオリコン7位に。これにより昭和、平成、令和でのオリコンTOP10入りを果たした
  • 2021年7月30日、音楽サブスクリプションサービス上で、楽曲のストリーミング配信を開始した。
  • 2023年6月21日、公式サイトで「不調が長引いていた喉の治療に専念する」と発表。複数のコンサートを中止すると伝えた。[23]

逸話[編集]

デビュー〜アイドル全盛期[編集]

  • デビューのきっかけは、15歳の時に近所の女性が東宝映画潮騒』の出演者募集に応募したこと[10][11]。審査会場のある銀座で買い物がしたいという安易な気持ちでオーディションを受けることを決めたが、会場に向かう途中で怖気づき「やっぱりやめる」と母親に告げたところ「それでも九州男児か!」と激励され、仕方なく会場に赴いたという。結果オーディションは不採用だったものの、審査員として参加していたジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川の目に留まりスカウトされた。
  • デビュー当時、母親は原宿で美容院を経営していた。福岡県糟屋郡志免町の母親の実家の祖父母が「ひろみ」の焼印がされた紅白の「ひろみ饅頭」の製造販売を始め、後に叔父・叔母が経営する「御菓子ひろみ」に引き継がれた(2015年頃に閉店)。
  • デビュー前、フォーリーブス旭川公演のバックに出演し「ひろみです!」と紹介され、会場から「Go! Go! Let's Go Hiromi!」と声援を受け、そのまま芸名が郷ひろみとなる。また「郷」にはフォーリーブスの弟「5人目のフォーリーブス」という意味もかけている。可愛らしいルックスと鼻にかかった歌声が、若い女性の人気を博し、ファンによる親衛隊も誕生した。
  • 1974年10月、ドラマ『ちょっとしあわせ』で、共演の高沢順子とのキスシーンが騒動になる。ファンから局側に脅迫状が殺到。急きょ唇寸前でカット。釈明試写も開いて対応した。
  • 1976年日本レコード大賞のノミネート会場(予選会)でキャンディーズとの決選投票に辛勝し、『あなたがいたから僕がいた』で第18回日本レコード大賞大衆賞の受賞が決定した際、感極まって歌が歌えないほど号泣した。レコード大賞では、新人賞で本選へ出場して以来の受賞であった(この年は、投票の様子をリアルタイムで中継していた)。
  • アイドル水泳大会』では競泳など多くの競技に出場し、特にフジテレビの番組では『ミスター水泳大会』と呼ばれた。同じく参加していた西城秀樹と常に競い合い、番組を盛り上げていた。郷は水泳の競技だけではなく、水着や体のラインまでライバル心を滾らせていたという。
  • 1977年、郷の特徴に良く似た人形を販売する業者を、肖像権侵害で民事提訴する。史上初の有名人が人形に関する肖像権訴訟であり、1980年5月、勝訴和解する。
  • 1981年、『8時だョ!全員集合』で、中畑妊娠のコントが話題になる。
  • 1982年から洋楽バラードのカヴァーを次々と発売し、アイドル歌手から大人の魅力を持った本格派歌手への脱皮を図る。その洋楽カバー「哀愁のカサブランカ」は初めてのスロー・バラードのシングル曲であり、「よろしく哀愁」以来自身2度目の50万枚突破を記録した。哀しみの黒い瞳ロマンス〜禁じられた遊び〜、シャトレ・アモーナ・ホテルなどフリオ・イグレシアスの曲も歌った。また、ニューヨークボイストレーニングを受け、ブレス使いで力まずに声を出す手法を会得し、スロー・バラードをじっくり聞かせられるまでに歌唱力がアップする。
  • 1984年2月25日リリース『2億4千万の瞳』は国鉄のキャンペーンに使われた。2007年にはこの曲をアレンジしたものがBSデジタル放送3000万台突破記念キャンペーンソングとして用いられている。
新御三家
新御三家となった経緯に関して野口五郎は「僕がデビューし、翌年にひろみと西城秀樹がデビューしたが、秀樹がちょっと出遅れた。秀樹の事務所で秀樹と他の2人で新御三家というキャッチフレーズでデビューしたが、西城のマネージャーが別事務所のひろみと僕を合体させて新御三家にした。 事務所も違うので番組などでぶつけ合ってファン獲得をした」
事務所移籍
  • 1975年春、ジャニーズ事務所からバーニングプロダクションへ移籍。このジャニーズJr.6人も伴う移籍騒動で、ジャニー喜多川社長は体調を崩すほどショックを受けたそうである。この移籍に関し、バーニングの当時の社長であった周防郁雄が「郷がジャニーさんとトラブルになったらしい。」との噂は聞き、郷がどのような経緯で辞めたのかよく知らないが、まだ移籍先が決まっていない郷を「ぜひうちでやりたい」との思いがあり、渡辺プロダクション渡辺晋と、田辺エージェンシー田邊昭知を仲介役とし、渡辺の自宅にてジャニーズ事務所のメリー喜多川と話し合った。そこでメリーに「私に(郷ひろみを)やらせてください」と頼んだところ、メリーより許可を得ての移籍となった[24]
  • フォーリーブスの江木俊夫書の中で、「ジャニーズ事務所に最大の利益を与えたのはSMAPだろうが、ジャニー喜多川さんが今でも理想のアイドル像として思い描いているのは郷ひろみだろう」と述べている。
夜のヒットスタジオ
  • 1972年、「小さな体験」で初出演したフジテレビ系『夜のヒットスタジオ』は、ジャニーズ事務所に当時存在していた「アイドルを夜の番組にはあまり出演させたくない」との方針から新御三家の中では出演機会が少なかったが、バーニングプロダクション移籍後は原則として月1回のペースで出演するようになる。1982年、ランキング番組出演辞退の後もトリをつとめたり、過激かつ派手な演出を用意されるなど厚遇を受けた。1972年から1990年6月27日までの総出演回数は175回。
ランク付拒否
  • 1979年、「くれる物は戴きますが、今後授賞式には参加しない。」と『日本レコード大賞』・『日本歌謡大賞』などの音楽賞への出演を辞退することを公表する。数年後のインタビューで「年々権威が落ちていく音楽賞には興味がない。」と語った[25]。ただし『日本有線大賞』には出演し賞を受けているほか、1999年には日本レコード大賞・最優秀歌唱賞受賞の打診を受けると、大衆賞を取った1976年以来23年ぶりにそのステージに立ち、ヒットメドレーを披露した。
  • 1982年8月、「哀愁のカサブランカ」で「もういちど思春期」以来10か月ぶりに『ザ・ベストテン』にランクインするが、「自分にとっては自分自身の歌は全部1番、他人に自分の歌のランク付けされるのは賛成しかねる。」という理由で、『ザ・ベストテン』、『ザ・トップテン』等、音楽に関するランキング番組の出演をすべて拒否する。
  • 当時、郷の音楽プロデューサーだった酒井政利は、雑誌『KAMZINE』(2005年6月号)で一連の辞退について触れ、「郷は新御三家として括られるのも好きでなかったし、アイドル的な定型から脱皮したいと思っていた。そして、"自分は人とは違うんだ!"という差別化戦略を選んだ。」と、戦略・挑戦のひとつだったことを明かしている。

渡米〜再興期[編集]

  • 1993年1月、楠瀬誠志郎のバラードカバー曲「僕がどんなに君を好きか、君は知らない」 を発売すると、最高位43位ながらジワジワと売り上げを重ね、「2億4千万の瞳」以来9年ぶりにヒット曲(17.7万枚)となる。これをきっかけに翌1994年言えないよ」、1995年逢いたくてしかたない」と続けてオリジナルのバラードを発売し、いずれもロングヒットを記録。この1990年代のバラードヒット3曲を総じてバラード3部作と呼んでいる。
  • 2000年11月、発表のエッセイ『若気の至り』では裏表紙に自らの女性遍歴を年表風にまとめ「大丈夫かこいつ?」と自虐的コピーをつけ『ダ・ヴィンチ』(2月6日号)で腰巻き大賞に選ばれる。「単に奇をてらう言葉ではなく著者の存在感との合わせ技だ。自虐的なコピーなのに少しも嫌味がないし、かえって好感に繋がってしまうのはヒロミ・ゴーの器量だろう。」と選評された。
  • 2001年6月にリリースした『獣は裸になりたがる』のジャケット写真は、特殊メイクで自ら「獣」になっている。この曲のキャンペーンで、フジテレビ系バラエティー番組『笑う犬の冒険』の「はっぱ隊」のコーナーに出演。股間にはっぱ一枚、郷特製ゴールデンリーフを付け、YATTA!の歌を踊った。
渋谷ゲリラ・ライブ事件
  • 1999年8月、「GOLDFINGER '99」のプロモーションとして、所轄の渋谷警察署の道路使用許可を受けず、白昼ゲリラライブを敢行。渋谷スクランブル交差点にトラックを止め、マスコミが逆サイドからカメラを構えると、野次馬が交差点に押し寄せ路線バスなど30分に渡って立ち往生し数本運休するという交通渋滞を引き起こす騒動になる。後に現場関係者6人が道路交通法違反容疑で書類送検され、レコード会社のプロデューサーは懲役3か月、執行猶予2年の判決を受ける事件に発展。当事者の郷も事情聴取を受けたが「何処でやるのかさえ知らされていなかった。」と供述し、罪には問われなかった。この宣伝効果により「GOLDFINGER '99」は有名になりチャートが上昇。最終的に46万枚を売り、代表曲のひとつとなった。

ニューヨーク充電以降[編集]

  • 2006年5月、埼玉スタジアムで行われたキリンカップサッカー2006「日本VSスコットランド」戦において国歌独唱を行なった。全身ブルーのスーツで登場し歌い終わった後には、お得意のジャケットプレイで、JFAフラッグを用いたスーツ裏地を見せた。
  • 2006年7月、9月6日発売の「LIFE」で、50歳を記念して郷と同じ1955年生まれの男性を公募し、ミュージック・ビデオで共演する企画に700人以上の応募者があった。
  • 2007年5月、国土交通省が展開する「ビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)」のテーマソングに「Come On Baby」が決まり、大臣から感謝状を手渡された。歌詞には訪日旅行のアピールに"Yokoso"という言葉をちりばめ、日本語のみでなく英語バージョンもあり、中国語韓国語フランス語ドイツ語タイ語の「ようこそ、日本」を意味する言葉が間奏に盛り込まれ、CDのパッケージに"Yokoso! Japan"のステッカーを添付した。
  • 2007年5月、NHKの『英語でしゃべらナイト』に出演し、ニューヨーク仕込みの英語を披露した。司会のパックンには「大学生レベルの英語」と評される。番組内では英語で「考える・行動する・継続する」という人生の哲学を語った。同番組内で「Come On Baby」の英語バージョンを披露する。
  • 2007年5月、日本テレビで中継された藤原紀香陣内智則の結婚披露宴で、スペシャルゲストとして「お嫁サンバ」を歌う(のちに2人は離婚している)。
  • 2009年12月、カリフォルニア州のぶどう畑を買い付け、ワインを造り、郷がデザインした「5」ラベルのワイン「マグニフィカファイブ」を歳暮に贈る[26]
  • 2010年4月12日、東京中日スポーツ創刊55周年「スペシャルサポーター」に就任する。
  • 2015年10月18日、60歳の誕生日を迎える。翌2016年2月、新御三家が3人揃っての還暦祝いを機に、ひろみは西城・野口と久々に再会し「還暦鼎談」に参加した[27]
  • 2018年
    • 5月16日、新曲「恋はシュミシュミ」を発売した夜、新御三家の西城秀樹が急性心不全で死去。「ボクの中で長男は五郎、次男は秀樹、末っ子がボクでした。デビュー当時、右も左もわからなかったボクに、『ひろみ、何かわからないことがあったらオレに聞いてくれる』と親身になってくれたこと、一生忘れません。こころからお悔み申し上げます」とコメントを発表[28]
    • 5月25日に西城の通夜、翌5月26日には告別式と、野口五郎ら歌手仲間と共に参列。葬儀の席で野口の後に、郷は西城に向かって「雑誌の対談で久しぶりに新御三家が顔を合わせたのが、秀樹を見た最後になりました。対談の中で『感謝の気持ちを持って歌い続けよう』って締め括ったのに、秀樹は天国に行ってしまいました。本当に残念です」「僕は秀樹のことを兄貴と思っていました。それは今でも変わっていません。これからも秀樹の背中をみて、ずっと歌を歌い続けていきたいと思っています。今まで本当に有難う。そして安らかに眠って下さい」と終始涙を浮かべながら弔辞を読んだ[29][30]
    • 12月10日、都内で行われた第95回箱根駅伝競走前の監督会見で、青山学院大学陸上競技部長距離ブロック監督の原晋が、青山学院大の箱根駅伝・総合5連覇達成を目指し「ゴーゴー大作戦」と満面の笑みで発表。同年大晦日放送の『第69回NHK紅白歌合戦』での本番前日リハーサル時に、報道陣からその事を聞かされた郷は「嬉しい限りですね。心から青学の(箱根駅伝)5連覇を僕自身も期待してはいます」と話している[31]。だが、翌2019年1月2日3日開催の第95回箱根駅伝での青学大は、結果的に往路6位の大きな出遅れが響いてしまい、翌日の復路優勝は果たしたものの、総合5連覇は逃し総合2位となった[32]
  • 2019年3月17日、東京都港区の「ザ・プリンスパークタワー東京」で開かれた、「青学大・3大駅伝報告会」において、郷自らサプライズゲストとして急遽生出演。青学大の学生・OBら関係者を始め、一般のファンも合わせて来場者は大喜びに沸いた。郷自ら「実は海外に行っている予定でしたが、移動便を変更して参りました。僕の子供が青山学院の幼稚園でお世話になっている縁もあります」とコメント。更に「僕も日本レコード大賞で『新御三家』の秀樹さん・五郎さんの中で、僕だけが呼ばれなかった事が有り、その悔しさが僕を引っ張ってくれました。人生には多くのことがあり、どう受け取るかで変わると思います」と熱く語りつつ、青学大の巻き返しにエールを送っていた[33]

プライベート[編集]

  • 1975年、20歳の時に現地日系人等を対象にロサンゼルス公演を行った際、日系人コミュニティのミス・ロサンゼルスとして郷に花束を手渡した女性に一目ぼれし交際がスタートしたが、1978年、ロサンゼルス在住の日系アメリカ人ドロシーと破局[34]
  • 1985年、祇園の芸妓、佳つ乃と浮名を流し、六本木のクラブのNo.1ホステスと『フライデー』される[34]
  • 1985年1月、交際を公にしていた松田聖子が突然単独で、東宝スタジオの食堂にて破局会見を行った。
  • 1985年9月、郷が六本木のディスコで合コンしているところに二谷友里恵が来店し郷が一目ぼれ。その場で声をかけ、ゴルフデートの約束を取り交際を開始する[35]
  • 1987年6月、二谷友里恵と結婚。結婚披露宴の模様は郷を支援するフジテレビが『おめでとう郷ひろみ・二谷友里恵結婚披露宴』と題して大々的に中継し、視聴率47.6%を記録 (披露宴中継、歴代最高視聴率)。結婚後、2年間ニューヨークに移住するなどし、2女を儲けた。
  • 1998年4月、結婚から11年で離婚を発表する。二人の娘の養育費として1億5千万円を支払った。離婚の際に発表した告白本『ダディ』 (幻冬舎) はミリオンセラーとなった。離婚は離婚届を提出した本の発売日まで一切明かされず、離婚会見の代わりとして「すべては本を見てくれればわかる」というものであった[36]。離婚の原因について郷は『ダディ』の冒頭で「僕の数人の女性との浮気」だと打ち明けている。
  • 2000年9月27日、元・恋人である松田聖子とのデュエット曲「True Love Story/さよならのKISSを忘れない」を発売。郷側から声をかけ実現した。
  • 2000年9月同上、「交際していたニューヨーク在住の投資家の娘、大根田名美と11月に結婚する。」と発表。ニューヨークのアルマーニショップで店員をしていた所に郷が訪れる形で出会った。ファンに対して「一日の23時間55分が郷ひろみであり、残りの5分間だけが原武裕美に戻る時間。原武裕美は結婚しても郷ひろみは結婚しない。」と説明した。
  • 2001年3月、年内いっぱいで日本での芸能活動を一時休止し、妻の実家のあるニューヨークに移住することを発表。
  • 2001年5月、二谷友里恵が、ダディの続編的告白本『楯』(文藝春秋)を発売し、離婚後の二方の確執が明らかになった。内容について郷は、「子供たちのために反論しない」とノーコメントを通した。
* 2002年から2005年の活動休止中〜日本活動復帰最中ではあるが、非公式で2004年にも首都圏でのファンクラブ限定出稼ぎコンサートツアーを行っていた。その際には日常的に側近へ指示し「夜の相手」を用意させていたため、相手をした若い女性の中には、嬉しさのあまり「口外しないように」という側近との約束を破り業界内外で話題となってしまった。 
  • 2005年4月21日、公式サイト上で突然二度目の離婚を発表する。「それぞれの道を歩んでいくことが今後の2人にとって最善の方法。ボクはより一層努力し郷ひろみを極めたい。」
  • 2012年3月31日、交際していた元・タレントで化粧品会社OL、徳武利奈との入籍を公式ホームページで発表[21]。「彼女は、僕よりも僕の両親を大事にしてくれる人」だと紹介した。郷にとって3度目の結婚である。
  • 2013年1月19日、結婚発表から約10か月を経て、芸能関係者ら約400人を招いた結婚披露宴を帝国ホテルで行った。
  • 2014年6月、双子の男児が誕生[21]
  • 2016年12月20日、『歌う!SHOW学校』に“講師”としてゲスト出演した際、他の出演者達から常に格好良くいられる秘訣を問われ、「“自分は今が一番格好良いんだ”と言い聞かせること、24時間366日“郷ひろみ”でい続けること」と答えた。
  • 2020年、エッセイ集『黄金の60代』(幻冬舎)を出版。女性セブンのインタビューに答え、来世も郷ひろみとして生まれたいか尋ねると、少し考えたのち、「現世での経験を生かせるならば。でも、それ以前に日本人に生まれたいです。日本人は真面目で勤勉できれい好きで…。本当に大好きですね。日本人であることに誇りを感じています」と答えた。
  • 2020年11月27日ゴルフホールインワンし、ホールインワン証明書を発行された。その後、ホールインワン保険に入る[37]

社会貢献活動[編集]

  • 1995年からチャリティー活動を実践し、アジアの子供達のために寄付を続け、フィリピンにおいて4つの学校建設に貢献した。
  • 1995年11月25日、東京・赤坂プリンスホテルにおいて、アジアの恵まれない子供のためのチャリティーディナーライブを開催。収益金4,388,983円を特別救済活動カスパルに寄付し、フィリピンの学校建設費用に当てられた[38]松田聖子とのデュエットソング(2000年9月発売)の売り上げの一部も同所に寄付すると発表された。その後もファンクラブサイトやファンクラブイベントでチャリティーオークションを行った売上の一部などを同所に寄付し続けた結果、1995年11月から2007年4月で約1200万円に達し、フィリピンでの4つの学校建設に貢献した[39]
  • 1999年10月、「GO's CLUB PARTY '99」オークションの売上の一部を「郷ひろみファンクラブ」から日本赤十字社を通じ、トルコおよび台湾の「被害をこうむられた方々が、元気を取り戻し、また、子どもたちが今までどおり、勉強したり遊んだりできるように、一日も早い復興を願い」、震災復興義援金に各50万円ずつの計100万円を寄付した。
  • 2000年11月5日、結婚に伴う、結婚祝いを複数のNPOに寄付した。
  • 2006年11月、ジュエリーブランドRosen Hemdenのプロデュースを始め、利益の一部を寄付する。
  • 2007年5月放送の日本テレビトシガイ』(自分の年齢の数だけ(51歳×1万円)お金を好きなものに使えるという番組企画)を通じて自身が学校建設に貢献したフィリピンを初めて訪問し、子供たちから歓迎を受ける。51万円でフィリピンの子供たちに文房具、Tシャツなどをプレゼントした。「これからもライフワークにしていきたい。」と語った[40]

ディスコグラフィ[編集]

シングル
  1. 男の子女の子(1972年)
  2. 小さな体験(1972年)
  3. 天使の詩(1972年)
  4. 愛への出発(1973年)
  5. 裸のビーナス(1973年)
  6. 魅力のマーチ(1973年)
  7. モナリザの秘密(1973年)
  8. 花とみつばち(1974年)
  9. 君は特別(1974年)
  10. よろしく哀愁(1974年)
  11. わるい誘惑(1974年)
  12. 花のように 鳥のように(1975年)
  13. 誘われてフラメンコ(1975年)
  14. 逢えるかもしれない(1975年)
  15. バイ・バイ・ベイビー(1975年)
  16. 恋の弱味(1976年)
  17. 20才の微熱(1976年)
  18. あなたがいたから僕がいた(1976年)
  19. 寒い夜明け(1976年)
  20. 真夜中のヒーロー(1977年)
  21. 悲しきメモリー(1977年)
  22. 洪水の前(1977年)
  23. 帰郷/お化けのロック(1977年)
  24. 禁猟区(1977年)
  25. バイブレーション(胸から胸へ)(1978年)
  26. ぼくのるすばん(1978年)
  27. 林檎殺人事件(1978年)
  28. ハリウッド・スキャンダル(1978年)
  29. 地上の恋人(1978年)
  30. ナイヨ・ナイヨ・ナイト(1979年)
  31. いつも心に太陽を(1979年)
  32. マイ レディー(1979年)
  33. セクシー・ユー(モンロー・ウォーク)(1980年)
  34. タブー(禁じられた愛)(1980年)
  35. How many いい顔(1980年)
  36. 若さのカタルシス(1980年)
  37. 未完成(1981年)
  38. お嫁サンバ(1981年)
  39. もういちど思春期(1981年)
  40. 哀愁ヒーロー Part1・Part2(1981年)
  41. 純情(1982年)
  42. 女であれ、男であれ(1982年)
  43. 哀愁のカサブランカ(1982年)
  44. 哀しみの黒い瞳(1982年)
  45. 美貌の都(1983年)
  46. ロマンス(1983年)
  47. 素敵にシンデレラ・コンプレックス(1983年)
  48. ほっといてくれ(1983年)
  49. シャトレ・アモーナ・ホテル(1983年)
  50. 2億4千万の瞳(1984年)
  51. ヤクシニー(1984年)
  52. どこまでアバンチュール/ケアレス・ウィスパー(1984年)
  53. 愛のエンプティーペイジ(1985年)
  54. CHARISMA(1985年)
  55. サファイア・ブルー(1985年)
  56. Cool(1985年)
  57. 千年の孤独(1987年)
  58. 時をかさねたら(1988年)
  59. 最終便にまにあえば(1989年)
  60. Wブッキング(1990年)
  61. もう誰も愛さない(1990年)
  62. 裸のビーナス(1991年)
  63. 迷イズム(1991年)
  64. ビーナスたちのシエスタ(1992年)
  65. 僕がどんなに君を好きか、君は知らない(1993年)
  66. 言えないよ(1994年)
  67. 逢いたくてしかたない(1995年)
  68. 泣けばいい(1995年)
  69. どんなに君がはなれていたって(1996年)
  70. く・せ・に・な・る(1996年)
  71. Don't leave you alone(1996年)
  72. Zeroになれ(1997年)
  73. ゆっくり恋しよう(1997年)
  74. KISSが哀しい(1998年)
  75. 男が恋に出逢うとき(1999年)
  76. GOLDFINGER'99(1999年)
  77. GOLDFINGER'99(再発盤)(1999年)
  78. Hallelujah,Burning Love(2000年)
  79. なかったコトにして(2000年)
  80. True Love Story/さよならのKISSを忘れない(2000年)
  81. Only for you〜この永遠がある限り〜(2001年)
  82. 獣は裸になりたがる(2001年)
  83. ワキワキマイフレンド(2001年)
  84. この世界のどこかに(2001年)
  85. 愛より速く(2005年)
  86. 君が泣ける場所になる(2005年)
  87. LIFE(2006年)
  88. Boom Boom Boom/Come On Baby(2007年)
  89. Good Times Bad Times(2007年)
  90. 君だけを feat.童子-T(2008年)
  91. ありのままでそばにいて(2008年)
  92. 男願 Groove!(2009年)
  93. Get Real Love 〜GOLDFINGER'009〜(2009年)
  94. 僕らのヒーロー(2010年)
  95. 愛してる/愛してはいけないひと(2010年)
  96. 笑顔にカンパイ!(2011年)
  97. デンジャラー☆(2012年)
  98. Bang Bang(2013年)
  99. 99は終わらない(2014年)
  100. 100の願い(2015年)
  101. IRREGULAR(2016年)
  102. スキだから(2017年)
  103. 恋はシュミシュミ(2018年)
  104. JAN JAN JAPANESE(2019年)
  105. ウォンチュー!!!(2020年)
  106. 100GO!回の確信犯/狐火(2021年)
  107. ジャンケンポンGO!!(2022年)
  108. 俺は最高!!!(2023年)

タイアップ一覧[編集]

[注 2] 楽曲 タイアップ先
1972年 天使の詩 TBS系列木下恵介アワードラマおやじ山脈主題歌
1974年 夢で会おうね 日本テレビ系列月曜ドラマぼくは叔父さん』主題歌
よろしく哀愁 NET系列ドラマ『ちょっとしあわせ』主題歌
1977年 帰郷 TBS系列水曜劇場枠ドラマ『ムー』挿入歌
お化けのロック TBS系列水曜劇場枠ドラマ『ムー』挿入歌
TBS系列水曜劇場枠ドラマ『ムー一族』劇中歌
1978年 林檎殺人事件 TBS系列水曜劇場枠ドラマ『ムー一族』劇中歌
1979年 マイ レディー TBS系列水曜劇場枠ドラマ『家路〜ママ・ドント・クライ』挿入歌
1980年 How many いい顔 カネボウ化粧品CMソング
若さのカタルシス TBS系列水曜ドラマ春の訪問者・ミセスとぼくとセニョールと!〜夢飛行〜』挿入歌
1982年 哀愁のカサブランカ サントリー赤玉パンチ』CMソング
1983年 素敵にシンデレラ・コンプレックス トヨタ自動車5代目カローラ』CMソング
1984年 2億4千万の瞳 日本国有鉄道『ディスカバー・ジャパン』キャンペーンソング
1989年 最終便にまにあえば テレビ朝日系列音楽番組郷ひろみの宴ターテイメント』テーマソング
1990年 もう誰も愛さない 日本テレビ系列金曜ドラマ刑事貴族パート1』後期前半エンディングテーマ
1992年 ビーナスたちのシエスタ フジテレビ系列木曜深夜枠ドラマ『アルファベット2/3』主題歌
1993年 僕がどんなに君を好きか、君は知らない フジテレビ系列昼ドラマ正しい結婚』主題歌
1994年 言えないよ TBS系列愛の劇場枠ドラマ『お見合いの達人』主題歌
フジテレビ系列バラエティ番組上岡龍太郎にはダマされないぞ!』エンディングテーマ
1995年 逢いたくてしかたない 朝日生命保険CMソング
忘れられないひと トリンプ『天使のブラ』CMソング
泣けばいい TBS系列愛の劇場枠ドラマ『あした家族になあれ』主題歌
1996年 どんなに君がはなれていたって TBS系列愛の劇場枠ドラマ『ママは大ピンチ!!』主題歌
裸の夢 トリンプCMソング
く・せ・に・な・る 朝日生命保険CMソング
甘い束縛 ロレックス専門店『エバンス青山店』CMソング
Don't leave you alone 朝日生命保険CMソング
いつもそばに君がいた いすゞ自動車フォワード』CMソング
1997年 ゆっくり恋しよう 日本エアシステムCMソング
1998年 KISSが哀しい フジテレビ系列昼ドラマ『白衣のふたり』主題歌
1999年 GOLDFINGER'99 TBS系列東芝日曜劇場枠ドラマ『ヤマダ一家の辛抱』主題歌
2000年 Hallelujah,Burning Love エステティックサロン『ラ・パルレ』CFソング
なかったコトにして サンヨー食品カップスター』CMソング
2001年 Only for you〜この永遠がある限り〜 日本テレビ系列水曜ドラマFACE〜見知らぬ恋人〜』エンディングテーマ
獣は裸になりたがる 高須クリニックCMソング
ワキワキマイフレンド フジテレビ系列昼ドラマ『はるちゃん5』主題歌
この世界のどこかに TBS系列ドラマ30ひとりじゃないの』主題歌
2005年 愛より速く 高須クリニックCMソング
君が泣ける場所になる 雪国まいたけCMソング
いま、ここにいる理由 高須クリニックCMソング
2007年 Come On Baby 国土交通省ビジット・ジャパン・キャンペーン』キャンペーンソング
Good Times Bad Times ニューギン『CR GO!GO!郷SECOUD STAGE』主題歌
もういいの? 高須クリニックCMソング
2009年 男願 Groove! エクササイズDVD『ヒップホップアブス』イメージソング
2010年 僕らのヒーロー NHKみんなのうた』2010年6月・7月のうた
2011年 笑顔にカンパイ! NHK総合テレビジョンバラエティ番組『サラリーマンNEOシーズン6』オープニングテーマ
ショウゲート配給映画サラリーマンNEO 劇場版(笑)』主題歌
2012年 デンジャラー☆ ニューギン『CR GO!GO!郷THIRD EVOLUTION』主題歌
2015年 100の願い フジテレビ系列昼ドラマ『プラチナエイジ』主題歌

ライブ[編集]

ワンマンライブ[編集]

主にホールを敢行するコンサートツアーを毎年開催している。郷はライブについて「約2時間のなかでいかに多くの自分を観ていただけるか」を意識し、魅せる要素が大きいからこそ楽しんでもらうステージングを心掛けているという[41]

日程 種別 タイトル 会場・備考
1977年12月 単発公演 HIROMI GO FINAL CONCERT IN BUDOKAN
Fire & Higher
初の日本武道館公演。
1988年6月 - コンサートツアー HIROMI GO CONERT'88
"AVENUE-C"
25thアルバム『DRIVING FORCE』を引っ提げて敢行された。
1990年5月 - コンサートツアー 90 HIROMI GO WORLD CONCERT TOUR
"AMERICA KABURE"
26thアルバム『アメリカかぶれ』を引っ提げて敢行された。
1991年6月 - コンサートツアー 1991 HIROMI GO CONCERT TOUR
"準備万端"
1stコンピレーションアルバム『準備万端〜VINGT ANS〜』を引っ提げて敢行された。
1992年5月 - コンサートツアー HIROMI GO CONCERT TOUR '92
CATALONIAN BLOOD
27thアルバム『CATALONIAN BLOOD』を引っ提げて敢行された。
1993年6月 - 7月 コンサートツアー HIROMI GO CONCERT TOUR 1993
NON TITLE
28thアルバム『LUNA LLENA』を引っ提げて敢行された。全28公演。
1994年5月 - 7月 コンサートツアー THE GREATEST HITS OF HIROMI GO CONCERT TOUR'94 24thベストアルバム『THE GREATEST HITS OF HIROMI GO』を引っ提げて敢行された。全21公演。
1995年7月 - 10月 コンサートツアー HIROMI GO CONCERT TOUR'95
"I Miss You"
30thアルバム『I miss you〜逢いたくてしかたない〜』を引っ提げて敢行された。全46公演。
1996年7月 - 10月 コンサートツアー HIROMI GO CONCERT TOUR'96
"く・せ・に・な・る"
31stアルバム『く・せ・に・な・る』を引っ提げて敢行された。全51公演。
1997年5月 - 9月 コンサートツアー HIROMI GO CONCERT TOUR'97
"HIROMIX WORLD The 25th Anniversary"
デビュー25周年を記念して敢行された。全51公演。最終日は日本武道館で開催された。
1998年6月 - 9月 コンサートツアー HIROMI GO CONCERT TOUR 1998
"心のカギ"
32ndアルバム『心のカギ』を引っ提げて敢行された。全52公演。
1999年5月 - 8月 コンサートツアー HIROMI GO CONCERT TOUR 1999
"READY, SET・・・GO!"
全49公演。
2000年7月 - 9月 コンサートツアー HIROMI GO CONCERT TOUR 2000
"恋のハレルヤ大作戦"
33rdアルバム『恋のハレルヤ大作戦〜Mission Code is "G"』を引っ提げて敢行された。全55公演。
2001年7月 - 10月 コンサートツアー HIROMI GO CONCERT TOUR 2001
"MOST LOVED HITS OF HIROMI GO"
26thベストアルバム『MOST LOVED HITS OF HIROMI GO VOL.1~Heat~』と、27thベストアルバム『MOST LOVED HITS OF HIROMI GO VOL.2~Cool~』を引っ提げて敢行された。全64公演。
2005年10月1日 - 12月25日 コンサートツアー HIROMI GO CONCERT TOUR 2005
"Evolution"

35thアルバム『Evolution』を引っ提げて敢行されたホールツアー。

2006年9月3日 - 9月17日 コンサートツアー Delight & Devotion!
"Hiromi Go Live 35th Anniversary Celebration 2006"

デビュー35周年を記念して敢行されたライブハウスツアー。

2007年6月16日 - 9月24日 コンサートツアー HIROMI GO CONCERT TOUR 2007
"Boom Boom Boom"

88thシングル『Boom Boom Boom/Come On Baby』を引っ提げて敢行されたホールツアー。

2008年6月1日 - 9月21日 コンサートツアー HIROMI GO CONCERT TOUR 2008
"THE PLACE TO BE"

36thアルバム『place to be』を引っ提げて敢行されたホールツアー。

2009年6月6日 - 9月23日 コンサートツアー HIROMI GO CONCERT TOUR 2009
"Dan Gan Groove!"

92ndシングル『男願 Groove!』を引っ提げて敢行されたホールツアー。

2010年5月3日 単発公演 2010春の音楽祭
"郷ひろみアコースティックスペシャル"
会場 - 05/03 軽井沢大賀ホール (神奈川県)

アコースティックライブ。

2010年6月5日 - 10月18日 コンサートツアー HIROMI GO CONCERT TOUR 2010
"55!伝説"

54thシングル『僕らのヒーロー』を引っ提げて敢行されたホールツアー。最終日の東京公演は自身の55歳の誕生日に開催された[42]

2011年5月29日 - 10月5日 コンサートツアー Hiromi Go Concert 40th Anniversary Celebration 2011
"GIFT ~40年目の贈りもの~"

デビュー40周年を記念して敢行されたホールツアー。

2011年10月23日 単発公演 HIROMI GO LIVE at Blue Note TOKYO 会場 - 10/23 ブルーノート東京 (東京都)

デビュー40周年を記念して開催された。当公演のチケットはウェブ予約のみで販売された[43]

2012年6月3日 - 9月29日 コンサートツアー HIROMI GO CONCERT TOUR 2012
"LINK"

6thボックスセット『40th anniversary limited box set "LINK"』を引っ提げて敢行されたホールツアー[44]

2013年6月2日 - 9月29日 コンサートツアー HIROMI GO DISCOTHEQUE TOUR 2013
"LET'S GROOVE"

98thシングル『Bang Bang』を引っ提げて敢行されたホールツアー[45]

2014年7月6日 - 10月12日 コンサートツアー Hiromi Go Concert Tour 2014
"Never End"

99thシングル『99は終わらない』を引っ提げて敢行されたホールツアー[46]

2015年5月27日 - 10月18日 コンサートツアー Hiromi Go Concert Tour 2015
THE GOLD

100thシングル『100の願い』を引っ提げて敢行されたホールツアー[47]。最終日の東京公演は自身の60歳の誕生日に開催された[48]

2016年2月3日 単発公演 SPECIAL CONCERT 2016
HIROMI GO & THE ORCHESTRA at SUNTORY HALL
会場 - 02/03 東京サントリーホール (東京都)

オーケストラライブ[49]

2016年6月19日 - 10月10日 コンサートツアー Hiromi Go Concert Tour 2016
NEW WORLD

101stシングル『IRREGULAR』を引っ提げて敢行されたホールツアー[50]

2017年6月4日 - 9月30日 コンサートツアー Hiromi Go Concert Tour 2017
My Dear…

102ndシングル『スキだから』を引っ提げて敢行されたホールツアー[51]

2018年5月27日 - 9月16日 コンサートツアー Hiromi Go Concert Tour 2018
-Urban Velocity- UV

103rdシングル『恋はシュミシュミ』を引っ提げて敢行されたホールツアー[52]

2019年2月27日 単発公演 HIROMI GO SPECIAL CONCERT 2019
"ALL MY LIFE"
会場 - 02/27 東京文化会館・大ホール (東京都)

30人編成のビッグバンドパフォーマースタッフを加えた総勢70名を率いて開催された。華道家大谷美香とのコラボレーションやエアリアルパフォーマンス、大平貴之によるメガスターを駆使しての楽曲披露などエンターテインメント要素の強い公演となっており、郷曰く「開催の数年前より準備していた」という[53]

2019年6月2日 - 10月30日 コンサートツアー Hiromi Go Concert Tour 2019
Bland-New Exotic

104thシングル『JAN JAN JAPANESE』を引っ提げて敢行されたホールツアー[54]

2020年10月1日 - 2021年2月27日 コンサートツアー Hiromi Go Concert Tour 2020-2021
"The Golden Hits"

新型コロナウイルス感染症の流行の影響により、日程を当初より大幅にずらして敢行されたホールツアー。ステージ内容も変更され、ライブイベントが激減し活気を失ったエンターテインメント業界やオーディエンスを励ますコンセプトに、披露楽曲はシングルの表題曲のみで選曲された[55][56]

2020年10月18日 配信単発公演 HIROMI GO Live Online
"65th BIRTHDAY from HIDEOUT STUDIO"
会場 - 10/18 The Hideout RECORDING STUDIO (アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス)

初の配信ライブ。自身の65歳の誕生日に開催された[57]

2023年5月20日 - 10月17日 コンサートツアー Hiromi Go Concert Tour 2023
NEW INTENTIONS
全39公演

ディナーショー[編集]

日程 タイトル 会場・備考 (※は同日2公演)
2006年6月2日 - 9月1日 Here's to you!
Hiromi Go Live 35th Anniversary Celebration 2006
2006年12月1日 - 12月26日 HIROMI GO CHRISTMAS DINNER SHOW 2006
2007年11月25日 - 12月25日 HIROMI GO CHRISTMAS DINNER SHOW 2007
2008年11月26日 - 12月25日 HIROMI GO CHRISTMAS DINNER SHOW 2008
2009年11月23日 - 12月25日 HIROMI GO CHRISTMAS DINNER SHOW 2009
2010年11月23日 - 12月25日 HIROMI GO CHRISTMAS DINNER SHOW 2010

出演[編集]

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

ファースト・シングル『男の子女の子』で、男性アイドル歌手としてデビュー。その表題曲「男の子女の子」で、第24回1973年)に紅白歌合戦へ初出場を果たす[58]。その後、第36回1985年)まで13年連続で出演したが、次の第37回1986年)は郷自ら芸能活動の休業中の理由で、紅白出場を辞退した。

その後郷は、紅白歌合戦への復帰と不出場を繰り返したが、第61回2010年)から現在まで14年連続で出場継続中。なお第74回2023年)では男性歌手として、紅白通算36回目の出演と成った。これは白組歌手で、歴代5位の記録となる(紅組歌手も含めると歴代7位)。

2023年現在、紅白歌合戦で白組のトップバッターを4年連続4回、その後も3回務めた。4年連続のトップバッターは白組歌手の最多記録で、さらにトップバッター・通算7回は、紅白出場歌手としても最多記録である。その一方で、紅白に30回以上出演しながら白&紅組トリ・大トリの未経験歌手は、郷一人だけという珍記録も持っている。

年度 放送回 曲目 備考
1973年 第24回 男の子女の子 紅白初出場
1974年 第25回 2 花とみつばち
1975年 第26回 3 花のように鳥のように
1976年 第27回 4 あなたがいたから僕がいた
1977年 第28回 5 悲しきメモリー 先攻トップバッター
1978年 第29回 6 バイブレーション (胸から胸へ) 白組トップバッター(2)
1979年 第30回 7 マイレディー 白組トップバッター(3)
1980年 第31回 8 How many いい顔 先攻トップバッター(4)
1981年 第32回 9 お嫁サンバ
1982年 第33回 10 哀愁のカサブランカ
1983年 第34回 11 素敵にシンデレラ・コンプレックス
1984年 第35回 12 2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-
1985年 第36回 13 Cool
1990年 第41回 14 Wブッキング 5年ぶり復帰出場
1994年 第45回 15 言えないよ 4年ぶり復帰出場
1995年 第46回 16 逢いたくてしかたない
1996年 第47回 17 2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-(2回目)
1997年 第48回 18 お嫁サンバ'97[注 3]
1998年 第49回 19 セクシー・ユー
1999年 第50回 20 GOLDFINGER '99
2000年 第51回 21 なかったコトにして
2001年 第52回 22 この世界のどこかに
2010年 第61回 23 GO!GO!イヤー紅白スペシャルメドレー[注 4] 9年ぶり復帰出場
2011年 第62回 24 Go Smile Japan!![注 5]
2012年 第63回 25 デンジャラー☆
2013年 第64回 26 Bang Bang
2014年 第65回 27 99は終わらない
2015年 第66回 28 2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-(4回目) 先攻トップバッター(5)
2016年 第67回 29 言えないよ(2回目)
2017年 第68回 30 2億4千万の瞳 ~Go! Go! バブルリミックス~(5回目) 前半トリ
2018年 第69回 31 GOLDFINGER'99~GO!GO!2018~(2回目)
2019年 第70回 32 2億4千万の瞳-エキゾチック “GO!GO!”ジャパン-(6回目) 白組トップバッター(6)
2020年 第71回 33 筒美京平 トリビュートメドレー[注 6]
2021年 第72回 34 2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-(7回目) 白組トップバッター(7)
2022年 第73回 35 GO!GO!50周年!!SPメドレー[注 7]
2023年 第74回 36 2億4千万の瞳〜ブレイキンSP〜(8回目)
  • 備考のトリ等の次にある()はトリ等を務めた回数を表す。
  • 前半トリとは1990年以降の紅白において、前半戦(ニュース中断まで)で両軍の締めくくりを務めたことを指す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。

バラエティ[編集]

ラジオ[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

舞台[編集]

アニメ[編集]

イベント[編集]

キャンペーン[編集]

CM[編集]

受賞歴[編集]

書籍[編集]

著書[編集]

  • 『20才の微熱』レオ企画 1976
  • 『たったひとり』(1980年、小学館
  • 『郷ひろみの紐育(ニューヨーク)日記』(1989年、朝日新聞社)※1991年文庫化
  • 『不惑』(1996年、工作舎
  • 『ダディ』(1998年、幻冬舎
  • 『若気の至り』(2000年、角川書店
  • 『NEXT 明日の僕がいちばん!』(2009年、講談社
  • 『黄金の60代』幻冬舎, 2020.6

写真集[編集]

  • 写真集『ムー一族』(1978年11月、レオ企画)
  • 「G 郷ひろみ」(2013年5月29日)※ジミー・ミン・シュン(香港)撮影、台湾ロケ

雑誌・漫画[編集]

  • 写真小説「郷ひろみ物語」(1973年1月 - 12月、『週刊マーガレット』連載、集英社
  • 郷ひろみに学ぶ 幸せのレシピ(1997年8月、いでまゆみ、幻冬舎)

ビジネス[編集]

レストラン[編集]

  • イタリアンレストランのプロデュース/SOGNI di SOGNI(ソーニ・ディ・ソーニ)

ブランド[編集]

  • ジュエリーブランドのプロデュース/Rosen Hemden(ローゼン・ヘムデン)※経営・運営は坂本貴金属
    • 2006年11月 - 、テーマは「大きな母の愛」。利益の一部は、アジアの恵まれない子供たちやシングルマザーのために寄付すると発表。
    • 「より多くのシングルマザーや子供たちが幸福に近づけることを望み、展開していくブランドにしたい」と語り、温かいブランドイメージをプロデュースした。
  • 日本酒のプロデュース/大吟醸 原武 ※製造販売は齋彌酒造店
    • 2009年、ブランドロゴは郷ひろみの父・原武英夫の文字。
  • オリジナルワインのプロデュース/2008 マグニフィカファイブ(ディレクターHIROMI GO)※醸造・販売、クラッシュパッド株式会社
    • 2010年カリフォルニア州のぶどう畑でワインを生産。郷がデザインしたオリジナル・ラベル「5」の郷ひろみ仕様のワイン。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 既に閉園[いつ?]1965年開園の「六郷幼稚園」、1968年開園の「仲六郷保育園」とは別。
  2. ^ 楽曲が起用された年ではなく、音源化された年で明記。
  3. ^ 「お嫁サンバ(2回目)」、「マイレディー(2回目)」「よろしく哀愁」の順に歌唱した。
  4. ^ 「愛してる」、「僕らのヒーロー」、「男願 Groove!」の順に歌唱した。
  5. ^ 「笑顔にカンパイ!」、「2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-(3回目)」の順に歌唱した。
  6. ^ 「男の子女の子(2回目)」、「よろしく哀愁(2回目)」の順に歌唱した。
  7. ^ 「男の子女の子(3回目)」「林檎殺人事件」(橋本環奈とのデュエット)「GOLDFINGER'99(3回目)」「ジャンケンポンGO!!」の順に歌唱した。

出典[編集]

  1. ^ PROFILE”. デュオプロジェクト. 2023年12月12日閲覧。
  2. ^ 郷ひろみの楽曲を掘り下げる特集を公開! 第1回は1970年〜1990年代編”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク株式会社 (2021年8月2日). 2021年10月9日閲覧。
  3. ^ a b c d 郷ひろみ(ゴウヒロミ)の情報まとめ”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク株式会社. 2021年10月9日閲覧。
  4. ^ 郷ひろみ 郷ひろみを生きている、極めている/日曜日のヒーロー&ヒロイン”. ニッカン芸能!. 日刊スポーツ新聞社/朝日新聞社 (2019年10月18日). 2019年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月9日閲覧。
  5. ^ (インタビュー)「郷GO!!インタビュー<1> おふくろに平手で殴られた:東京中日スポーツ55周年企画」『CHUNICHI Web』、中日スポーツ、2010年5月11日。 オリジナルの2011年5月11日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20110511205344/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/55nen_t/list/201005/CK2010051102000146.html2021年10月9日閲覧 
  6. ^ 週刊読売 昭和50年6月号記事より
  7. ^ https://jpedia.jakou.com/go.html ジャニーズ百科事典
  8. ^ 『小田嶋隆の学歴論』
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]