賀景
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賀 景(が けい、生没年不詳)は、中国三国時代の呉の武将。揚州会稽郡山陰県の人。
生涯[編集]
兄の賀達と共に良将としての名声があった。滅賊校尉に任じられ、部隊の兵器が整備されている点では当時並ぶ者がないほどだったが、若くして死去した。
自身は『三国志』には立伝されていないが、父の賀斉は山越を討伐した名将として、子の賀邵は孫皓の暴政を諌めた[1]直士として名を残し、単独で立伝されている。
家系図[編集]
慶純(賀純) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
賀輔 | 賀斉 | 賀達 | 賀質 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
賀景 | 賀邵 | 賀循 | 賀隰 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出典[編集]
- 陳寿『三国志』巻60 呉書 賀斉伝
出典[編集]
- ^ 『三国志』呉書 賀邵伝