藤原安嶺 ウィキペディアから無料の百科事典 藤原 安嶺(ふじわら の やすみね、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族。藤原北家、美作守・藤原末茂の孫、美濃守・藤原沢継の子。官位は従五位上・阿波守 。 経歴[編集] 兵部大丞を経て、清和朝半ばの貞観9年(867年)従五位下・長門守に叙任されて地方官に遷る。 のち、民部少輔を経て、陽成朝末の元慶7年(883年)従五位上に昇叙され、光孝朝初頭の元慶9年(885年)阿波守として再び地方官に転じている。 官歴[編集] 『日本三代実録』による。 時期不詳:正六位上。兵部大丞 貞観9年(867年) 正月7日:従五位下。正月12日:長門守 時期不詳:民部少輔 元慶7年(883年) 正月7日:従五位上 元慶9年(885年) 正月16日:阿波守 系譜[編集] 『尊卑分脈』による。 父:藤原沢継 母:不詳 妻:不詳 男子:藤原是房 参考文献[編集] 武田祐吉、佐藤謙三訳『読み下し 日本三代実録』上下巻、戎光祥出版、2009年 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年