緑僧都村

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みどりそうづむら
緑僧都村
廃止日 1952年9月1日
廃止理由 新設合併
緑僧都村、城辺町 → 城辺町
現在の自治体 愛南町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 愛媛県
南宇和郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,426
(1921年)
緑僧都村役場
所在地 愛媛県愛媛県南宇和郡緑僧都村大字緑字中緑
座標 北緯32度58分21秒 東経132度35分47秒 / 北緯32.9725度 東経132.5965度 / 32.9725; 132.5965座標: 北緯32度58分21秒 東経132度35分47秒 / 北緯32.9725度 東経132.5965度 / 32.9725; 132.5965
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緑僧都村みどりそうづむらみどりそうずむらとするものもある)は、愛媛県南宇和郡1952年まで存在したである。昭和の合併により南宇和郡城辺町となり、自治体としての歴史は閉じた。 さらに平成の大合併で同郡愛南町となっている。現在の愛南町の中北部に相当する。

地理[編集]

愛媛県の最南端である南宇和郡の中北部にあたり、僧都川の中流域(緑)から上流(僧都)にかけての地域。僧都川は西隣の内海村との境の観音岳の東に源流を発し、上流域では東流し、やがて南に、さらに緑地区で西へと大きく向きを変え、城辺町へとつながっている。僧都川の最上流付近から北の津島町上槙に抜ける峠道がある。

街道から外れていることもあって、郡内の他の地域に比べて道路の改良が遅れた。

村名の由来

  • 旧2箇村を合わせたもの。合成地名。

旧村名の由来

戦国時代に当地にあった城を守り、長宗我部氏からの進攻に抵抗した城主・緑弾正を称えて「緑」と呼ぶようになったという説と、「緑丸」という鷹[1]に由来するものとの言い伝えもある。
  • 僧都
古くは「左右水」とも表記した。一説では、水源が2つに分かれていたためとし、また他説では「左右水」は水車の古名であるとする。古くから呼ばれていた地名であったが、宇和島藩主が当地に都から僧を住まわせた際に「僧都」と改称させたといわれている。

社会[編集]

地域・集落[編集]

緑(みどり)、僧都(そうず)の2地域に大別される。村域の南側、僧都川の中流域が緑、北側の上流域が僧都。

明治の合併成立時、旧村名を継承して、僧都、緑の2字が成立。1952年(昭和27年)の城辺町への合併後も引き継がれたが、1956年(昭和31年)の同町の東外海町との合併と同時に、大字は廃止された。愛南町となってからも変更はなし。

行政・公共施設[編集]

役場 大字緑中緑に設置

教育[編集]

  • 小学校 かつては2校あり、1校が存続している[2]
  • 緑小学校[3]現存
所在地 愛媛県南宇和郡愛南町緑乙3231番地
  • 僧都小学校 2022年(令和4年)城辺小学校に統合
  • 中学校 かつては2校あったが、緑中学は城辺町の時期に、僧都中も愛南町になってからではあるが、統合された。これにより旧当村域には中学校は存在しなくなった。
    • 緑中学校 1967年(昭和42年)城辺中学校に統合
    • 僧都中学校 2007年(平成19年)城辺中学校に統合

歴史[編集]

中世

  • 御荘氏の支城として緑城が築かれていたが、長宗我部氏の侵攻により落城した。

藩政期

  • 藩政期には宇和島藩の領地で御荘組松の荘に属す。
  • 宝暦14年 - 代官ニ神正種が藩に和紙の製造を願い出、許可される

明治以降

  • 1889年(明治22年)12月15日 - 町村制施行により緑僧都村(みどりそうずむら)が成立。役場を大字緑字中緑におく。
  • 1892年(明治25年) - 新庁舎建築
  • 1892年(明治25年) - 大字緑得予備大字僧都に小学校を開設
  • 1906年(明治39年) - 緑尋常高等小学校と改称
  • 1918年(大正7年) - 僧都発電所設置、電灯ともる
  • 1941年(昭和16年) - 僧都に高等科を設置
  • 1952年(昭和27年)9月1日 - 城辺町と合併し、新たに城辺町となる。
緑僧津村の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期)         (昭和の合併) (平成の合併)             町村制施行時 緑  ━━━━┓            昭和27年9月1日合併        ┣━━━緑僧都村━━━━━━━━┓ 僧都 ━━━━┛         あ     ┃ 昭和31年9月21日合併 城辺  ━━━━━━━城辺村━━━城辺町━━━┻━━━┳━━━━━━┓ 東外海浦━━━━━━━東外海村━━━━━東外海町━━━┛      ┃                      い            ┃                      内海村━━━━━━━━━━┫平成16年10月1日                      御荘町━━━━━━━━━━┫ 新設合併                      城辺町━━━━━━━━━━╋━愛南町                      西海町 ━━━━━━━━━┛  あ 大正12年2月11日、町制施行「城辺町」となる。 い 昭和27年4月1日、町制施行「東外海町」となる。 (注記)内海村他の合併以前の系譜はそれぞれの町村の記事を参照のこと。 

産業[編集]

米、野菜類、柑橘を中心とした農業が主体。北部では、しいたけ、雁皮、薪木、炭を産したほか、製蝋、製紙も行われた。しいたけ類の栽培は幕末頃大いに栄え、深浦の港を経由し大坂に出荷していた[4]

脚注[編集]

  1. ^ 百合若大臣が飼っていた鷹と伝えられる 『角川日本地名大辞典38愛媛県』による
  2. ^ 当村地域を含む愛南町では海岸部・山間部を問わず過疎化・少子化が著しく、小中学校の整理統合が行政の課題の一つとされており、2024年(令和6年)3月28日の「愛南町公立小中学校再編計画」https://ainan-t.esnet.ed.jp/file/1067 では「目標」として「緑小学校と城辺小学校は、令和9年度までの再編について、協議(意見交換) を続ける。」こととされている。
  3. ^ えひめスクールネットにある同校ホームページ https://johen-midori-e.esnet.ed.jp/ 沿革はhttps://johen-midori-e.esnet.ed.jp/file/5955 (PDFファイル形式)
  4. ^ 『角川日本地名大辞典38愛媛県』による

参考文献[編集]

  • 『角川日本地名大辞典38愛媛県』

関連項目[編集]