甘露寺経子 ウィキペディアから無料の百科事典 甘露寺 経子(かんろじ つねこ、生没年不詳)は、後小松天皇の典侍。父は権大納言の甘露寺兼長。大納言典侍と称した。 生涯[編集] 権大納言の甘露寺兼長の娘として生まれる。兄弟に甘露寺清長、甘露寺房長などがいる。 後小松天皇の典侍となり、大納言典侍と称した[1]。1424年(応永31年)に土岐与安との密通・懐妊が発覚し、二人とも逐電した[2]。 脚注[編集] ^ 「日本女性人名辞典」(日本図書センター、1993年) ^ 「中世日本社会史の研究」(阿部猛、大原新生社、1980年) この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集