瀬川如皐 ウィキペディアから無料の百科事典 瀬川 如皐(せがわ じょこう)は歌舞伎作者の名跡。 初 代 瀬川如皐 舞踊市山流の初世市山七十郎の子、1739–94。役者の三代目瀬川菊之丞の兄。役者から作者に転身、さらに長唄や常磐津の作詞も手がけた。 市山七蔵 → 瀬川七蔵 → 市山七蔵 → 瀬川乙女 → 初代瀬川如皐 長唄『狂乱雲井袖』、常磐津『四天王大江山入』 二代目 瀬川如皐 1757–1833。初代?の門弟から初代河竹新七の門人。 五百埼文次 → 河竹文次 → 御園文次 → 二代目瀬川如皐 代表作不詳 三代目 瀬川如皐 五代目鶴屋南北の門人、1806–81。実家は呉服屋。 絞吉平 → 絞吉兵衛 → 三代目姥尉輔 → 藤本吉兵衛 → 澤村吉兵衛 → 三代目瀬川如皐 『與話情浮名横櫛』(切られ与三)、『新臺いろは書始』(松浦の太鼓)、『東山櫻荘子』(佐倉義民伝) 四代目 瀬川如皐 三代目の親戚、1857–1938。福地櫻癡の門人から歌舞伎座の付作者に。 本名・川村太市。三代目の死後、その未亡人を引き取って世話した関係で、明治31年(1898年)襲名する。東京座の立作者から、芝新堀に草鞋屋を開くかたわら歌舞伎座の客分となっていた。昭和13年1月、82才で没[1]。 代表作不詳 五代目 瀬川如皐 四代目の子、1889–1957。主に関西で活躍。 襲名歴不詳 代表作不詳 脚注[編集] ^ 千谷道雄『吉右衛門の回想」75p このページは人名(人物)の曖昧さ回避のためのページです。同名の人物に関する複数の記事の水先案内のために、同じ人名を持つ人物を一覧にしてあります。お探しの人物の記事を選んでください。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えてください。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。表示編集