橘敏通 ウィキペディアから無料の百科事典 「橘俊通」とは別人です。 凡例橘敏通時代 平安時代中期生誕 不明死没 不明官位 従五位下・式部大輔主君 朱雀天皇氏族 橘氏父母 父:橘公頼兄弟 敏実、敏仲、敏通、敏貞、敏延子 通敏、淑信、淑行、淑政テンプレートを表示 橘 敏通(たちばな の としみち)は、平安時代中期の貴族。中納言・橘公頼の三男。官位は従五位下・式部大輔。筑後国蒲池の領主。 経歴[編集] 天慶2年(939年)文章得業生。承平天慶の乱に際して、天慶4年(941年)大宰府に攻め寄せてきた藤原純友の弟・純乗を、父・公頼と柳川郊外の蒲池城で迎え撃ち、純乗を撃退する。 天慶5年(942年)内記。 系譜[編集] 『尊卑分脈』による。 父:橘公頼 母:不詳 生母不詳の子女 男子:橘通敏 男子:橘淑信 男子:橘淑行 男子:橘淑政