成穆貴妃 ウィキペディアから無料の百科事典 成穆貴妃(せいぼくきひ、1343年 - 1374年)は、明の洪武帝の貴妃。姓は孫氏。河南陳州の人。 生涯[編集] 元末の兵乱で、家族と散失い、次兄の孫蕃と共に揚州に流浪した。後、馬世熊の養女となり、朱元璋(のちの洪武帝)の側室にいたった。 明の洪武3年(1370年)、貴妃に立てられた。容貌が美しく、礼儀に習熟して、寵愛を受けた。馬皇后により賢女と称された。洪武7年(1374年)9月に死去した。洪武帝はその死を悼み、成穆と諡された。 子女[編集] 臨安公主 懐慶公主 伝記資料[編集] 『明太祖実録』 『明史』