平尾昌晃
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平尾 昌晃 | |
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基本情報 | |
出生名 | 平尾 勇 |
別名 | 平尾 昌章 |
生誕 | 1937年12月24日 |
出身地 | 日本・東京府東京市牛込 (現:東京都新宿区) |
死没 | 2017年7月21日(79歳没) |
学歴 | 慶應義塾高等学校中退 |
職業 | 作曲家 作詞家 歌手 |
共同作業者 | ミッキー・カーチス 山下敬二郎 竜崎孝路 |
公式サイト | 平尾昌晃のホームページ |
平尾 昌晃(ひらお まさあき、1937年〈昭和12年〉12月24日 - 2017年〈平成29年〉7月21日[1])は、日本の作曲家、作詞家、歌手。社団法人日本作曲家協会・常務理事[2]、社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)理事[3]などを歴任した。
来歴・人物
[編集]生い立ち
[編集]化粧品業を営んだ平尾聚泉の孫。クラシックの作曲家で国立音楽大学教授を務めた平尾貴四男は伯父。
東京市の牛込(現:東京都新宿区)「生まれ」であるが、終戦後、神奈川県の湘南エリアに移住し、藤沢市にある湘南学園で小中学時代を送る[4]。出生名は平尾勇。幼少時にたびたび改名し、デビュー初期の芸名である「昌章」を経て、最終的には本名の通り平尾昌晃を芸名としていた。
小学3年生のとき、自宅に来ていた将校から貰ったジャズのLPを聴き衝撃を覚える[5]。11歳のとき、のど自慢大会に出場し「奥様お手をどうぞ」を英語で歌い、鐘3つの合格点をもらう[6]。
藤沢市に住み、ジャズ教室に通い、朝丘雪路、水谷良重、ペギー葉山らと知り合う。慶應義塾高等学校中退後、ウエスタンの人気バンド、チャック・ワゴン・ボーイズに入る[7]。しばらくして、チャック・ワゴン・ボーイズはボーカルの小坂一也が脱退したため、オールスターズ・ワゴンとなる。
ソロ・デビュー
[編集]1957年、ジャズ喫茶「テネシー」に出演していた際、ステージを見た渡辺プロの渡辺美佐と映画監督井上梅次に見初められ、同年に公開された石原裕次郎主演の『嵐を呼ぶ男』に出演する[8]。自身としても、翌1958年1月、キングレコードより「リトル・ダーリン」でソロ・デビューする[8]。同曲の売上は芳しくなかったが、続いて同年3月に発表した「監獄ロック」が10万枚を売り上げるヒットとなる[9]。その後、ミッキー・カーチス、山下敬二郎(後にこの2人は渡辺プロに所属する)と「ロカビリー三人男」として「日劇ウエスタンカーニバル」などで爆発的な大人気を博した[10]。1958年には、キングレコードからオリジナルナンバーである「星は何でも知っている」1960年4月には「ミヨチャン」(ミヨちゃん)を発表し、2曲共に100万枚を売り上げる大ヒットとなった[11]。売上に関しては、「星は何でも知っている」は50万枚[12]、「ミヨちゃん」は40万枚[13] とする文献もある。
「ミヨチャン」の元歌は、戦前から中学生の間で流行していた作曲者不詳の歌で、平尾は高校生の頃に覚えたという。それを基に現代(1960年当時)向きの歌詞をつけてリメイクしたのが平尾の「ミヨチャン」である[14]。
ポール・アンカが作詞・作曲した「好きなんだ! (I Love You)」は、日本での売上は10万枚程度に留まったが、ハワイでは地元ラジオ局KPOIが流したことをきっかけにリクエスト・ランキングで1位を記録する大ヒットとなった[15]。1959年12月、ハワイで開催された「アメリカン・ポップス大会」では、日本代表として歌唱した[15]。
1965年2月20日、拳銃不法所持で逮捕される[16]。平尾が独自にハワイから持ち帰り、帰国後「日頃、興行でお世話になっているから」と[16]、名古屋と東京の暴力団組長に拳銃をプレゼントした事件が発覚した[16]。平尾は22日間拘留され[16]、釈放後「軽率だった」との反省文が雑誌に掲載された[16]。
ロカビリーブームが去った1965年頃、北海道からじわじわ火がつき始めた「おもいで」で再ブレイクする[17]。「おもいで」は、渡辺プロの新人歌手だった布施明が1966年に再レコーディングし、これもヒットとなった[18]。続けて、作曲家として「霧の摩周湖」「恋」、じゅん&ネネ「愛するってこわい」[19][20]、梓みちよに提供した「渚のセニョリーナ」などがヒット。「霧の摩周湖」、「渚のセニョリーナ」では、第9回日本レコード大賞作曲賞を受賞した。
その後も作曲家として非凡な才能を発揮していたが、1968年12月3日[21]、結核を患い健康保険岡谷塩嶺病院への長期間入院による療養を余儀なくされ、翌1969年5月と6月に2度にわたる大手術を経て、肋骨を6本取り除く。1969年11月30日に退院[21]。平尾自身は、この療養期間が作曲家としての活動の原点であることを事あるごとに語っている[22]。
1970年代
[編集]1970年代に入ると、ソフトな演歌から穏やかなポップス調まで様々な作風の曲を、五木ひろしや小柳ルミ子、アグネス・チャンらに提供している。作詞家の山口洋子とのコンビは、この時代を代表するゴールデン・コンビとして知られている。
- 1971年、五木に提供した「よこはま・たそがれ」、小柳に提供した「わたしの城下町」がそれぞれ大ヒットする。
- 1972年、小柳に提供した「瀬戸の花嫁」が第3回日本歌謡大賞を受賞する。
- 1973年、五木に提供した「夜空」が第15回日本レコード大賞を受賞する。
1974年、平尾昌晃音楽学校(現:平尾昌晃ミュージックスクール、HMS)を創立する[23]。東京本校の他、札幌、所沢、茨城、名古屋、大阪、福岡、鹿児島にも地方校があり、デビューのバックアップもする。同校出身者は狩人、畑中葉子、川島なお美、石野真子、松田聖子、川崎麻世、大沢逸美、森口博子、芳本美代子、笹峰愛、倖田來未、後藤真希、西田あいなど。歌手としては、生徒の一人である畑中葉子とデュオを組み、「カナダからの手紙」「ヨーロッパでさよなら」などのヒットを出した。また、彼が日本でのデビューのきっかけを作ったアグネス・チャンとも、「香港国際空港(CHEK LAP KOK空港)」でデュオを組んだ。
1970年代のNHK総合の人気番組『レッツゴーヤング』の司会などにも携わる一方、『平尾昌晃の部屋』など、ラジオ番組のパーソナリティも務めた。その他、人気テレビ番組『熱中時代』での「僕の先生はフィーバー」、「やさしさ紙芝居」、『熱中時代-刑事編』の「カリフォルニア・コネクション」の他、ABC発テレビ朝日系時代劇の『必殺シリーズ』、アニメ『銀河鉄道999』などの音楽を手がける。
1980年代
[編集]また1980年代初頭から宝塚歌劇団の舞台音楽も手がけており、こちらは晩年まで長きにわたって関係が続いた[24]。
音楽活動のみならず、『ものまねバトル』(日本テレビ系)の審査員、チャリティゴルフの企画など、幅広く活躍した。俳優としても、『二階の他人』などに出演している。
競走馬オーナーとしては中央競馬で3勝したスーパーミヨチャンなどを所有した[25]。また、ジャパンカップ優勝のローズキングダムの一口馬主でもあった。オートレースのファンとしても有名で、川口オートレース場には年間ボックスシートを持っているほどだった。作曲者としても川口オートのテーマソングとなる『ぶっちぎりの青春』を提供した。
2000年代
[編集]2001年、モンブラン国際文化賞受賞。
2002年、特定非営利活動法人ラブ&ハーモニー基金を設立、音楽を通じた福祉活動を展開する。
2005年、歌手を目指す若い人、生徒のために自主レーベルのHMSレコードを立ち上げて、優秀な生徒をCDデビューさせている。
2006年、大晦日の『第57回NHK紅白歌合戦』では同年3月に逝去した宮川泰の後を受け「蛍の光」の指揮者に就任し、2016年の第67回まで11年間務めた。ただし、宮川やその前任の藤山一郎、前田璣などと比較するべくもなく本格的に勉強した指揮法ではなく、いわば名誉職的な役割であることを本人も認めている。
晩年・闘病・死去
[編集]肺結核で片肺を切除して以来、肺疾患が慢性化。たびたび体調不調に悩まされた。
2014年末には原発性肺高血圧症に起因する肺炎で危篤状態となったが、この時は奇跡的に持ち直している[26]。
2015年に肺がんであることが判明。体力面を考慮して手術を回避。以降は呼吸補助器を携行しながら、公の場にも積極的に顔を出していた。その後2017年5月「息苦しい」と訴え約1か月にわたって入院。一時は回復したものの、同年7月13日に「蒸し暑く体調が悪い」と訴え、病院で検査の結果「肺炎の疑い」との診断で入院。だがこの時も食欲は旺盛で、病室でテレビを楽しんでいたという。
しかし7月21日深夜に容体が急変。病院にかけつけた夫人や数人の親族に看取られ、同日23時40分、肺炎のため東京都内の病院で急逝した[1]。79歳(享年81)だった。訃報後の7月23日、2016年に再々婚していたことが明らかとなった[27]。平尾の葬儀は親族らによる密葬の形で7月30日に執り行われたため、10月30日に東京・青山葬儀所にて渡邊美佐(渡辺プロダクショングループ代表)を葬儀委員長とし、故人と縁のあった布施明、原辰徳、青木功らを発起人とし『故 平尾昌晃 葬儀・告別式』と題して公のお別れの会が行われ、原が弔辞を読み、布施と五木ひろしが「霧の摩周湖」と「よこはま・たそがれ」を霊前に捧げるべく熱唱し、葬儀に参列した歌手らにより小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」を合唱するなどして故人を偲んだ[28]。
没後
[編集]没後に第59回日本レコード大賞特別功労賞が贈られた[29]。
没後三回忌を迎えた2019年7月、平尾の遺骨が谷中霊園に在る平尾家先祖代々の墓所に納められた[30]。
レタス巻き
[編集]宮崎県の名物料理にのり巻きの一種レタス巻きがあるが、この誕生には平尾と常連として訪れていた宮崎市の一平寿しの店主との友情が誕生の切っ掛けになっている。
レタス巻きの誕生1966年(昭和41年)で、当時平尾は野菜嫌いで医者から「野菜を食べなさい」と言われていた。それを聞いた常連だった一平寿しの店主が具材にレタスを用いたのり巻きを考案。尚、具材はレタス以外に海老を使う。また、マヨネーズを用いた。のり巻きにマヨネーズを使うのは当時画期的だった。その後一平寿しはレタス巻き発祥の寿司屋となる。
作曲家としての提供曲
[編集]サウンドトラック
[編集]あ行
[編集]- 藍美代子
- 葵三音子
- 「哀愁」(朝日放送系「必殺仕置屋稼業」主題歌)
- 朝比奈マリア
- 「星空のラストソング」「太陽は死なない」(「わが青春のアルカディア」挿入歌)
- アグネス・チャン
- 梓みちよ
- 天地真理
- 鮎川いずみ
- 荒木一郎
- 荒木由美子
- 「フラストレーション」
- 「UNHAPPY END」
- 「夢あわせ」
- アン・ルイス
- 「グッド・バイ・マイ・ラブ」(作詞:なかにし礼)
- 五木ひろし
- 伊東ゆかり
- 「小さな恋」
- 「恋のしずく」
- 「星を見ないで」
- 「知らなかったの」
- 「愛して愛して」
- 「朝を返して」
- 大場久美子
- 「キラキラ星あげる」(「コメットさん」主題歌)
- 大塚たけし
- 奥村チヨ
- 「夜よそのままで」
- 尾崎紀世彦
- 小沢深雪
- 「さすらいの唄」「夜空の慕情」(朝日放送系「必殺必中仕事屋稼業」主題歌・挿入歌)
か行
[編集]- 柏原芳恵
- 梶芽衣子
- 「修羅の花」(映画「修羅雪姫」主題歌)
- 春日八郎
- 「からまつ岬」
- 金沢明子
- 「浜千鳥情話」(「必殺仕事人」主題歌)
- 狩人
- 「白馬山麓」(作詞:喜多條忠)
- 川崎麻世
- 「宇宙空母ブルーノア 〜大いなる海へ〜」「夜間航海(ナイト・クルーズ)」(「宇宙空母ブルーノア」主題歌・副主題歌)
- 川谷拓三
- 川田ともこ
- 北川大介
- 「横浜ルージュ」
- 「黄昏の向こう側」
- 「君の住む町で」
- 北川大介・瀬川瑛子
- 「もういくつ寝るとしあわせが」
- こおろぎ'73
- 「いつの日か」(「サイボーグ009」テレビ版第2期 副主題歌)
- 小柳ルミ子
さ行
[編集]- ささきいさお
- 桜田淳子
- 里見浩太朗
- 「微笑みかけて」(「長七郎江戸日記」第1部 主題歌)
- 沢田研二
- 渋谷哲平
- 「わが青春のアルカディア」(「わが青春のアルカディア」主題歌)
- ジャッキー吉川とブルーコメッツ
- 雨の舗道
- じゅん&ネネ
- 「愛するってこわい」
- 園まり
- 「愛情」
- 「泣きぬれて」
- 「おもいきり泣かせて」
た行
[編集]- 田川裕之
- 「一恋橋〜いちれんばし〜」(平尾プロデュース作品)
- 千葉まなみ
- 「想春賦」
- 「娘ざかり」
- 「ときめきの季節」
- 「青い嵐」
- 鶴岡雅義と東京ロマンチカ
- 「追憶」「あなたを愛した頃」「別れてきました」「銀座の女(ひと)」
- ザ・ドリフターズ
- 「ミヨちゃん」(平尾が初めて作詞作曲歌唱してヒットさせたナンバーのカバー。渥美清も歌っている)
な行
[編集]- 永井みゆき
- 「蛇の目小紋の女」(生前最後のリリース曲)
- 中尾ミエ
- 「花のさだめ」
- 「淋しそうなあなた」
- 中条きよし
- 仲雅美
- 中村雅俊
- 「瞬間(ひととき)の愛」(「必殺渡し人」主題歌)
- 中山千夏
- 「もくべえじろべえ」(「ひらけ!ポンキッキ」より)
- 成田賢
- 「誰がために」(「サイボーグ009」テレビ版第2期 主題歌)
- 西崎みどり
- 西田あい
- 「ゆれて遠花火」
- 「ときめきカフェテラス」
- 「月見草」
- 「雨おんな」
- 「涙割り」
- 野口五郎
- 「愛よ甦れ」
は行
[編集]- 橋幸夫&ステファニー
- 林寛子
- 「危険がいっぱい」
- 平尾昌晃&畑中葉子
- 畑中葉子
- 「ロミオとジュリエット'79」
- 原辰徳
- 「どこまでも愛」
- 原田潤
- 氷川きよし
- 「櫻」(作詞:なかにし礼)
- 大安蓮(ひろあれん)
- 藤田絵美子
- 布施明
- 風吹ジュン
- 「愛がはじまる時」
- 「涙に微笑みを」
- 本田博太郎
- 「風の旅人」(「必殺仕舞人」主題歌)
ま行
[編集]- 松田聖子
- 水木一郎
- 「キャプテンハーロック」「われらの旅立ち」(「宇宙海賊キャプテンハーロック」主題歌・副主題歌)
- みずきあい
- 「惜雪」(「新必殺からくり人」主題歌)
- 水谷豊
- 三井由美子
- 「やがて愛の日が」(「必殺仕置人」主題歌)
- 美空ひばり
- ミッツ・マングローブ
- 「メロン娘とオレンジ娘」
- 三波春夫
- 「桃太郎侍の歌」(「桃太郎侍」主題歌、作詞:三波春夫)
- 三橋美智也
- 都はるみ
- 「にごりえの町」
- 森本太郎とスーパースター
- 「望郷の旅」(「助け人走る」主題歌)
や行以降
[編集]その他
[編集]- ぶっちぎりの青春(川口オートレース場のイメージソング。歌は佐々木功)
- オートレースのファンファーレ
- ともだちがいる(第42回NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲)
- やすらぎの時代へ
- ムーンライト・カーニバル(NHK総合レッツゴーヤングオープニング曲、作詞:森雪之丞)
- ころがれアルマジロ(NTV『新・ロンパールーム』オープニングテーマ曲。作詞:藤公之介、作曲:平尾昌晃、編曲:田辺信一、歌:やまみどり、コロムビアゆりかご会)
など多数。
また、高等学校の校歌や企業の社歌を作曲したこともある。
歌手としての作品
[編集]シングル
[編集]平尾昌章とオールスターズワゴン名義
[編集]- リトル・ダーリン / バター・フィンガース(1958年1月、EA-25)
- かんごくロック / ロンサム・カウボーイ(1958年3月、EA-32)
- ダイアナ(1958年6月、EA-36)ポール・アンカのカバー。山下敬二郎と競作になった。
- c/w バルコニーにすわって
- ルシヤ / 五木の子守唄ロック(1958年6月、EA-43)
- クレイジー・ラヴ (1958年7月、EA-48) ジーン・ヴィンセントのカバー
- c/w ジザベル
- 星はなんでも知っている / ロック夕やけ小やけ(1958年7月、EB-108)
- 心のうずくとき / ロック・会津磐梯山(1958年9月、EA-54)
- ジングル・ベル / 別れのワルツ(1958年10月、EA-59)
- 星の降る夜は / ロック聖者が街へやって来る(1958年11月、EB-124)
- 好きなんだ! (I Love You)(1958年12月、EA-71)- 作詞・作曲:ポール・アンカ
- c/w ロック黒田節
- 単車で飛ばそう / 木枯らし吹けば(1958年12月、EB-136)
- 東京ロマンスウエイ / ロック・枯葉(1959年2月、EB-148)
- ロック・おてもやん / コメ・プリマ(1959年4月、EB-163)
- 浮かれ祭り / 黒い地帯(1959年5月、EB-171)
- カン・カンからすの勘三郎 / ぐっとほれたぜ(1959年7月、EB-170)
- 男だけの世界 / 一人にしておくれ(1959年8月、EB-179)
- 事件記者(1959年11月、EB-228。B面は三船浩「110番」)
- 北風の十字路/ 流れ星だぜ(1959年12月、EB-260)
- 恋の片道切符(1960年2月、EB-310)- ニール・セダカのカバー
- c/w 黒のブルース(メンフィス・ブルース)- アラン・ゴラゲール楽団のカバー
- ミヨチャン / あの日から(1960年4月、EB-325)
- 南の島は恋の島 / 島原地方の子守歌(1960年5月、EB-339)
- ランニング・ベア(悲しきインディアン)(1960年5月、EA-109)- ジョニー・プレストンのカバー
- c/w レッド・リヴァー・ロック - ジョニーとハリケーンズのカバー
- マウイ・ガール / アロハ・オエ(1960年7月、IS-2002)
- 嘆きの道化師 / ドミノ(1960年8月、EB-417)
- あの娘16、おさげ髪 / 木曽の仲のりさん(1960年10月、EB-383)
- 都の灯りにあこがれて / リカちゃん(1960年10月、EB-419)
- ワゴン・トレイン(幌馬車隊)(1960年10月、EB-7025)テレビ西部劇『幌馬車隊』主題歌のカバー
- 嫌じゃありませんか / 水車がガッタンコ(1961年、EB-464)- 平尾昌章名義
- ギラギラロック(1961年4月、EB-7033)
- c/w 今夜はひとりかい? - アル・ジョルソンやエルヴィス・プレスリーらが歌った曲のカバー
- おもいで / しあわせは音もなく(1961年5月、EB-496)
- いとしのルチア / 道中伊勢音頭(1961年6月、EB-7036)
- 夢の恋人 / 星の降るよな晩だった(1961年7月、EB-519)- 平尾昌章名義
- ムームー・ソング / 夏の日の想い出(1961年7月、EB-552)
- 涙のムーディー・リヴァー(1961年8月、EB-7043)- チェイス・ウェブスターやパット・ブーンらが歌った曲のカバー
- 思い出の歌(1961年10月、EB-569)- 平尾昌章名義
- c/wは、若原一郎の「雨の日だって楽しいさ」
- ジャニー・ギター(1961年12月、SEB-49)- ペギー・リーのカバー
- c/w ビーバップ・ア・ルーラ - ジーン・ヴィンセント&ヒズ・ブルー・キャップスのカバー
- ジングル・ベル / 別れのワルツ (Auld Lang Sayne)(1961年、EA-59)- 平尾昌章名義
- 愛してほしいの/ 恋の聴診器(1962年5月、PV-4)
- 夏の夜の恋 / 何も言えずに(1962年、VS-726)
- 哀愁のバイパス道路(VS-861)
- c/wはフランク永井の「霧子のタンゴ」
- 甘い暴力 / チャンスを逃すな(1963年5月、PB-35)
- さあ!オリンピックだ(1964年、VA-1194)
- 1964年東京オリンピック記念歌。伊藤アイコとデュエット。B面は伊藤のソロ曲「想い出の泉」
- スピード野郎(1964年)- ミュージカル「ラップ3分2秒8」主題歌
- B面は亀井信夫とスペイスメンの「祈らずにいられない」
ローヤルレコード
- あいつの涙 / お月さま(1966年4月、RQ-617)
平尾昌晃名義
[編集]- 破れた恋にも虹がある / ひとりごと(1967年、キングレコード、BS-640)
- 星は何でも知っている / 砂に書いたラブレター(1976年、L-26A)
- 上陸!ロックン・ロール・タイフーン / 聖者の行進(1977年6月、CBSソニー、08SH-158)
- カナダからの手紙 / 揺れる二人(1978年1月10日、ビクターレコード、SV-6340)- 畑中葉子とデュエット
- エーゲ海の旅 / 恋ごころ(1978年4月25日、ビクターレコード)- 畑中葉子とデュエット
- サンフランシスコ行き / 赤いレインコート(1978年、ビクターレコード)- 畑中葉子とデュエット
- ヨーロッパでさよなら / 東京ラブ・ストーリー(1978年、ビクターレコード、SV-6496)- 畑中葉子とデュエット
- 手錠をかけろ / 青春のみちしるべ(ビクターレコード、SV-6655)
- 遠い町 / シンガーソングライター(1979年)- NHK総合『レッツゴーヤング』エンディングテーマ曲
- 香港国際空港(CHEK LAP KOK空港)/ 夕焼け(2002年7月21日)- アグネス・チャンとデュエット
- 星空デート / 恋ふたたび(2012年4月4日)- 木の実ナナとデュエット
アルバム
[編集]発売日 | 規格 | 規格品番 | タイトル |
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キングレコード | |||
1958年 8月 | LP | LKF-1006 | 平尾とロック Side:A
Side:B
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1959年3月 | LP | LKF-1017 | マーチャン大いに歌う
|
1997年5月25日 | CD | PCD-1545 | |
1967年 | LP | SKK-336 | 僕の歌にも虹がある Side:A
Side:B
|
1968年 | LP | SKK-433 | 愛を求めて Side:A
Side:B
|
1970年 | LP | SKD-38 | 第三章 平尾昌晃リサイタル Side:A
Side:B
|
2020年12月9日 | CD | KICX-1128 | |
1972年 | LP | SKD-122 | 京都ベラミ平尾昌晃オン・ステージ ※ 1971年12月22〜23日に京都のナイトクラブ「ベラミ」で収録されたライヴアルバム Side:A
Side:B
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キャニオンレコード | |||
1975年 | LP | C-3061 | 熱唱! Side:A
Side:B
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ワーナー・パイオニア | |||
1976年 | LP | L-10043 | Disco Train ※ ヒット曲を、ディスコ調に深町純がアレンジしたアルバム Side:A
Side:B
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ビクターレコード | |||
1979年 | LP | SJX-20128 | 遠い町 Side:A
Side:B
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キングレコード | |||
1994年6月22日 | CD | KICS-8050 | 平尾昌晃を歌う
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1998年5月22日 | CD | KICX-463 | 夢に向かって… ※ 音楽生活40周年記念盤。提供作品のセルフカバー
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クラウンレコード | |||
2011年12月7日 | CD | CRCN-20370 | メロディー〜ベストオブ平尾昌晃〜 ※ 提供作品のセルフカバーに加え、書き下ろしの新曲を収録
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ベストアルバム
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
その他
[編集]- 必殺仕事人 新録劇伴集((必殺仕事人2007〜)(2016年11月30日、YZHM-30101)
ラジオ出演
[編集]- ラジオ深夜便(NHKラジオ第1・FM)「生涯現役」のコーナーにゲスト出演(2011年5月1,2の両日)
- 平尾昌晃 ベスト歌謡アルバム(TBSラジオ)
- 平尾昌晃 マイソングマイウェイ(TBSラジオ)
- 平尾昌晃の部屋(文化放送)
- 平尾昌晃ポップス工房(エフエム東京)
テレビ出演
[編集]- こころの歌(1974年、読売テレビ) - ホスト(司会)を務めるかたわら、ギターによるテーマソングの弾き語りや、単発でゲストに迎えた歌手の持ち歌のギター伴奏も披露。さらに、視聴者から公募した詞に曲を付けたうえで、「今月の歌」としてマンスリーゲストに歌わせていた。
- 遠山の金さん 第1シリーズ 第10話「高砂や! 泣いて笑った花嫁御寮」(1982年6月10日、テレビ朝日 / 東映)
- 火曜サスペンス劇場 / 切り裂かれた時間(1983年1月11日、日本テレビ)
- 勝ち抜き歌謡天国(1984年4月から1986年3月まで、NHK総合)
- 午後は○○おもいッきりテレビ(日本テレビ)
- めちゃ×2イケてるッ! / お笑い芸人歌がへたな王座決定戦スペシャル (2009年2月14日 - 2011年6月4日) - 「歌へた審査委員長」として全ての回に出演。
- NHK歌謡コンサート(2016年3月1日、NHK総合)「心ウキウキ!歌のひな祭り」『50周年作曲家 平尾昌晃』
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!(2016年8月21日、日本テレビ)「熱唱!アカペラ歌合戦‼︎」
- ものまねバトル(日本テレビ) - 審査委員長として全期間に出演[31]
映画出演
[編集]- 嵐を呼ぶ男(1957年)
- 愛河(1958年)
- 星は何でも知っている(1958年)
- 赤いランプの終列車(1958年)
- 単車で飛ばそう(1959年)
- 東京ロマンス・ウェイ(1959年)
- 待っていた花嫁(1959年)
- 可愛い花(1959年)
- 女は抵抗する(1960年)
- 恋の片道切符(1960年)
- 不良少女(1960年)
- 俺の故郷は大西部(1960年)
- 夕陽に赤い俺の顔(1961年)
- 引っ越しやつれ(1961年)
- 幽霊五十三次(1961年)
- 二階の他人(1961年)
- 若者たちの夜と昼(1962年)
- 大暴れ五十三次(1963年)
- 七人の刑事(1963年)
- 嵐を呼ぶ十八人(1963年)
- 東京オリンピック音頭 恋愛特ダネ合戦(1963年)
- 若い港(1964年)
- やればやるぜ全員集合(1968年)
NHK紅白歌合戦出場歴
[編集]年度/放送回 | 曲目 | 対戦相手 | ||
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1960年(昭和35年)/第11回 | ミヨチャン | 松尾和子 | ||
1961年(昭和36年)/ 第12回 | タック・ロック | 西田佐知子 | ||
1962年(昭和37年)/ 第13回 | ツイストNo.1 | 森山加代子 | ||
1978年(昭和53年)/ 第29回[32] | カナダからの手紙 | 岩崎宏美 | ||
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著書
[編集]- 『不死鳥のメロディー』潮出版社(1972年)
- 『これが、プロフェッショナルだ』泰流社(1977年)
- 『平尾昌晃のカラオケ100点満点―カラオケなんて恐くない!!(1983年)
- 『平尾昌晃の歌上手になる本』山口洋子編 講談社文庫(1986年)
- 『気まま人生歌の旅』広済堂出版(1994年)- 自伝
- 『昭和歌謡1945〜1989 歌謡曲黄金期のラブソングと日本人』廣済堂新書(2013年)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 大半の曲は竜崎孝路が編曲している。また、『江戸プロフェッショナル・必殺商売人』『必殺からくり人・富嶽百景殺し旅』『翔べ! 必殺うらごろし』の3作では、平尾の曲は使われていない。『必殺渡し人』以降の作品では他の作曲家によって追加された曲が併用されているケースも見られるが、映像でのクレジットは原則として平尾のみの名義になっている。
- ^ 第3話以降、萩原哲晶と共同で担当。
- ^ アレンジを薗広昭と竜崎孝路が担当。
- ^ 作曲を宮川泰と共同で担当。編曲は船山基紀(一部を宮川泰が担当)。
- ^ ただし、レコード (CD) 化はされず。
出典
[編集]- ^ a b 作曲家・歌手の平尾昌晃さん死去 「カナダからの手紙」 - 朝日新聞 2017年7月22日
- ^ 日本作曲家協会・役員)
- ^ 日本音楽著作権協会・役員一覧)
- ^ 平尾昌晃『気まま人生歌の旅』廣済堂出版、1994年9月1日、[要ページ番号]頁。ISBN 4-331-50453-0。
- ^ 【平尾昌晃・生涯青春】(1)初めて聴いたジャズに衝撃、スポーツ報知、2017年2月7日14時0分。
- ^ 【平尾昌晃・生涯青春】(2)11歳で「のど自慢」鐘3つ、スポーツ報知、2017年2月8日14時0分。
- ^ 【平尾昌晃・生涯青春】(3)あのひと言が運命の分かれ目、スポーツ報知、2017年2月9日14時0分。
- ^ a b 【平尾昌晃・生涯青春】(5)「嵐を呼ぶ男」裕次郎さん、強烈オーラ、スポーツ報知、2017年2月11日14時0分。
- ^ 『気まま人生歌の旅』p.45。
- ^ 【平尾昌晃・生涯青春】(6)「ロカビリー3人男」はマスコミ発、スポーツ報知、2017年2月14日14時0分。
- ^ 【平尾昌晃・生涯青春】(9)作詞家・水島哲氏と出会い「日本の歌も歌いなよ」、スポーツ報知、2017年2月17日14時0分。
- ^ 『気まま人生歌の旅』p.63。
- ^ 『気まま人生歌の旅』65頁。
- ^ 『読売新聞』1960年6月27日付夕刊、p.5。
- ^ a b 【平尾昌晃・生涯青春】(8)「好きなんだ」なぜかハワイで大ヒット、スポーツ報知、2017年2月16日14時0分。
- ^ a b c d e 石橋春海「麻薬、暴行...お騒がせ歌手事件簿」『封印歌謡大全』三才ブックス、2007年4月15日、166-167頁。ISBN 978-4-86199-066-3。
- ^ 【平尾昌晃・生涯青春】(10)「おもいで」が再ブレイク、スポーツ報知、2017年2月18日14時0分。
- ^ 【平尾昌晃・生涯青春】(11)布施明に「おもいで」譲る、 スポーツ報知、2017年2月21日14時0分。
- ^ 【平尾昌晃・生涯青春】(12)「霧の摩周湖」大ヒット!、スポーツ報知、2017年2月22日 14時0分。
- ^ 【平尾昌晃・生涯青春】(13)芥川澄夫や「じゅん&ネネ」育てた、スポーツ報知、2017年2月23日14時0分。
- ^ a b 【平尾昌晃・生涯青春】(14)肋骨6本取って2度の手術、スポーツ報知、2017年2月24日14時0分。
- ^ 音楽の力で社会福祉-平尾昌晃 独立行政法人福祉医療機構 機関誌『WAM』2011年1月号
- ^ 【平尾昌晃・生涯青春】(20)畑中葉子とデュエット、スポーツ報知、2017年3月4日14時0分。
- ^ 【平尾昌晃・生涯青春】(21)映画もアニメも宝塚も、スポーツ報知、2017年3月7日14時0分。
- ^ 【平尾昌晃・生涯青春】(22)オートレース全6場のファンファーレも製作、スポーツ報知、2017年3月8日14時0分。
- ^ “平尾昌晃 肺炎で救急搬送、一時は危篤状態 次男がブログで報告”. 株式会社スポーツニッポン新聞社. 2021年4月23日閲覧。
- ^ “平尾昌晃さん昨年再々婚していた!仕事関係の50代女性、献身的に看病”. サンケイスポーツ. 産業経済新聞社. (2017年7月24日) 2017年9月7日閲覧。
- ^ “平尾昌晃さんの葬儀・告別式は“歌唱葬”に 小柳ルミ子ら20人以上が合唱で別れ”. サンケイスポーツ. 産業経済新聞社. (2017年10月30日) 2017年11月16日閲覧。
- ^ 第59回日本レコード大賞各賞発表 TBSテレビ「輝く日本レコード大賞」公式サイト
- ^ "平尾昌晃さん納骨式、三男・勇気「家族だけでの三回忌を済ませました」". サンケイスポーツ. 産経デジタル. 22 July 2019. 2023年7月12日閲覧。
- ^ 平尾昌晃 - オリコンTV出演情報
- ^ 畑中葉子とデュエット。
- ^ 【平尾昌晃・生涯青春】(25終)「紅白」「レコ大」には出演してほしい、スポーツ報知、2017年3月11日 14時0分。
関連項目
[編集]- 平尾昌晃チャリティゴルフ
- 銀座ACB
- ローズキングダム - 日本の競走馬。平尾が一口馬主になっている。
- 鹿内春雄 - 平尾の最初の夫人の再婚相手だった(春雄も再婚だった)が、元夫人が長男出産後くも膜下出血で死去した。その後鹿内は頼近美津子と再々婚した。
- トップスターカップ - 2018年より、「スーパースターフェスタ 平尾昌晃杯」として開催されることになったオートレースの競走。
外部リンク
[編集]- 平尾昌晃のホームページ
- 平尾昌晃ミュージックスクール (@infohms1) - X(旧Twitter)
- 平尾昌晃ミュージックスクール 大阪
- HMSレコード
- 認定NPO法人ラブ&ハーモニー基金
- 平尾昌晃(ひらお まさあき)とは - コトバンク
- 平尾昌晃はどんな人? - Weblio辞書
- 平尾昌晃 - NHK人物録