孫俊 (孫河子) ウィキペディアから無料の百科事典 孫和の子の孫俊については「孫俊 (孫和子)」をご覧ください。 孫 俊(そん しゅん)は、中国三国時代の呉の皇族。字は叔英。揚州呉郡富春県の人[1]。父は孫河。兄は孫助・孫誼・孫桓。子は孫建・孫慎。 生涯[編集] 度量が大きく、文武両面に才があった。定武中郎将に任じられ、薄落の地を守備していたが、赤烏13年(250年)に死去した。 嫡子の孫建は平虜将軍、末子の孫慎は鎮南将軍の官に昇った。孫慎の子の孫拯は西晋の時代においても名を上げ、『晋書』陸機伝に付伝される。 家系図[編集] 【孫河・孫韶家系図】(編集) ● 孫河 孫助 孫誼 孫桓 孫建 孫俊 孫慎 孫拯 ● 孫韶 孫楷 孫越 孫異 孫奕 孫恢 出典:陳寿撰、裴松之注、小南一郎訳 『正史 三国志』(ちくま学芸文庫)6巻、342頁 出典[編集] 陳寿撰、裴松之注『三国志』巻51 呉書 孫桓伝(中国語版ウィキソース) 脚注[編集] [脚注の使い方] ^ 『三国志』呉書 孫堅伝記載、同族の孫堅の本貫。