四日市大学短期大学部
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四日市大学短期大学部 | |
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大学設置 | 1950年 |
創立 | 1946年 |
廃止 | 2002年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人暁学園 |
本部所在地 | 三重県四日市市萱生町城山238 |
キャンパス | 萱生町キャンパス(萱生町) 天カ須賀キャンパス(天カ須賀) |
学部 | 生活学科[1] 生活学専攻[2]。 食物専攻[2] 幼児教育学科 第一部 第二部[3]。 初等教育学科[1] |
四日市大学短期大学部(よっかいちだいがくたんきだいがくぶ、英語: Yokkaichi University Junior College)は、三重県四日市市萱生町城山238に本部を置いていた日本の私立大学である。1950年に設置され、2002年に廃止された。学生募集は2000年度まで[4]。2001年度より四日市大学は学部を新設し、それにともない短期大学は学生募集を停止し、2002年7月30日廃止[5][6]。
概要[編集]
大学全体[編集]
- 四日市大学短期大学部は学校法人暁学園により運営されていた日本の私立短期大学。1950年(昭和25年)に暁学園短期大学として設置された。当初は家政科のみの単科短大だったが、順次学科が増設され最終的には3学科まで発展した。修業年限は幼児教育学科Ⅱ部で夜間部3年制、それ以外は昼間部2年制となっていた。
建学の精神(校訓・理念・学是)[編集]
- 四日市大学短期大学部の学是は「人間たれ」となっていた。これは、人間教育の始めから終わりまでを貫くものであり「愛は最高なり」に通じるものであると初代学長であった五嶋孝吉が唱えたものとなっていた[7]。
教育および研究[編集]
- 四日市大学短期大学部は保育者の養成に力を入れており、系列となっていた幼稚園での教育実習も執り行われていた。卒業論文が課されていた。過去には、栄養士養成も行っていた。
学風および特色[編集]
- 四日市大学短期大学部は1946年創立の暁女子専門学校が起源となっており、以来女子のみの教育を行っていた。
沿革[編集]
- 1946年(昭和21年) 暁女子専門学校が創設される。
- 1950年(昭和25年) 暁学園短期大学(あかつきがくえんたんきだいがく)を四日市市天ケ須賀34にて開学し、家政科を置く。入学定員80名[8][9]。
- 1952年(昭和27年) 厚生省(現・厚生労働省)より栄養士養成施設として指定される[10]。
- 1954年(昭和29年) 中学校家庭科・保健科教諭免許状資格が認定される[11]。
- 1965年(昭和40年) 四日市市萱生町にキャンパスが移転される。
- 1966年(昭和41年) 家政科を専攻分離する。
- 1967年(昭和42年) 保育科が幼稚園教諭免許状の取得できる課程に認定される。
- 1973年(昭和48年) 保育科を幼児教育科に改称する。
- 1974年 (昭和49年)学科を増設する。
- 初等教育科
- 幼児教育科第二部
- 1976年(昭和51年) 暁学園短期大学各科を各学科に呼称変更。
- 1990年 幼児教育学科第二部の学生募集を最終とする(学生数:女75[13])
- 1992年(平成4年) 学科名を変更する。
- 家政学科→生活学科
- 被服専攻→生活学専攻
- 食物専攻→食物学専攻
- 家政学科→生活学科
- 1994年(平成6年) 四日市大学短期大学部と学名変更される。
- 1996年 学生数(初等教育科:女71、生活学科:女201[14])
- 1999年 学生数:女97[15]
- 2000年(平成12年) 短期大学としての学生募集が最終となる[4]。
- 2002年(平成14年) 7月30日廃止[5]。
基礎データ[編集]
所在地[編集]
- 萱生町キャンパス(三重県四日市市萱生町城山238)
- 天カ須賀キャンパス(三重県四日市市天ヵ須賀5-2-5)
教育および研究[編集]
組織[編集]
学科[編集]
取得資格について[編集]
- 保育士:幼児教育学科第一部・第二部にて設けられていた。
- 栄養士:生活学科食物学専攻にて設けられていた。
- 幼稚園教諭二種免許状:幼児教育学科第一部・第二部のほか初等教育学科にて設置されていた。
- 小学校教諭二種免許状:初等教育学科にて設けられていた。
- 中学校教諭二種免許状
- 当初は中学校教諭ほか高等学校教諭免許状(家庭・保健)の教職課程を家政科に併設されていた[16]。
学生生活[編集]
学園祭[編集]
- 四日市大学短期大学部の学園祭は学校法人名である「暁学園」から「暁祭」と呼ばれていた。
大学関係者と組織[編集]
大学関係者一覧[編集]
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施設[編集]
萱生町キャンパス[編集]
- 使用学科:生活学科・幼児教育学科第一部・初等教育学科
- 使用専攻科:なし
- 使用附属施設:なし
- 当時の交通アクセス:三岐鉄道三岐線暁学園前駅。
- 設備:図書館(所蔵資料数はおよそ49,300冊となっていた)・体育館・学生ホール(学生食堂あり)ほか。ちなみに、短期大学部の正面玄関は「A棟」と呼ばれる建物の入り口にあった[17]。
天ヵ須賀キャンパス[編集]
- 使用学科:幼児教育学科第二部
- 使用専攻科:なし
- 使用附属施設:なし
- 当時の交通アクセス:近鉄名古屋線富洲原駅。
- 設備:現在は暁幼稚園が立地している。
- 位置:四日市市立富洲原中学校付近にあった。
寮[編集]
- 特になし。
対外関係[編集]
系列校[編集]
卒業後の進路について[編集]
就職について[編集]
- 全体的には、一般企業への就職者が多いものとなっていたが、幼児教育学科では保育園や幼稚園への就職者が多いものとなっていた。初等教育学科では、幼稚園教諭として就職するものが多かった。
編入学・進学実績[編集]
附属学校[編集]
- 「四日市大学短期大学部附属幼稚園」があった。
短期大学関連書物[編集]
- 『人間たれ 暁学園50年のあゆみ』:1998年(平成10年)発行。
脚注[編集]
- ^ a b c d 学生募集は1996年度まで。1999年3月29日廃止。
- ^ a b c d 学生募集は1994年度まで
- ^ a b 学生募集は1990年度まで。1994年3月31日正式廃止
- ^ a b 幼児教育学科第一部のみ
- ^ a b 平成23年度『全国短期大学高等専門学校一覧』280頁より。
- ^ 但し、短大にあったどの学科も大学に継承されることはなかったため、廃校といった方がふさわしいと思われる。
- ^ 彼は、さらに「その意味するところは豊かな才能、正義、科学の発達にも、そこには愛がなければ空しいものである」とも主張していた。
- ^ 短期大学一覧 昭和25年5月1日現在より。
- ^ 官報 1950年09月14日
- ^ 学校年鑑 1959
- ^ 全国大学大観 昭和30年版
- ^ 全国学校総覧 昭和42年版より。
- ^ 1991年度版『総覧』69頁より。
- ^ 1997年度版『総覧』80頁より。
- ^ 2000年度版『総覧』75頁より。
- ^ 『教員養成課程認定大学短期大学一覧』(1955年)63頁より。
- ^ 以上、2000年度用入学案内小冊子より。
- ^ 『名古屋短期大学』入学案内冊子(2000年度入学生用)より
参考文献[編集]
- 『全国学校総覧』
- 『短期大学一覧』
- 『全国私立大學・短期大學入学案内』(昭和27年度用:日本私立大學協會 日本私立短期大學協會共編)
- 『教員養成課程認定大学短期大学一覧』(文部省大学学術局編)
- 『教員養成課程認定大学・短期大学等総覧』(全国高等学校長協会編。第一法規出版)
- 『日本の私立短期大学』(日本私立短期大学協会発行:1980年)
- 『進学年鑑』(『私大コース』シリーズ別冊)
- 『全国短期大学高等専門学校一覧』(文部省高等教育局技術教育課監修)
- 『短期大学教育』第49号(日本私立短期大学協会発行:1992年)
- 『短大蛍雪』(全国短大&専修・各種学校受験年鑑シリーズ。旺文社)
- 『全国短期大学受験要覧』(廣潤社)
- 『全国短期大学案内』(教学社)
- 『全国短期大学受験案内』(晶文社)
- 『全国短期大学案内』(梧桐書院)
- 『四日市大学短期大学部』:入学案内小冊子