南海2000系電車
ウィキペディアから無料の百科事典
南海2000系電車 | |
---|---|
2000系電車 2195以下6両編成 (2017年5月17日 浅香山駅) | |
基本情報 | |
運用者 | 南海電気鉄道 |
製造所 | 東急車輛製造 |
製造年 | 1990年 - 1997年 |
主要諸元 | |
編成 | 4両編成(9本) 2両編成(14本) |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 | 直流1500V 架空電車線方式 |
最高運転速度 | 本線・空港線:110 km/h 高野線平坦・準山岳区間:100 km/h |
設計最高速度 | 120 km/h |
起動加速度 | 本線・空港線:2.5 km/h/s 高野線:3.1 km/h/s |
減速度(常用) | 3.8 km/h/s |
減速度(非常) | 4.0 km/h/s |
編成重量 | 2両編成:71.5t 4両編成:140.0t |
全長 | 17,725 mm |
全幅 | 2,744 mm |
全高 | 4,130 mm |
車体 | ステンレス |
台車 | 緩衝ゴム式ダイレクトマウント空気ばね台車 FS-541 |
主電動機 | かご形三相誘導電動機 TDK6310-A |
駆動方式 | TD平行カルダン駆動方式 |
編成出力 | 2両編成:100kW×8=800kW 4両編成:100kW×16=1,600kW |
制御方式 | GTO素子VVVFインバータ制御(1C8M) |
制御装置 | VF-HR125(1・2次車) VFG-HR1810A(3-7次車)[1] |
制動装置 | 電磁直通空気ブレーキ(回生ブレーキ併用、応荷重装置付) |
南海2000系電車(なんかい2000けいでんしゃ)は、南海電気鉄道の一般車両[2](通勤形電車)。山岳直通車両「ズームカー」の一系列である。64両が在籍する。
なお本項では、難波方先頭車の車両番号+F(Formation=編成の略)を編成名として表記する。
概要
高野線のズームカーである21000系、22000系および2200系の置き換えならびに輸送力増強用として、1990年(平成2年)に登場した。
南海では初となるVVVFインバータ制御を採用し、1997年(平成9年)までに64両が新製された。また南海の車両では緑基調の外観で新造された最後の形式である。本形式で採用された新機軸は、後に登場する1000系にも多数反映されている。
増備途中での仕様変更が多く、製造年次によりパンタグラフの取り付け位置、車体外板のビード本数、内装材、座席配置などに違いがある。
車両概説
車体は軽量ステンレス製の17m級2扉車体で、表面はダルフィニッシュ(梨地)仕上げとし、コルゲート板はなくビードラインを入れている。先頭車の正面はFRP製で曲線を多く取り入れた形状となり、行先表示器は種別と行先に分けて左右に配置し、側面も種別用と行先用を独立して配置している。
車内は9000系のアコモデーションをベースとしながら、荷棚にポリカーボネートを使用、蛍光灯にはアクリルカバーを取り付け、座席両端の袖仕切りは2段式となっている。冷房装置は冷凍能力13,000kcal/hのユニットクーラを各車3基搭載し、温度・湿度・乗車率の各センサ情報により稼働率を制御する。外観上はクーラーキセにより一体化させている。また天井中央には整風板を車体全長にわたって連続配置し、冷房効果を高めるためラインデリアを内蔵させている。
制御方式は、南海では初採用となる日立製作所製GTO素子(4500V/2500A)によるVVVFインバータ制御で、1基の制御装置で8基の主電動機を制御する。主電動機は定格出力100kWの東洋電機製造製かご形三相誘導電動機で、これを各台車に2基ずつ装架する全電動車方式である。駆動システムはTD平行カルダンドライブ方式、台車は30000系で実績のある緩衝ゴム式の空気ばね台車、ブレーキは在来車との併結の必要性から電磁直通ブレーキを採用している。
機器構成は2両1組となっている。南海では故障時の冗長性を確保するため、制御装置、補機類をそれぞれ複数搭載する編成を組むことが原則となっているため、例外となる支線での運用を除いて、2両編成単独での営業運転は行われない[注 1]。
インバータ制御であるため、減速時および下り勾配での抑速制動時の回生ブレーキが使用可能となっている。回生ブレーキは運転本数の多い区間では他の列車が回生電力を消費しやすいため有効だが、山岳区間では他に電力を消費する列車がなく回生失効となるケースが多い。そこで本系列の導入にあたっては、山岳区間・準山岳区間の変電所に回生電力吸収装置を設置することで回生失効を防止するようにした。
次車別解説
1・2次車
- 1次車(1990年2月竣工):2001F
- 2次車(1990年6月竣工):2002F・2003F
4両編成3本12両(1次車1本4両・2次車2本8両)が在籍する。
南海では最後に緑系統の外観で登場した車両で、前面と側面に緑の濃淡帯が配された。また先頭車の側面には高野線シンボルマークを貼り付けていた(新塗装化と同時に廃止)。側面のビードが増備車に比べ多く、パンタグラフがモハ2001形(難波方先頭車)とモハ2101形(高野山方中間車)に1基ずつ分散配置されている[3]。
座席は全席ロングシートでドア間16人掛け、モケットは当時標準のワインレッドながら、着席位置を明確化するため背擦りに縞柄模様が入れられた[3]。のちにモケットの色は変更されている[注 2]が、袖仕切りにワインレッドの模様がそのまま残されている。2次車はドア間中央部にある中仕切りの形状が変更されている[3]。1・2次車とも連結部に妻窓が設置されている。
現在は3本とも、3次車以降と同様の現行塗装に変更されており、旧塗装は1993年10月までに消滅した[5]。ただし緑帯を剥がした腰板部には、目隠しのため別途グレーのフィルムを貼り付けている。
2005年高野線ダイヤ改正から3本全てが運転を休止していたが、2007年8月11日の南海線ダイヤ変更より南海本線・空港線で営業運転を開始した[6]。
- デビュー当時の緑帯の旧塗装
(千代田工場にて撮影) - 2次車の車内
3・4次車
2両編成4本8両(3次車2本4両・4次車2本4両)が在籍する。
同時期に新製された1000系と同一の車体カラースキームを採用したが、同系列はベースカラーを全面塗装したのに対し、本系列は帯フィルムを貼付のみとしている。本グループからは、編成中のパンタグラフ2基をモハ2001形に集中配置するよう変更されている[3]。
座席についても1000系同様のグレーモケットを使用したバケット式ロングシートに変更されているが、車端部へのクロスシートの設置は見送られている[3]。ドア間は引き続き16人掛けであるが、車椅子スペースを新設したため着席定員総数は減少している[3]。このほか袖仕切りの形状や化粧板、床材の模様が1000系と同じ意匠に変更されている[3]。
本グループから列車種別・行き先表示の設定を、1・2次車のデジタル式スイッチからモニタ表示器で行うよう変更し、鴨居点検蓋上部には案内表示器設置の準備工事もなされている[3]。また列車種別選別装置の更新準備工事を行っている[7][注 3]。
なお4次車はCI導入後に新製されたため、従来の2代目社章を廃止しCI章を採用するとともに、車体のNANKAIロゴがCIと同じ斜字体となった[3](1 - 3次車も後に統一)。また4次車では前面・側面とも車両番号のフォントがやや小さくなったほか、製造年表示をこれまでの年号表示から西暦表示に変更している[3]。
3次車の2031F・2032Fは1・2次車と同様、2005年高野線ダイヤ改正から運転休止とされていたが、2007年8月11日の南海線ダイヤ変更より南海本線・空港線で営業運転を開始した[6]。両編成は常時連結され4両半固定編成として使用されている。
- 4次車の車内
- 車椅子スペース
5 - 7次車
- 5次車(1995年5月竣工):2035F - 2039F・2041F(計14両)
- 6次車(1996年8月竣工):2040F・2042F - 2044F(計14両)
- 7次車(1997年7 - 8月竣工):2021F - 2024F・2045F・2046F(計16両)
- ※太字は4両編成。
4両編成6本と2両編成10本の合計44両が在籍し、本系列の大半を占めている。
本グループでは車端部にクロスシートを設置しており、連結面の妻窓が廃止されている[7][注 4]。その他の座席は3・4次車同様のバケット式ロングシートだが、混雑対策としてドア間が14人掛けに短縮され、出入口付近の立席スペースを従来より広く確保している[3]。列車種別選別装置は最初から双方向デジタル伝送(トランスポンダ)方式を採用している[3](1 - 4次車も同時期に更新)。
6次車のうち2042F・2043Fは、2005年高野線ダイヤ改正から運転休止とされたが、2007年8月11日の南海線ダイヤ変更より南海本線・空港線で営業運転を開始している[6]。なお2042Fは、2012年9月から2015年8月にかけて車両不足を補うため高野線に再転属していた[8][9]が、現在は南海本線に復帰している。
また5次車のうち2035Fは、2024年3月以降ワンマン改造を施工の上、支線区に配備されている。
- 5 - 7次車の車内
- 支線用ワンマン仕様車の車内
ラッピング車両
2007年10月より2044Fが「花のラッピング電車」として、シャクナゲ、サルスベリなど沿線の花を沿線の小学校に通う小学生200人がデザインした「花の絵」を部分ラッピングして出場した[10]。2011年3月をもって、このラッピングは解除されている。同編成は2015年11月1日から、NHK大河ドラマ「真田丸」の主人公真田幸村蟄居の地である九度山の活性化を目的として、赤を基調とした外装の「真田赤備え列車」としても運行された[11][12]。運行期間は当初1年の予定だったが継続され[13]、定期検査に入る2019年2月20日まで運行された[14]。
また「真田赤備え列車」運行と同時期の2016年5月からは、カプコンのアクションゲーム「戦国BASARA」のキャラクターを装飾し、同じく九度山をPRするラッピング列車が2両編成3本(2021F・2022F・2023F)設定され、主に観光列車「天空」の自由席車として運用された[15][16]。
- 2044F「花のラッピング電車」
(2008年8月31日、河内長野駅にて撮影) - 2044F「真田赤備え列車」
(2016年4月19日、新今宮駅にて撮影) - 2023F「戦国BASARA」ラッピング車両
(2016年11月12日、橋本駅にて撮影)
登場の背景・運用の推移
高野線へ導入・旧型車を置き換え
高野線の中百舌鳥駅以南では、狭山ニュータウンや橋本林間田園都市などの沿線開発が功を奏し、1980年代を通して利用客が増加していた[17][注 5]が、混雑率は依然高止まりで車両を増備する必要に迫られていた。三日市町駅以北の平坦区間には60年代から一貫して20m級4扉車を投入してきたが、1985年の8200系を最後に増備は暫く停滞していた。これは当時、御幸辻駅 - 橋本駅間が複線化工事の途中段階にあり、20m車を使用した長編成列車の橋本駅乗り入れ開始や、小原田検車区開設による車両収容能力の拡充[注 6]にはまだ時間を要することが見込まれていた[注 7]ためである。 他方、17m級2扉車で運転される急行[注 8]は、平坦区間における混雑対策のためダイヤ改正のたびに列車の増発や車両増結が行われ、21000系・22000系の運用が極めて逼迫していた[3]。当時の急行は山岳区間(御幸辻駅以南)に入線して難波駅 - 極楽橋駅間を直通する「大運転」が基本であり、急行のさらなる輸送力増強を行うには20m車の増備では代替できず、17m車の増備が不可避であった[3]。ところで当時の車両技術は急速に進歩し、チョッパ制御からVVVFインバータ制御への移行期にあった。VVVF制御はプログラムの設定により既存の抵抗制御車に運転特性をなるべく合わせることができる[21]ほか、在来車と同様の運転扱いにより区間に合わせて走行特性を変化させることができる[21][注 9]ため、山岳区間での回生失効対策さえ行えば、ズームカーへの適用は十分に可能であった。またメンテナンスフリー化が図れる[21]ことから、保有車両数が増加する中でも保守整備にかかる負担増を軽減することができる。そこでこの新機軸を取り入れつつ、21000系・22000系と併用可能な17m車体の次世代車両が開発されることとなり、1990年に本系列が登場する運びとなった。
1次車は同年5月2日より営業運転が開始され、その後竣工した2次車とともに、7月1日ダイヤ改正からの急行増結に対応した[22]。当初は老朽化が進んでいた21000系の置き換えを見越して製造された[21]が、新たに策定された1992年度からの「第8次輸送力増強等5ヵ年計画」に基づき支線・貴志川線の冷房化率100%を達成するため、22000系の大半をも置き換え対象に含めることになった[23][注 10]。他方この5ヵ年計画では、22000系3本に車体更新を行い2200系として引き続き高野線で運用することも計画された。
ところが1992年(平成4年)11月10日のダイヤ改正で特急・急行が金剛駅に停車を開始すると、急行への乗客集中から平日朝ラッシュ時には各列車の遅延が常態化するようになり、この状況が数年間にわたり続いた。これは当時17m車でも最大8両編成しか組めなかったため輸送力に限界があったこと、出入口の数が少なく乗降に手間取ったこと[24]など通勤通学路線に本来不向きなズームカーの車体構造に起因していたが、それだけでなく本系列と在来車が併結した場合、協調運転に難があった[25][注 11]ために列車の遅延が回復できないことも強く影響していた。このうち輸送力不足については、複線化開業を迎えた1995年(平成7年)9月1日ダイヤ改正で、平日朝ラッシュ時の急行2本を20m車に置き換えたほか、17m車による急行2本を10両編成に増結することで対処されるに至った[18][注 12]。ここに本系列の10両運転が開始された[28][注 13]。
1995年度には6次車の増備決定にあたり、「大運転」を主軸とする運行体系を今後も継続する方針が固まった[6]ため、併せて5ヵ年計画終了後の1997年度に21000系を完全淘汰するための7次車(2045F・2046F)の増備が計画された[29][注 14]。しかしその後、先述の運転特性の相違のほか、将来の速度向上に支障もきたすことから、2200系を高野線で継続運用する計画が見直されることになり、22000系・2200系置き換え用の2両編成4本(2021F - 2024F)が7次車に追加された[25][30][注 15]。こうして先送りにされていた性能面の問題についても、純粋な置き換えによる車種統一で解消されることとなり、本系列は以前の21000系・22000系と同数の計64両が新製されて増備を終了した。
なお、お盆期間を中心に難波駅 - 極楽橋駅間(のちに橋本駅 - 極楽橋駅間に短縮)で運転されていた全車自由席の臨時特急にも、在来車に混じりデビュー初期の頃から使用された[31][32]。
朝ラッシュ最混雑時間帯の上り急行運用から撤退・平坦区間内の運用に本格進出
2003年(平成15年)5月31日のダイヤ改正からは35年ぶりに運行を開始した快速急行に使用されるようになった[33]一方、朝ラッシュ時の中でも最混雑時間帯に運転される上り急行(天下茶屋駅7:20〜8:30着)の全列車に女性専用車両が導入され、これに20m車8両編成が充てられたため、本系列は最混雑時間帯の急行運用から撤退、それに伴い本系列による10両運転が終了した[24]。また従来20m車が担っていた橋本駅以北での日中の区間急行運用、朝ラッシュ時の各駅停車運用にも充当されるようになった[25][33]。
大幅な運用減・南海本線へ転属
2005年(平成17年)10月の高野線白紙ダイヤ改正では、全ての時間帯において橋本駅での大規模な系統分割が行われた。極楽橋駅まで直通していた急行は一部を除き橋本駅折り返しとされ、日中は快速急行以外の運用はすべて橋本駅までの運転となった。そして、橋本駅折り返しの急行の大半は6000系列などの20m車に、橋本駅で接続する山岳区間の各駅停車も多くが2300系によるワンマン運転に変更された。「大運転」や山岳区間内運用が大幅に減った本系列は、平坦区間の各駅停車や区間急行の運用が増えたものの、半数近い車両が余剰となって1年以上の間運転休止となった[25]。
運転休止となっていた編成は2006年12月頃から南海本線で試運転を開始し[34]、2007年(平成19年)8月11日のダイヤ変更から南海本線・空港線の普通車として運用されるようになった[25] 。これにより老朽化が進行していた7000系の一部を置き換えた。
2001F・2002F・2003F・2042F・2043Fの4両編成5本と、2031F・2032Fの2両編成2本がダイヤ変更当日付で南海本線に転属した[35]。2両編成の2031Fと2032Fは常時連結して4両編成で運用されている。これらの編成に対しては制御装置のプログラム変更が行われている[6][注 16]。また利用客の混乱防止のため、先頭車前面の助手側窓ガラスに2扉車の大型ステッカーが貼り付けられているほか、各駅では両数・扉数案内表示器や乗車位置目標が整備された。
現在に至るまで南海本線・空港線での優等種別運用は存在せず、専ら普通車として運転されている。空港線での定期運用は2014年10月のダイヤ変更以降は平日・土休日とも1往復のみとなっている。正月3が日や岸和田だんじり祭・春木だんじり祭が開催される日は普通車も混雑するため、本系列の運用は4扉車が代走する[4]。また本系列が検査により不足する場合も、4扉車での代走となる。
なお高野線所属車については、2009年7月3日から橋本駅 - 極楽橋駅間で運行を開始した観光列車「天空」の自由席車としての運用が設定された[37]。また2012年夏季に実施された節電ダイヤでは、日中6両で運行される本系列の快速急行・区間急行運用の一部が4両に短縮して運転された[38]。
高野線でのさらなる運用減・支線へ転出
高野線では2017年8月26日ダイヤ変更で、橋本駅以北での区間急行・各駅停車運用からは撤退、同時に快速急行・急行の運用も削減された[注 17]。
2022年5月、30000系1本が脱線事故[40]のため運用不能となり高野線特急車が慢性的に車両不足となったことから、特急「こうや」「りんかん」の一部列車と同ダイヤにて自由席特急が運転されることとなり[41]、この運用に本系列が使用された[42]。代走は同年11月2日まで続けられ、以降は特急「泉北ライナー」に使用されていた11000系が「りんかん」に復帰することで対応された[43]。
2022年10月、本系列にワンマン改造を施工し、支線の2200系を置き換える予定であることが開示された[44]。2024年1月、2035Fが加太線、和歌山港線、汐見橋線で試運転を行い[45]、同年3月より多奈川線、高師浜線をはじめとする各支線でのワンマン運転を開始した[46][47][注 18]。
編成表
(2024年3月現在)
4両編成
← 難波 関西空港・和歌山市・極楽橋 → | ||||||||
形式 | ◆ モハ2001 (Mc1) | モハ2051 (M2) | ◆ モハ2101 (M1) | モハ2151 (Mc2) | 所属線区 | 竣工[49] | 仕様 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
機器類 | CONT | SIV, CP | CONT | SIV, CP | ||||
車両番号 | 2001 | 2051 | 2101 | 2151 | 南海本線 | 1990年2月8日 | 1次車 | 前照灯LED化 |
2002 | 2052 | 2102 | 2152 | 1990年6月12日 | 2次車 | |||
2003 | 2053 | 2103 | 2153 | |||||
形式 | ◆ ◆ モハ2001 (Mc1) | モハ2051 (M2) | モハ2101 (M1) | モハ2151 (Mc2) | 所属線区 | 竣工[49] | 仕様 | 備考 |
機器類 | CONT | SIV, CP | CONT | SIV, CP | ||||
車両番号 | 2041 | 2091 | 2141 | 2191 | 高野線 | 1995年5月25日 | 5次車 | 前照灯LED化 |
2042 | 2092 | 2142 | 2192 | 南海本線 | 1996年7月29日 | 6次車 | ||
2043 | 2093 | 2143 | 2193 | 1996年8月13日 | ||||
2044 | 2094 | 2144 | 2194 | 高野線 | 1996年8月30日 | |||
2045 | 2095 | 2145 | 2195 | 1997年7月19日 | 7次車 | |||
2046 | 2096 | 2146 | 2196 | 1997年8月26日 |
2両編成
← 難波/ 関西空港・和歌山市・極楽橋 → | ||||||
形式 | ◆ ◆ モハ2001 (Mc1) | モハ2151 (Mc2) | 所属線区 | 竣工[49] | 仕様 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
機器類 | CONT | SIV, CP | ||||
車両番号 | 2031 | 2181 | 南海本線 | 1992年11月16日 | 3次車 | Mc1前照灯LED化 |
2032 | 2182 | Mc2前照灯LED化 | ||||
2033 | 2183 | 高野線 | 1994年6月2日 | 4次車 | 前照灯LED化 | |
2034 | 2184 | |||||
2035 | 2185 | 南海本線 | 1995年4月13日 | 5次車 | ||
2036 | 2186 | 高野線 | ||||
2037 | 2187 | |||||
2038 | 2188 | |||||
2039 | 2189 | |||||
2040 | 2190 | 1996年8月30日 | 6次車 | |||
2021 | 2171 | 1997年8月12日 | 7次車 | |||
2022 | 2172 | |||||
2023 | 2173 | |||||
2024 | 2174 | 1997年8月26日 |
凡例
- CONT:VVVFインバータ制御器
- SIV:静止形インバータ
- CP:空気圧縮機
- 緑字=支線用ワンマン仕様車
2023年現在、前照灯を順次LEDに換装している[50]。
参考文献
- 南海電気鉄道(株)車両部車両課 「南海電気鉄道2000系」『鉄道ピクトリアル』1990年6月号(通巻529号)、電気車研究会、1990年、58-61頁。
- 南海電気鉄道車両部・諸河久・岩堀春夫(編)『日本の私鉄11 南海(カラーブックス811)』保育社、1991年、64-69頁。
脚注
注釈
- ^ このため、山岳区間でのワンマン運転開始時には専用車両として2300系を新たに導入している。
- ^ 1000系登場後グレーに、近年は8300系と同じ茶色のドット柄(優先座席は青色)に張り替えられている[4]。後者は他の製造年次の車両も同様である。
- ^ これはその準備工事を行っていなかった他の既存車両も共通で、従来の列車種別選別装置が使用後20年近く経過し、設備機器の老朽化までもが著しくなってきたためである。南海本線では空港線開業、高野線では橋本駅までの複線化開業を目処にそれぞれ更新を実施した。
- ^ クロスシート設置に合わせ、車端部の側窓についても位置取りを従来より妻面寄りに変更している[6]。
- ^ なお中百舌鳥駅以北については、1987年4月の大阪市営地下鉄御堂筋線の中百舌鳥延伸に伴い、泉北高速線からの直通利用客が一旦減少した。
- ^ 当時、千代田検車区(現・小原田検車区千代田検車支区)は既に満車に近い状態に達しており[18]、車両を増備するにしても自ずと製造数に限界が生じていた。
- ^ この区間(第七工区)の工事は1986年に着工し、小原田検車区の新設も含め当初は1989年までに竣工する計画だった[19]が、想定通りに進めず、実際には複線化の完成は1995年、小原田検車区の開設は1996年まで延期した。このように本系列が登場する1990年までの数年間で当初の輸送改善計画に翳りが見え始めていたが、現実的に可能な輸送力増強を行うには、既存の設備や特殊な運行体系という厳しい制約の中で優先順位の高い対応だけを選んで実行する必要があった。
- ^ この頃の高野線では、20m車は原則的に区間急行より下位の区間列車に使用されており、急行には朝ラッシュ時のごく一部の例外を除き、専ら17m車が充当されていた[20]。この運行体系は20m車が橋本駅乗り入れを開始した1992年[18]以降、徐々に変化していくことになる。
- ^ 俗に山線スイッチと呼ばれるもので、本系列でも在来車に倣い運転台上方に弱界磁切換スイッチと称して装備する[21]。
- ^ この5ヵ年計画によれば、22000系は32両全車が更新修繕の対象とされ、本系列の増備は22000系に余剰車が生じないよう計画されていた。
- ^ 両車の運転特性は理論上同一とされていたものの、制御方式の違いによる加減速特性の微妙な差異は運転扱い上、無視できない問題となった。特に減速時は、在来車の発電ブレーキと本系列の回生ブレーキでは挙動に差が出やすく、所定の停止位置に正確に停車させるのが困難なほどであった[26]。後にVVVF制御へと改造された6200系では、こうした問題点を当初から考慮した設計とされ、抵抗制御車との併結時には運転特性を限りなく共通化するシステムを採用している。
- ^ 17m車の10両運転に対応するため、ダイヤ改正までに北野田駅・金剛駅・河内長野駅でホーム延伸工事が行われた[27]。
- ^ 極楽橋駅発の4両編成に橋本駅で4両を増結、さらに河内長野駅で2両を増結して10両編成となっていた。この時点では21000系・22000系・2200系も高野線に残っており、4系列混用で10両を組んでいた。
- ^ この時点で橋本駅での系統分割を選択することもできた[6]が、実際には系統分割はなされず17m車の運用が減少することもなかった。
- ^ この時点で2両編成は2040Fまで製造されており、2041F以降は4両編成が既に番号を使用していたため、増備車では続番を使用できず番号が若返った。こうした事情からも、これら4本が当初増備を予定されていなかったことが伺える。
- ^ 起動加速度は下げられたものの、高速域の加速性能が向上し南海本線を走行する他系列に性能が合わせられた[36]。高野線では車種統一後の速度向上を想定して高速性能に余裕を持たせていた[21]が、結果的に南海本線転属によってその性能を発揮することとなった。
- ^ 2017年3月30日、南海電鉄は2018年を目処に難波駅1番線にホームドアを設置することを発表していた[39]。20m車とは扉位置が大きく異なる本系列が橋本駅以北の各駅停車運用から撤退する大きな要因となった。また各駅停車運用と一体であった優等列車の運用も20m車が受け持つこととなり、2005年ダイヤ改正以来の純粋な運用減となった。
- ^ 高師浜線は「南海本線・高師浜線(高石市)連続立体交差事業」の進捗に伴い、2021年5月から列車の運転を休止しバス代行輸送を行っていたが、高架化が完了した2024年4月6日から運行が再開され[48]、初日から本系列が運用に入った。
出典
- ^ 「南海電気鉄道 現有車両主要諸元表」『鉄道ピクトリアル』2023年10月臨時増刊号(通巻1017号)、電気車研究会、2023年、276-277頁。なお、これ以前の文献では製造年次にかかわらず全てVF-HR125と記載されている。
- ^ 現在の車両 - 鉄道博物館 アーカイブ 2021年3月16日 - ウェイバックマシン - 南海電気鉄道
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 「私鉄車両めぐり〔153〕南海電気鉄道」『鉄道ピクトリアル』1995年12月臨時増刊号(通巻615号)、電気車研究会、1995年、246-248頁。
- ^ a b 柴田東吾『大手私鉄サイドビュー図鑑12 南海電鉄』イカロス出版、2023年、16-17頁。
- ^ 「南海電気鉄道車両履歴表」『鉄道ピクトリアル』1995年12月臨時増刊号(通巻615号)、電気車研究会、1995年、266頁。
- ^ a b c d e f g 南海電気鉄道(編)「2000系 解説・サイドビュー写真」『南海電鉄車両大全第1巻(チョッパー&VVVF制御車)』2017年、13-14・19-20頁。
- ^ a b 「車両総説」『鉄道ピクトリアル』1995年12月臨時増刊号(通巻615号)、電気車研究会、1995年、36-37頁。
- ^ 「大手私鉄車両ファイル2013 車両データバンク」『鉄道ファン』2013年8月号(通巻628号)特別付録、交友社、2013年。
- ^ 「大手私鉄車両ファイル2016 車両データバンク」『鉄道ファン』2016年8月号(通巻664号)特別付録、交友社、2016年。
- ^ 「カラーニュース 南海の話題」『関西の鉄道』2008年陽春号(通巻54号)、関西鉄道研究会、2008年、87頁。
- ^ 高野線車両(1編成)と九度山駅を「真田色」に装飾します (PDF) - 南海電気鉄道・和歌山県九度山町共同ニュースリリース、2015年8月11日
- ^ “南海高野線で「真田赤備え列車」の運転開始”. 鉄道ファン. railf.jp. (2015年11月2日). オリジナルの2017年3月22日時点におけるアーカイブ。 2017年3月21日閲覧。
- ^ “南海・真田赤備え列車、運行延長” (pdf). 南海電気鉄道 (2016年10月27日). 2020年3月29日閲覧。 アーカイブ 2020年3月29日 - ウェイバックマシン
- ^ “2019年2月20日(水)南海・真田赤備え列車の運行が終了します” (pdf). 南海電気鉄道 (2019年2月7日). 2020年3月29日閲覧。 アーカイブ 2020年3月29日 - ウェイバックマシン
- ^ “戦国BASARA×南海電鉄 夏の陣 ~真田ゆかりの地へいざ出陣~” (PDF). 南海電気鉄道 (2016年4月21日). 2024年1月18日閲覧。 アーカイブ 2024年1月18日 - ウェイバックマシン
- ^ “南海「天空」の自由席車両を「戦国BASARA」のキャラクターで装飾”. 鉄道ファン. railf.jp 鉄道ニュース (交友社). (2016年6月14日). オリジナルの2024年1月18日時点におけるアーカイブ。 2024年1月18日閲覧。
- ^ 「輸送と運転」『鉄道ピクトリアル』1995年12月臨時増刊号(通巻615号)、電気車研究会、1995年、21-23頁。
- ^ a b c 南海電気鉄道(株)鉄道営業本部営業部運転保安課 萱野雅文「南海電気鉄道 我が社のダイヤ」『運転協会誌』1999年3月号(通巻477号)、日本鉄道運転協会、1999年、12-13頁。
- ^ 南海電気鉄道株式会社(編)『南海電気鉄道百年史』1985年、386頁。
- ^ 南海電気鉄道(株)運輸部運輸課 藤原良雄・三崎章雄「列車ダイヤの変遷 南海電気鉄道株式会社」『運転協会誌』1987年6月号(通巻336号)、日本鉄道運転協会、1987年、16-17頁。
- ^ a b c d e f 南海電気鉄道(株)車両部車両課 「南海電気鉄道2000系」『鉄道ピクトリアル』1990年6月号(通巻529号)、電気車研究会、1990年、58-61頁。
- ^ 南海電気鉄道株式会社『南海二世紀に入って十年の歩み』1995年、71・108頁。
- ^ 「私鉄車両めぐり〔153〕南海電気鉄道」『鉄道ピクトリアル』1995年12月臨時増刊号(通巻615号)、電気車研究会、1995年、214頁。
- ^ a b 「輸送と運転 近年の動向」『鉄道ピクトリアル』2008年8月臨時増刊号(通巻807号)、電気車研究会、2008年、32-36頁。
- ^ a b c d e 「南海電気鉄道 現有車両プロフィール2008」『鉄道ピクトリアル』2008年8月臨時増刊号(通巻807号)、電気車研究会、2008年、265-267頁。
- ^ 2017年に発売された「鉄道コレクション 南海2000系後期型4両セット」の外箱に記載の解説文より引用。当製品は南海電鉄が公式に企画・販売した市場流通品(アクセス可能)であるため、付属の解説文についても信頼できる情報源に妥当するものとして、これを採用する。
- ^ 南海電気鉄道株式会社広報課『ニュース南海』1996年2月号(No.273)、1996年。
- ^ 「高野線の車両 プロフィール」『関西の鉄道』2004年新春号(通巻46号)、関西鉄道研究会、2004年、29頁。
- ^ 「21001系,22001系のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』1995年12月臨時増刊号(通巻615号)、電気車研究会、1995年、213頁。
- ^ 藤井信夫『車両発達史シリーズ 6 南海電気鉄道 下巻』関西鉄道研究会、1998年12月、122頁。
- ^ 「高野線の列車種別」『関西の鉄道』1992年爽秋号(通巻27号)、関西鉄道研究会、1992年、25頁。
- ^ “南海高野線で臨時特急運転”. 鉄道ファン. railf.jp 鉄道ニュース (交友社). (2009年8月18日). オリジナルの2024年4月28日時点におけるアーカイブ。 2024年4月29日閲覧。
- ^ a b 「高野線の列車種別」『関西の鉄道』2004年新春号(通巻46号)、関西鉄道研究会、2004年、16・19・23頁。
- ^ 「NEWS 南海だより」『関西の鉄道』2007年盛夏号(通巻53号)、関西鉄道研究会、2007年、96頁。
- ^ 「大手私鉄車両ファイル2008 車両データバンク」『鉄道ファン』2008年9月号(通巻569号)特別付録、交友社、2008年。
- ^ 南海電気鉄道(編)「運転士インタビュー」『南海電鉄車両大全第1巻(チョッパー&VVVF制御車)』2017年、64頁。
- ^ 南海電気鉄道(株)営業推進室 藤田将之「南海電気鉄道2200系「天空」」『鉄道ピクトリアル』2009年8月号(通巻821号)、電気車研究会、2009年、109頁。
- ^ 「NEWS 南海だより」『関西の鉄道』2012年初秋号(通巻61号)、関西鉄道研究会、2012年、99頁。
- ^ “難波駅にホームドアを試験設置します ~難波駅1番線に「大開口ホーム柵」を設置します~” (pdf). 南海電気鉄道 (2017年3月30日). 2024年1月15日閲覧。 アーカイブ 2021年4月20日 - ウェイバックマシン
- ^ “南海電鉄高野線の車庫、回送車両の一部が脱線 けが人なし”. 毎日新聞. 2023年12月3日閲覧。 アーカイブ 2023年4月27日 - ウェイバックマシン
- ^ “一部特急こうや・りんかんの運休(代わりに自由席特急を運転)と両数変更について”. 南海電気鉄道 (2022年7月15日). 2023年12月9日閲覧。 アーカイブ 2023年12月9日 - ウェイバックマシン
- ^ “特急“こうや”・“りんかん”を2000系が代走”. 鉄道ファン. railf.jp 鉄道ニュース (交友社). (2022年5月28日). オリジナルの2023年3月13日時点におけるアーカイブ。 2023年12月9日閲覧。
- ^ “11月1日(火)より、50000系車両(ラピート)を特急泉北ライナーとして運行します” (PDF). 南海電気鉄道 (2022年9月30日). 2024年1月8日閲覧。 アーカイブ 2024年1月8日 - ウェイバックマシン
- ^ “鉄道線旅客運賃の変更認可申請を行いました” (PDF). 南海電気鉄道. p. 15 (2022年10月28日). 2023年5月24日閲覧。 アーカイブ 2023年5月10日 - ウェイバックマシン
- ^ “南海2000系が汐見橋線に入線”. 鉄道ファン. railf.jp 鉄道ニュース (交友社). (2024年1月9日). オリジナルの2024年1月11日時点におけるアーカイブ。 2024年1月11日閲覧。
- ^ “南海2000系2035編成が多奈川線で営業運転を開始”. 鉄道ファン. railf.jp 鉄道ニュース (交友社). (2024年3月25日). オリジナルの2024年3月25日時点におけるアーカイブ。 2024年3月25日閲覧。
- ^ “南海高師浜線が全線高架化・運行を再開”. 鉄道ファン. railf.jp 鉄道ニュース (交友社). (2024年4月6日). オリジナルの2024年4月7日時点におけるアーカイブ。 2024年4月7日閲覧。
- ^ “南海本線・高師浜線(高石市)連続立体交差事業 高師浜線が4月6日(土)始発から全線高架化・運行再開” (PDF). 大阪府・高石市・南海電気鉄道 (2024年2月15日). 2024年4月7日閲覧。 アーカイブ 2024年2月17日 - ウェイバックマシン
- ^ a b c 「南海電気鉄道 車両履歴表」『鉄道ピクトリアル』2008年8月臨時増刊号(通巻807号)、電気車研究会、2008年、278頁。
- ^ 「車両総説」『鉄道ピクトリアル』2023年10月臨時増刊号(通巻1017号)、電気車研究会、2023年、51頁。